目下、政界の周辺では、女性天皇の容認や女性宮家の創設等について議論が活発化してきているようです。この現象、ここ数年来、繰り返されているようにも思えますが、なかなか結論には達していません。もっとも、同議論は、象徴天皇、並びに、それに付随する皇室制度の継続を前提としており、議題は上記の女性問題に絞られています。
それでは、何故、今の時期に女性問題に集中するのでしょうか。おそらく、その背景には、LGBTQと同様の外圧があるのではないかと推測されます。不可解なことに、英王室でも、世論調査の結果、王室内において人気が一位となったのは、女性、かつ、民間出身にしてユダヤ系のキャサリン妃であったと報じられています。昨今、日本国内で実施されたとする世論調査の結果は、女性天皇の容認が圧倒的多数を占めているのですが、英国同様に、世論調査の高い数字については、疑ってかからなければならないのかも知れません。政治家と同様に、王室や皇室のメンバーも、その伝統的な権威は、世界権力にとりましては世界支配のための極めて効果的な手段となり得るからです。
世界権力が支配のネットワークをグローバルに広げてきた近現代という時代では、一般の国民は、密かなる‘乗っ取り’が行なわれても、気がつかぬままでいます。今般、あまりにも不自然、かつ、露骨な言動によって岸田首相は‘悪代官’という自らの正体を明かしてしまいましたが、皇室もまた、世界権力の手中にあると見た方が、より現実に近いのではないでしょうか。陰謀の存在を否定する‘陰謀論’こそが陰謀であるとする説も、信憑性を増しつつあります。もしかしますと、皇室に海外勢力が浸透したのは、明治よりもさらに歴史を遡り、イエズス会士のフランシスコ・ザビエルが来日した戦国時代頃からであったのかも知れません(織田信長が御所の制圧を試みたとされる本能寺の変も、この文脈から見直してみる必要があるかもしれない・・・)。
皇室のみが、今なおも、古代から絶えることなく連綿と続く神武天皇の血脈を受け継ぎ、かつ、昔も今も変わらずに国家護持のために祈りを捧げている神聖なる祭祀者であると、信じるには無理があります。そもそも、明治維新に際しての天皇取り替え説を持ち出すまでもなく(大室天皇説を考慮すれば、‘小室’という姓名にも何らかの示唆的な意味合いがあるのかもしれない・・・)、『源氏物語』等に描かれている平安時代の貴族の婚姻形態からしましても、万世一系も相当に怪しくなります。しかも、戦後は、昭和天皇の人間宣言に加え、民間出身の妃が何代も続いています。
世論調査では、皇室に対する国民の懐疑心は、一切、存在していないかのようですが、理性に照らせば、天皇の正当性に対して確証を持てない人の方が多いのではないでしょうか。事実としての証明を欠いている事柄に対して、それを信じるように求めることは、それは、殆ど宗教の強要に近くなります。内面において自らの理性が強く反発し、真偽を疑う状況にあって、天皇を国家・国民の統合として見なし、一般国民と変わらない皇族をも無条件で崇敬すように求められても、それは自らの心に嘘をつくことになりますので、苦痛でしかありません。
しかも、万世一系を信じることは、世界権力が巧妙に構築した日本国民支配のための装置を受け入れることを意味しかねないリスクも伴います。否、現下にあって、マスメディアを介して皇族や皇室のパーソナルな行動に関する記事が数多く発信されているのも、メディアを支配する世界権力が、情報のシャワーを国民に浴びせることで‘当然の存在’のように思い込むように洗脳し、各国のトップを利用する‘世界支配の体制’を維持したいからなのでしょう。間接支配のためには、各国の国民には、常に自らが配置した‘トップ’の一挙手一投足を意識してもらわなければ困るのです。そして、ナショナルな伝統的権威とグレートリセットをもって未来を支配したいグローバルな隠れた権力との結合による‘メビウスの輪’は、いよいよもって、その著しい捻れによってちぎれてしまいそうに見えるのです(つづく)。