第二次世界大戦後、一貫して自由貿易主義の旗振り役を務め、グローバリズムをも推進してきたアメリカは、今日、その役割から降りようとしています。替わって、中国が新たなグローバリズムの旗手として名乗りを上げたのですが、今般の新型コロナウイルス禍は、自らの手でその舞台をぶち壊してしまったかのようです。
自由貿易主義を希求する政府であれ、グローバリズムの元で広域的な経営を目指す企業であれ、その正当性を主張するキーワードは利益を基準とした‘最適化’です。自由貿易主義の基本理論とされる古典的なリカード流の比較優位説も、現実には稀にしかあり得ない二国間貿易における‘最適化の理想モデル’の一つとして理解することができましょう(当事者の双方の最適化行動が相互利益を帰結する稀なケース…)。合理的で効率的な国際分業とは、それが水平分業であれ、垂直分業であれ、国境を越えた‘最適化’の結果なのです。
とりわけグローバリズムにあっては、全世界が一つの市場に統合されれば、企業は、最も高い収益性を実現し得るように、自らの経営ネットワークを世界大に広げ、各国に役割を割り振ることができます。高性能製品の消費地は所得水準の高い先進国、大量生産品の消費地は人口大国、製造拠点は労働力の安価な途上国、研究開発拠点は教育水準の高い国、資金調達は国際通貨の発行国あるいは金融センターの所在地、投資先は経済成長率の高い国等々、企業は、自らの経営戦略に合わせて‘最適地’を自由に選ぶことができるのです。そして、当然に、企業戦略において有利な条件を備えた国が選択されるのですが、それは、全世界の諸国に等しくチャンスを与えるというわけではなかったようです。むしろ、選択基準となる有利点を多数同時に備えた国に集中したと言えましょう。そして、その集中国こそ、国家戦略としてあらゆる選択要件を満たすべく‘最適国家化’を推進した中国に他ならなかったのです。
しかしながら、グローバリズムと中国との‘最適化’で結び付いた共同歩調は既に変調をきたしてきています。最も重大な変化は、グローバリズムの波に乗った中国経済の急成長による‘選ばれる立場’から‘選ぶ立場’への転換であり、それは、経営戦略として中国を選択してきた海外企業にとりましては、もはや中国が‘最適’の選択ではなくなったことをも意味します。今では、GAFAと並んで中国系企業がデジタル社会を牽引するグローバルIT企業として立ち現れており、‘情報が世界を制す’をモットーに他国にもプラットフォームを広げようと積極的な売り込み攻勢をかけています。つまり、企業の最適化行動としてのグローバリズムと中国の最適化行動としての産業戦略と分離し始めてきたのです(もっとも、金融界にあっては両者に貸し付けているかもしれない…)。
一方、トランプ政権の誕生を以ってアメリカがグローバリズムから自国優先主義へと舵を切り替えたのも、グローバル企業による最適地選択が、米国にとっては不利に働いたからです。とりわけ製造拠点としての劣位性は雇用の喪失と直結しましたし、有利性を回復しようとすれば、生活水準の低下と凡そ同義となる賃金下げを受け入れざるを得ません。また、グローバル時代における個人レベルでの‘最適化行動’がより所得水準の高い国への自由移動であるならば、アメリカを含む先進諸国における移民の増加は必然的な結果とも言えましょう。グローバル時代における’最適化‘は、スケールメリットを備えた企業や情報・通信分野で圧倒的な支配力を有するプラットフォーマーを除いで、全ての人々に果実をもたらすわけはなく、先進国における中間層の破壊のみならず、全人類に漠然とした不安を与えることとなったのです。一部の人の最適化は全ての人の最適化ではなく、誰の’最適化‘なのかを問うことは重要であり、多様なテイクホルダーの利益を考慮せよとする近年の資本主義見直し論もこの文脈において理解されるかもしれません。
新型コロナウイルスとは、まさにこうした変調期にあって出現した世界規模での危機であり、水面下で進行していたグローバリズムの内包する欺瞞を一気に表面化させてしまったように見えます。何故ならば、企業の最適選択による製造拠点の中国への集中は、危機に際しての自国産業の脆弱性を露わにしましたし、最適化の果にある国際分業のリスクを認識させる機会ともなりました。また、国境を越えた人の自由移動が疫病拡大の要因であることは疑いようもありません。加えて、日本国内におけるマスクや感染防止グッズの品薄、並びに、値上がり要因の一つに在日・訪日中国人による買い占めや転売が指摘されており、世界大に広がった華人ネットワークが他の諸国の需給状況や価格にも影響を与えることも判明したのです。グローバリズムの推進者を買って出た中国が、自国発の感染症によってその限界とリスクを人々に知らしめたことは、何とも皮肉なこととしか言いようがないと思うのです。