万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

政党が‘独立’しなければ独立国家とはなり得ない

2022年11月11日 11時18分17秒 | 統治制度論
 政党という存在が、民主主義の進化とは逆方向に機能している現状が露わとなりながら、それに代わるシステムを探しあぐね、人類は、目下、路頭に迷っています。一党独裁体制より二大政党制、あるいは、複数政党制は遥かに‘まし’ではあっても、より民意を政治に反映し得るシステムはなかなか見つからないのです。少なくとも、二大政党制が‘だめ’ならば一党独裁制に変えれば良い、‘政党は’だめ‘だから、個人独裁は良い’、あるいは、‘それならば世界政府に任せれば良い’という提案は、人類を退行させ、全体主義へと誘う悪魔の囁きであるのかもしれません。

 もっとも、たとえ欠陥に満ちていても、現行の制度に改良を加えることで、劇的に状況が改善されることもあり得ます。継続的に改良を積み重ねる過程で、新たなシステムに向けた発想が生まれたり、その骨格が見えてくることもありましょう。言い換えますと、革命といった暴力で瞬時に体制をひっくり返すような手法よりも、誰もが認識している欠点や欠陥をまずは是正しつつ、同時進行的に慎重に案を練り、国民を含む多くの人々が協力関係を形成しつつ段階的に移行した方が、安全かつスムースに民主主義の制度的発展がもたらされるかもしれません。そこで、現状の改善として最初に提案すべきは、政党や政治家の外部勢力からの‘独立性’の確保ではないかと思うのです。

 安部元首相の暗殺事件を機に、日本国内では、自民党と世界平和統一家庭連合との癒着関係が政界全体を揺るがす大問題に発展しています。同党に対する国民の信頼が一気に崩れた観もあるのですが、それは、国民が‘偽旗作戦’の存在を疑っているからに他なりません。否、その存在が証明されてしまったと言っても過言ではないでしょう。ここで、多くの国民は、気付かされたはずです。自分達は、政治家についても政党についても、あまりにも知らない、あるいは知らされていないという事実を。

 元首相暗殺事件が起きて初めて政党や政治家の実像の一端が見えてきたのですから、これは、民主主義に照らしますと、国民にとりまして極めて危険な状態です。何処の誰であるのか分からない人に投票し、政治を任せていることになるからです。国政選挙であれ、地方選挙であれ、選挙公報に記載されている政治家のプロフィールは、わずか数行に過ぎません。近年、政策の選択に重点が移動してきているものの(政策選択であれば、人を選ぶシステムは不要に・・・)、現状を見れば、政治家の信条、価値観、個人的なコネクションや利害関係などが政策に多大なる影響を与えていることは否定し得ません。選挙が公人を選ぶ制度である限り、候補者に関する情報は、国民の選択に際して必要不可欠であると言えましょう。

 例えば、仮に、与野党を問わず、世界平和統一家庭連合(元統一教会)、中国共産党、あるいは、ダボス会議を主催するグローバリスト集団(世界権力)と密接な繋がりがあるとする情報が広く知れ渡っていたとすれば、これらの政党あるいは政治家を支持して積極的に投票しようとする国民は、殆どいないことでしょう。実際に、創価学会を支持母体とする公明党が、それ自体、国会にあって最大与党となはなり得ない理由も、新興宗教団体の‘出先機関’あるいは‘政治部’であるからに他なりません。国内にありましても、反社会組織との繋がりは致命的なダメージを与えますが、政党や政治家の海外勢力との関係は、それが国家の独立性とも不可分に結びつく故に、国民が絶対に知らなければならない情報の一つではないかと思うのです。

 今日の日本国の選挙制度を見ますと、上述したように、有権者である国民は、立候補者について、信じられないほど僅かな情報しか提供されていません。しかも、国会議員であれば、戸籍上の本名を名乗らなくても良い、といった、あまりにも反知主義的で国民を愚弄するような慣行もまかり通っています。国民が候補者や政治家の本名さえ知り得ない現状は、民主主義の原則に照らせば、本来、あり得ないことです。今日の政界にタレント議員が多いのも、知名度の利用のみならず、現状維持を望む勢力が、政治家というものを‘偶像(アイドル)’とみなし、自らの意向に沿って演じるだけの存在と見なしているからなのでしょう(‘名無し’ということなのでは・・・)。マスメディアが持ち上げる政治家とは、常にパフォーマンスが上手な人物ばかりです。

 以上に述べたことから、政治制度改革の第一歩として、政党並びに政治家の情報公開の強化を挙げることができましょう。政党と新興宗教団体等の癒着が国民の批判を浴びる中、次期国政選挙において、政治家に関する情報公開の強化を公約に掲げる政党や政治家が出現すれば、得票数を大幅に伸ばすかもしれません。もっとも、自己申告の場合、虚偽や隠蔽も大いにあり得ますので、中立・公平な第三者機関による情報公開という方法もあり得ましょう(権力分立の観点からは、司法部に設けるのが相応しいかもしれない・・・)。そして、現状にあって国民が実践できる対応は、できる限り立候補者や政治家に関する情報を収集することかもしれません。政党や政治家が張り巡らしてきた秘密主義の煙幕を晴らさないことには、日本国の独立も民主主義の進化も遠のくばかりではないかと思うのです。

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