万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

台湾は国際司法裁判所への委託同意を

2008年06月16日 18時23分34秒 | アジア
台湾船10隻が日本領海に侵入、尖閣沖事故に抗議か(読売新聞) - goo ニュース

 馬総統の就任以来、台湾は、大きく親共産中国政策に舵を切ったようです。今回の日本領海侵犯事件も、台湾の海岸巡防署の護衛船が付き添っていたというのですから、台湾政府が関わっていることは明なようです。戦争も辞さないとの台湾側の強硬な発言も聞こえてくるのですが、それでは、日本国政府は、この問題に、どのように対処したらよいのでしょうか。

 最も望ましい解決方法とは、やはり、国際司法裁判所に尖閣諸島の領有権問題を委託することではないか、と思うのです。

 その理由は、第一に、客観的、かつ、中立的な司法の場での解決の方が、双方が納得することができることです。日本国の尖閣諸島領有は、1895年1月に先占により成立しており、台湾の領有権主張は、1968年の国連による調査報告の結果、天然ガスや石油の埋蔵の可能性が指摘されてからのことです。明らかに、日本国の法的な立場が強いながらも、司法判決があれば、台湾も諦めがつきます。

 第二に、台湾が、国際司法裁判所における当事国になることは、国際社会における台湾の独立的な立場を強化することになります。今回の騒動は、日台関係に楔を打ち込むための中国の分離作戦があるとの指摘がありますが、もし、そうであるとしましたら、台湾が、尖閣諸島の領有権問題で国際社会の表舞台に登場してくることは、中国にとっては誤算となります。

 第三に、もし、日台間で国際司法裁判所への委託の合意が成立するとしますと、中国もまた、同訴訟への参加を表明せざるを得なくなるかもしれません。中国は、かねてより、尖閣諸島については、司法解決では自国の立場が不利であることを自ら認めていますので、中国を、国際司法裁判所に引き出すチャンスとなるかもしれません。

 このように考えますと、日本国政府のとるべき政策は、台湾に対して、国際司法裁判所への委託同意を申し出ることではないか、と思うのです。

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国民投票が示すEUの民主主義のジレンマ

2008年06月15日 13時49分56秒 | アジア
EU各国、「リスボン条約」否決に衝撃と落胆(朝日新聞) - goo ニュース

 EUは、「欧州憲法条約」の批准に際してはフランスとオランダの国民投票で躓き、修正を加えた「リスボン条約」の批准に際しても、アイルランドの国民投票で頓挫することになりました。この一連のNOについては、EUの統合が後退するものとして落胆の声があがる一方で、裏を返しますと、これもまた、EUの民主主義の証ではないか、と思うのです。

 民主主義とは、民意を汲んだ政治を目指す言葉です。EC時代から、EUは、一部のエリート官僚によるビューロクラティックな手法が”民主主義の赤字”として問題視され、民主主義の発祥の地を自負するヨーロッパにあって、さらなる制度の民主化が模索されてきました。新たな条約の発効に、加盟国全ての批准を要することもその一つと言えます。そうして、この批准手続きでは、加盟国レベルの民主主義と結びつき、少なくない加盟国で、国民投票という手段が用いられることになったのです。

 こうして加盟国を含めたEUの民主主義の深化がすすめられたのですが、その過程で明らかとなったもう一つの側面があります。それは、民主主義は、国境を超えることが難しいということです。もし、EU全体を枠組みとした民主主義が成立しているならば、多数決により、一部の加盟国の国民多数が反対しても、条約を発効させることができたことでしょう。しかしながら、これでは、加盟国の主権が無視されると共に、民主主義の原則にも反してしまうことになるのです。

 アイルランドの国民投票における否決は、EUが、加盟国の国民が自らの意思でNOを言えるように、民主的な制度設計されている故に起きた出来事です。NOを言える正当な権利を、加盟国は与えられているのです。その一方で、EUの視点から見ますと、それは、自らの限界を画する民主主義の大いなるジレンマなのです。

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公明党の存在を憲法に問うべき

2008年06月14日 16時11分06秒 | 日本政治
創価学会提訴の矢野元公明党委員長「国会招致応じる」(朝日新聞) - goo ニュース

 公明党は、憲法裁判が起こされていないことに胡坐をかき、政界において、その存在の既成事実化を図ろうとしているようです。しかしながら、憲法第20条の条文を読みますと、公明党は、明らかに憲法に違反していると思うのです。憲法第20条1項には、以下のように書かれています。

「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」

 公明党が違反している部分は、特に後段の”いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない”という部分です。公明党は、創価学会という新興宗教の教団が設立した政党であり、所属する議員達もまた、その支配下にあることは明白です。しかも、連立政権において、政権与党となっているのですから、政治上の権力をも行使していることも明らかなのです。創価学会は、公明党を手足にして、議員を通して立法権を行使し、政権与党として行政権をも行使しているのですから、誰がどう読みましても、公明党の存在は、この憲法第20条1項に違反しているのではないでしょうか。

 最近では、創価学会の名誉会長が中国の胡主席と会談を持つなど、政治色をさらに強めてきているようです。創価学会以外の国民にとりまして、この状況は、私的な集団によって、国家権力が乗っ取られる恐れを抱かせるに十分であり、危機感を持たざるを得ません。そろそろ、憲法裁判として、正面から公明党の合法性を問う時期にきているのではないかと思うのです。

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殺人シミュレーション・ゲームは模擬殺人?

2008年06月13日 14時05分21秒 | 社会
絶望映す身勝手な「テロ」 秋葉原事件で東浩紀氏寄稿(朝日新聞) - goo ニュース
 パソコンのソフトゲームの技術が飛躍的に向上しことから、現代に生きる人々は、企業の経営から各種のスポーツに至るまで、人間の行うあらゆる行為を、コンピューターの画面上においてシミュレーションできるようになりました。それが、一般の仕事や日常の行為であるならば、社会問題化することはないのですが、この行為が”殺人”とか”暴力”ということになりますと、これは、慎重に考えてみなくてはならないように思うのです。

 シミュレーションとは、実際に行動しなくても、脳の内部において行動した感覚を体験するというものです。つまり、一種の模擬体験であって、脳の中では、ほぼ実際に行動した場合と同じような臨場感を得ることができるのです。もちろん、実際に行動を起こさない限りは、犯罪性はありませんし、他者に対して危害を加えるものでもありません。しかしながら、”殺人”を心の中で体験してしまうゲームには、やはり、殺人者のメンタリティーを育ててしまうという極めて危険な側面があると思うのです。しかも、心の成長期にある青少年が、殺人ゲームに慣れてしまいますと、人格や脳の思考回路にまで影響を及ぼしそうなのです。

 模擬殺人と現実の殺人との違いは、おそらく、犯人の心の中では明確には区別されていないのかもしれません。青少年の健全な心を育てるためには、理不尽な殺人を誘発するような殺人ゲームは、やはり規制の対象とすべきではないか、と思うのです。

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クラスター爆弾一律禁止の功罪

2008年06月12日 17時18分19秒 | 国際政治
クラスター爆弾禁止に合意した日本政府の判断は正しい【週刊・上杉隆】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

 表面的には善き行為であっても、深くその影響を探ってゆくと、思わぬ害悪に辿りついてしまうことがあるものです。クラスター爆弾の一律禁止にも、善き面と悪しき面の両面があり、日本国の場合には、悪しき面、つまり、デメリットの方がはるかに大きくなってしまいそうなのです。

 クラスター爆弾の禁止において、善い面が優るのは、レバノンのように攻撃兵器としてクラスター爆弾が使用され、広く散布された不発弾が民間人に被害を与えるケースです。このような無差別攻撃を伴う場合には、確かに、クラスター爆弾は非人道的な兵器とみなることができましょうし、禁止には一理があります。

 しかしながら、クラスター爆弾の用途は、攻撃のみではありません。クラスター爆弾は、大規模な地上軍による占領を防ぐための防衛兵器としても効果が期待されているのです。そこで、日本国の自衛隊は、自国の長い海岸線を守るために、クラスター爆弾を防衛戦略の計画に組み込むことにしました。この場合に、クラスター爆弾の使用には、無差別攻撃や民間人を殺傷する意図はなく、自国の独立と自国民の生命を守ることが、保有の第一義的な目的となります。

 もし、クラスター爆弾禁止条約に加盟すれば、日本国は、上記の防衛戦略を見直さざるを得なくなります。中国の軍拡政策により、既に崩れてきた軍事バランスが、さらに中国有利に傾斜することになりましょう。そうして、それは同時に、中国、ロシア、韓国といったクラスター爆弾禁止条約に加盟しない周辺諸国からのクラスター爆弾攻撃に、自国民がさらされることをも意味しているのです。

 物事の判断には、様々な側面から検討を加えることが重要です。クラスター爆弾の禁止を称賛している人々は、その陰に隠れているより大きな危険性を見落としているのではないか、と思うのです。

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北朝鮮が自分自身に対する闘いを宣言?

2008年06月11日 15時55分32秒 | 国際政治
北朝鮮が「反テロ」声明 米の指定解除に向け条件整備か(朝日新聞) - goo ニュース

 北朝鮮による日本人拉致事件は未だに解決を見ず、また、核の完全放棄も査察や検証に耐えうるものとも思えません。北朝鮮が、現在進行形で”テロ国家”であることは疑いのないところなのです。その北朝鮮が、「反テロ」声明を発したというのですから、これ程、自己矛盾に満ちた態度はないと思うのです。

 言葉で言っていることと、実際の行いが大きく違う場合、人々は、その人を心から信用しないものです。たとえ、口先だけでどんなに立派な誓いを立てても、行動が伴わなくては誰も信じはくれません。この声明は、”暴力団が暴力撲滅に立ちあがった”、というニュースと同じくらい、ナンセンスな響きを持っているのです。今日は、北朝鮮の暦では、4月1日なのでしょうか?

 これまで、散々にテロ行為や犯罪行為を繰り返した北朝鮮が、国際社会において信用を得るためには、まずは、これまでの犯罪行為を反省し、解決を図ることが先決です。拉致事件の解決もそのひとつであり、客観的に確認できる実績を積み上げなくてはならないのです。

 真の自分自身に対する闘いとは、この自らの内にある悪を抉る痛みに耐えることです。北朝鮮が、まるで他人事のようにテロとの闘いを宣言しているとしたら、それは、卑怯な責任回避に他ならないと思うのです。

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地球を緑化する方法―複線路線―

2008年06月10日 14時34分32秒 | 国際経済
温室効果ガス、2020年までに14%減可能…首相(読売新聞) - goo ニュース

 排出権取引制度の導入は、地球温暖化の防止策として、ベストの方法なのでしょうか?おそらく違う、あるいは、相当に疑問の余地があると、誰もが感じていることでしょう。このように、手法の選択に疑いがある場合には(二酸化炭素原因説にも疑問があるのですが・・・)、他の選択肢を残すに越したことはありません。

 排出権取引とは、削減目標値を達成できなかった企業に対して、ペナルティーとして排出権を購入させるという制度です。もちろん、目標値を越えて削減した場合には、余剰分を売却することもできますが、大幅な削減を実現するには技術的なハードルが高く、現在のところ、削減目標>現実の削減量が予測されています(試算によれば、企業負担は数兆円とも・・・)。そこで、企業に対するペナルティー性が強いならば、他の形式のペナルティーであってもよいのではないか、と思うのです。

 排出権取引と並ぶ選択肢とて考えられるのが、緑化事業です。企業は、達成目標を下回った分を植林や緑化事業、あるいは、熱帯林の保護事業で埋め合わせるのです。例えば、二酸化炭素○○トンにつき森林△▽ha分あるいは×□本の木を、植林または保全するというように…。この方法のメリットは、増加した森林に吸収されるために、空気中の二酸化炭素量が確実に減ることと、砂漠化の防止や全般的な環境保全にも役立つことです。大地が保水力を高めれば、気温の上昇や気候の不安定化、あるいは、自然災害をも防ぐことができるかもしれません(二酸化炭素が犯人ではなくても有益な政策・・・)。

 排出権取引と並行して緑化事業を導入すれば、企業は、自らの判断で、好ましい方法を選択することができるようになります(競争のメカニズムが作用)。また、この方法の導入は、砂漠化に悩むインドや中国の参加を促すことになるかもしれません。少なくとも、効果の怪しい排出権取引に一元化することは望ましくなく、選択の余地がある複線路線の方が、はるかに安全で効果的であると思うのです。

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移民1000万人計画は逆植民地政策?

2008年06月09日 17時37分50秒 | 日本政治
移民、1000万人受け入れ提言…自民議連案(読売新聞) - goo ニュース

 かつて西欧列強は、大航海時代の幕開けと共に植民地政策を積極的に推し進め、その過程で、多数の自国民を世界各地に送り出したものです。この度、自民党議連が、1000万人にものぼる移民受け入れを提言するとの報道に接し、これは、逆植民地政策なのではないか、と思うのです。

 どのような意味で逆植民地政策なのか、と申しますと、海外に植民地を求めるのではなく、反対に、自国を海外の植民者に開放するという点です。目的は人口減少の阻止にあるようですが、この政策は、一つ間違えますと、真正の植民地政策に転換してしまう公算の高い極めて危険な劇薬ではないか、と思うのです。

 何故ならば、第一に、1000万人という数は、日本の人口の十分の一にも及ぶことです。将来的には、日本人家族と移民家族との間の出生率の差により、人口比率が逆転する可能性もあります。その結果、日本人が少数派に転落してしまうかもしれないのです。民主主義の制度の下では、多数派の形成は、政治的な決定権を意味しますので、自国が消滅する道を準備することになります(庇を貸して母屋を取られる?)。

 第二に、多数派を形成しないまでも、それぞれの母国を絆とした強力な民族系の圧力団体を結成し、政治や教育、さらには歴史への介入を試みるかもしれません。この危険性は、韓国の民団や北朝鮮の総連で証明済みです。

 第三に、政府は、この1000万人の中に多数の中国人を数えていることでしょう。もし、共産主義の教育を受けた数百万の人々が、長野の聖火リレーのように、本国からの指令によって大規模な動員がかけられたとしたら、日本国に、共産革命を起こすことさえ、不可能とは言えないかもしれません。あるいは、親中の政権を誕生させて、ソ連や中国の常套手段である、人民解放軍の呼び込みを行うかもしれません。こうなりますと、日本国は、チベットと同様に、正真正銘、植民地化されることになるのです。

 移民1000万人計画が、国民多数の支持を得られるとは、到底考えられません。自民党の「外国人材交流推進議員連盟」の方々は、国民に喧嘩を売っているのでしょうか?

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そして誰もが不幸になった―原油高騰の悲劇

2008年06月08日 13時37分49秒 | 国際経済
原油高騰、消費国・産油国双方の利益に反する=G5エネルギー相会合(ロイター) - goo ニュース

 果たして、この原油価格高騰の末に、利益を得る人達がいるのでしょうか。どうやら、この原油高騰の狂想劇は、大団円なき終わり迎えそうなのです。

 原油価格の高騰で、まず打撃を受けるのは、物価の全般的な上昇にさらされる消費者です。この消費者が自ら採れる対応策は、節約しかありません。

 第二に、必要経費が上昇する企業もまた収益の減少に見舞われます。企業の場合には、対策として、短期的な節約の他に、長期的にはエネルギー効率の改善や代替エネルギーへの転換を図ることができます。それでも、体制が整うまでは、経営は圧迫されることになりましょう。

 第三に、産油国の場合はどうでしょうか。産油国は、短期的には自国に流れ込むオイルマネーで潤うことができます。ただし、長期的には、消費者や企業の防衛策による石油の消費量の減少と代替エネルギーの普及に脅かされることになります。

 それでは、この劇の影の主役である金融機関や投資家は、ハッピーエンドを迎えることができるのでしょうか。もとより、サブプライム問題での損失の短期的な穴埋め策として石油市場投機が始まったとも指摘されていますので、出発点からして、幸福そうではありません。そうして、バブルが崩壊しますと、金融市場もまた、損失の拡大と金融秩序の不安定化という更なる被害を被ることになりましょう。それも、市場を道連れにして・・・。

 もっとも、金融部門には、ごくごく一部の”売り抜け”に成功した人々のみが利益を掴む可能性は残されています。しかしながら、全ての人々を不幸にし、自らだけが利益を得たことに良心の呵責を感じるかもしれません(もちろん、感じない人もいるのでしょうが)。

 もし、こうした悲劇が人類の将来に待ち受けているとしたら、被害を最小限に抑えるための手を打たなくてはなりません。もう既に、悲劇の最終幕は、その幕を閉じようとしているのですから。
 
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競っているのは選手?スポーツ会社?

2008年06月07日 15時30分16秒 | 社会
北島、スピード社製水着で日本新!/水泳(サンケイスポーツ) - goo ニュース

 着用する水着によって、明らかに勝敗が決まってしまうとなりますと、選手の誰もが”最速の水着”を着用したいにきまっています。この点において、選手達の心がスピード社の水着着用に傾くことは理解に難くないのですが、この騒動、競争が、プールから離れて別のところでも行われている結果とも思うのです。

 もし、最速の選手を決定することに競泳本来の意義があるならば、条件が同じでなくては不公平になります。条件の公平性を確保するために、選手全員が、同じ社が製造し、全く性能の等しい水着を着用することがベストということになりましょう。しかしながら、その一方で、戦後、スポーツ市場は大きく成長し、オリンピックや世界選手権といった国際的な大会は、スポーツ会社にとって、自社製品の優秀性をアピールする絶好のチャンスとなっています。つまり、国際大会とは、選手のみならず、スポーツ会社が熾烈な闘いを演じる舞台に他ならないのです。

 この二重競争の構図こそ、今回の騒動の発端と言えそうです。スポーツ各社が互角の闘いを続けている間は、この問題は表面化しませんでしたが、スピード社一社が他社に”水をあけた”ことによって、性能の差が、選手間の競争条件の公平性の問題にまで発展してしまったと考えられるのです。

 スピード水着の規制により、スポーツ各社が技術開発競争をやめてしまうことになれば、これもまた問題ですので、大会が開かれる数か月前の段階において、公正な検査と審査の下で、最も優れた水着を大会用に採用する方法はどうか、と思うのです。この方法ですと、次の大会までの間に技術開発を進めれば、他の会社にもチャンスが巡ってくることになります。また、採用水着は、競技種目ごとに選ばれるようにすれば、各社は、対象を特定の種目に絞った開発を行えるかもしれません。

 もっとも、こうした制度がなくとも、結局は自然淘汰により、選手全員がスピード社水着着用ということになりそうですが・・・。

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将来に託された真の女性評価

2008年06月06日 13時29分26秒 | アメリカ
【票流底流 2008米大統領選】クリントン氏、メディアも批判 (産経新聞) - goo ニュース

 クリントン氏の事例をもって、アメリカ社会の女性差別の影響を論じることには、かなり無理があるようです。それでは、何が、女性の評価を難しくしているのでしょうか。

 それは、第一に、クリントン氏は、確かに女性ではあるのですが、女性一般とは異なって、極めて稀な境遇にあるからです。クリントン氏の夫は、元大統領という立場にあります。夫である元大統領と二人三脚で選挙を闘ったのですから、今日までの善戦が、一人の女性の力であったのかを正確に評価することは難しいのです。

 第二に、選挙を闘った相手が、クリントン女史と同様にマイノリティー出身の候補と見なされてきたオバマ氏であったことです。仮に、白人マジョリティー出身の候補者と闘ったとしましたら、性差が選挙結果に与える影響がよりはっきりと見えたかもしれません。

 結局、今回の民主党の予備選において、女性であることのマイナス要因を見極めることは難しく、それは、将来のアメリカ大統領選挙に託されているのかもしれません。しかしながら、イギリスのサッチャー首相やドイツのメルケル首相などを見る限り、女性が、政治的能力において決定的に劣っているとも思えないのです。

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結婚は不合理な差別の始まり?

2008年06月05日 16時32分57秒 | 国際政治
違憲判決受け「国籍法」改正へ、鳩山法相が参院委で言明(読売新聞) - goo ニュース

 婚外子の日本国籍の取得については、各新聞ともに、最高裁判所の判決を評価する社説を載せているようです。世論にあっても同情論が強く、冷たいことを書くようですが、どうしても、この判決には腑に落ちない点があるのです。

 それは第一に、裁判所が、不合理な差別とみなすに当たって、婚姻の有無を挙げていることです。この判決で示された基準は、他の類似の訴訟や法の改正問題に波及するかもしれません。例えば、嫡出子と非嫡出子との間の相続権も、子には責任がないのですから、平等にすべきことになります。また、法律上の妻とお妾さんとの間の権利にも、格差をつけることは難しくなります。この原則の延長線上には、婚姻制度崩壊まで見えてくるのです(もっとも、いつの間にか一夫多妻制が実現し、殿方にとっては喜ばしいかもしれませんが、女性からは猛反発が・・・)。

 第二に、憲法第14条が保障している法の前の平等は、”国民”に対してであり、外国人には及ばないことです。つまり、今回のケースは、憲法の域外適用となるかもしれないのです。しかも、憲法第10条は、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とわざわざ明記し、国籍法は、立法府の裁量に含まれることを示しているのです。

 第三におかしいのは、国籍法が制定された1984年には合憲であって、2003年の時点では、違憲になったという説明です。もし、国民意識の変化によって、法律を変える必要があるならば、それは、国民を代表する立法府が行うべき仕事と言えましょう(司法の立法に対する越権では・・・)。

 第四に、裁判所に、国籍付与の権利があるのか、否かの問題があります。国籍付与は法務省の権限ですが、国籍法は、法律が改正されない間は有効なはずです。裁判所は、現行の国籍法を無効にすることなく、行政機関に対して法律に反する行為を命じることができるのでしょうか?(司法の行政に対する越権では・・・)

 第五に、国籍取得に関する訴訟には、訴える側にも深層心理において差別意識があることです(日本>母国)。母国の国籍に代えて日本国籍を取得して喜ぶ姿は、母国の人々の誇りを傷つけることになるかもしれません。 

 そうして、さらにショッキングであったことは、原告の方々が、「フィリピン移民万歳」と、日本語ではなくタガログ語で叫んだと言うのです(本日付産経新聞朝刊)。日本国籍を取得し、日本人となるにもかかわらず・・・。 

 もし、婚外子の国籍取得を求めるならば、議会への国籍法改正の請願が最も相応しい方法であり、その方が、はるかに多くの国民の支持を得られたのではないか、と思うのです。


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愕然とする長野聖火リレーとの落差

2008年06月04日 16時09分30秒 | アジア
国旗燃やせば刑事責任追及=五輪競技場で政治活動禁止-中国(時事通信) - goo ニュース

 長野で行われた北京オリンピックの聖火リレーに際し、日本国の警察が自国民を守らなかったことに厳しい批判が声が上がったことは、記憶に新しいところです。中国政府の指令を受けて全国から動員された在日中国人の集団が、政治的なスローガンを掲げて粗暴に振る舞まい、日本国のチベット支持派に対して危害を加えようとも、警察は、見て見ぬふりをしたのです。長野聖火リレーは、日本国の言論の自由を揺るがす大事件であったのです。

 ところで、中国の北京オリンピックの組織委員会がまとめたという「法律ガイド」は、日本国政府の態度の真逆の意味において、反対方向に悪さを倍増させています。何故ならば、外国人に対して、競技場の施設内で「宗教的・政治的なスローガン」を掲げることを禁止し、中国国旗を毀損する場合にも、刑事罰を科すと記しているからです。つまり、中国国内にあっては、自らが他国において行ったような行為は、断じて許さないと宣言しているのです。もし、中国において、日本人が、日本において中国人が行ったことと同様の行為を行えば、即刻逮捕、ということになりかねません。

 中国には、言論や表現の自由が保障されていないことも憂うべき問題ですが、加えて、中国政府が、他の諸国に対して示す傲慢な態度と内政干渉もまた大きな問題です。この明白な”不平等”な関係の押し付けこそ、真の”許されない行為”なのではないか、と思うのです。

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農業が多目的化した時代の行方

2008年06月03日 16時51分21秒 | 国際経済
食糧サミット政治宣言案、バイオ燃料焦点(産経新聞) - goo ニュース

 農業とは、人類が生きるために必要な食糧を生産することであって、農業政策が専ら扱う分野でした。しかしながら、今日の農業、あるいは、バイオ産業は、農業政策の専属ではもはやなく、エネルギー政策や環境政策といった他の政策の目的にも利用されるようになりました。現在、食糧価格の高騰が国際問題化していますが、これもまた、農業の多目的化への過渡期における摩擦ではないか、と思うのです。

 多目的化の現実を考えますと、食糧価格高騰への対策は、そう簡単ではなさそうです。例えば、単純にバイオ燃料の生産を抑制しますと、この影響が、エネルギー分野に波及し、石油価格の更なる高騰を招くかもしれません。また、環境政策の観点から見ましても、バイオ燃料は、自然エネルギーの利用拡大という目標にはかなっています。

 農業の長期的な多目的化を評価するとしますと、問題となるのは、食糧価格高騰の煽りを受けて食糧不足に苦しむ人々が、地球上に数多く存在していることです。この食糧問題の解決には、エネルギー政策や環境政策との両立を模索する必要があり、多様な政策手法を繰り出す必要がありそうです。食糧支援といった短期的な救済や、途上国への農業技術指導、穀物以外の植物のバイオ燃料化技術の開発といった中・長期的な支援の他に、投機の規制や課税強化による穀物市場での価格暴騰を防ぐ措置にも効果が期待できるかもしれません(声高には主張されていませんが・・・)。

 将来、植物が、人類に十分な食料を提供するとともに、エネルギーをももたらしてくれるようになるとしますと、”緑豊かな惑星”という地球の理想像にもかなっうことになりましょう。農地が、これまでにない付加価値を生み出すとするならば、それは、人類にとっては、より自然にそった生活様式に向けての重大な一歩でもあるのです。しかしながら、現在、我々は、その入口に立っているに過ぎないことを、自覚しなければならないのです。 

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アフリカ諸国―”指導者頼り”に限界か

2008年06月02日 17時57分50秒 | アフリカ
【明解要解】なぜ「暴君」に? ジンバブエのムガベ大統領(産経新聞) - goo ニュース

 「自由の戦士」から「暴君」への急転直下の堕落。この180度の変身は、これまでムガベ大統領を称賛してきた人々にとっては、信じられない事態でありましょう。その説明として、旧宗主国であるイギリスに対する遺恨が指摘されていますが、ムカベ大統領個人の心理的な要因の他に、アフリカ諸国が抱えている統治制度の未整備問題もあるように思うのです。

 これまでのアフリカ諸国に対する評価は、どのような人物が国のリーダーであるかによって大きく左右されてきました。この結果、英雄も生まれれば、残虐な独裁者も登場してきたのです。しかしながら、国家の運営が人頼りであるということは、それだけ、不安定であることをも意味しています。政権交代による変化に加えて、同じ指導者であっても、内面の心理状態が激変すれば、当然に、政策も評価も180度変わってしまいます。ムカベ大統領の堕落は、ジンバブエという国家をも道連れにしてしまった言えましょう。

 アフリカ諸国が政治的に安定するためには、この”指導者頼り”から脱却する必要があるのではないか、と思うのです。言い換えますと、残酷な独裁者を誕生させないためには、統治制度に暴走を抑える制御装置―リコール制や弾劾制度の導入、選挙の健全化、権力分立の徹底、チャック・アンド・バランス・・・―を設けることが必要なのです。アフリカ諸国の将来は、いかなる国家の統治機構を構築するのか、にもかかっているのではないでしょうか。

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