万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

天津大爆発の余波は中国の体制を揺るがす?

2015年08月16日 14時27分37秒 | アジア
50ウェブサイト閉鎖=天津爆発でデマ―中国
 先一昨日、中国の天津市で発生した大爆発に関連して、中国当局は、デマを流したとして50ばかりのウェブサイトを閉鎖させたそうです。しかしながら、一般市民から発信された情報は、本当に”デマ”であったのでしょうか。

 流された”デマ”の内容とは、”死者は少なくとも1000人”とか、”天津は混乱し、商店が強奪されている”というものだそうです。中には正真正銘の”デマ”もあるのでしょうが、少なくとも、中国当局が発表する情報にも怪しさがあります。当局は火薬24トン級と説明しておりますが、実際には、100トンを超えるとされており、爆発時の映像を見ますと、かなり広範囲の地域が焦土と化しています。そして、実を申しますと、当局が情報統制を始める以前に撮影されたとする映像をネット上で見てしまったのですが、その映像には、世にも恐ろしい凄惨な光景が映っていたのです…。その映像が本物であれば(造りものとは思えない…)、当局が発表する被害者の数字は小さすぎます。また、断続的に小規模な爆発が続き、有毒物質の流出も懸念されていますので、実際には、事態は相当に深刻なのではないかと推測されます。爆発事故を起こした企業の経営者は、天津市の市長と繋がりがあるとする情報も、中国当局が情報隠蔽に走る理由を説明しています。

 仮に、今後とも一般市民に被害が拡大する可能性があるならば、正確な情報の公開と共に避難措置を講じるべきです。当局の対応に不備があれば、大爆発の余波は、今後、中国の一党独裁体制をも大きく揺るがしかねないと思うのです。

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戦後70年談話に対する中韓の反応から真意を読む

2015年08月15日 14時14分34秒 | アジア
韓国の朴大統領「日本の誠意ある行動が必要」 安倍談話
 昨日の夕刻、安倍首相は、国民の高い関心を集めてきまいりました戦後70年談話を公表されました。様々な方面から有形無形の要望や圧力を受けてきたため、苦心が滲み出るような文面であり、この側面を考慮しますと、解釈の幅が広くなることも致し方ないことかもしれません。

 ところで、70年談話に対しては、中韓からも一定の評価が示されたとの報道もあります。しかしながら、その評価の内容や批判点を吟味しますと、両国が、70年談話において執拗に”侵略”、”植民地支配”、”謝罪”といった言葉に拘った理由が見えてまいります。まず、中国の反応ですが、中国に対する一定の配慮を認めつつも、最も反発を示した点は、”…私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を負わせてなりません”の件であったようです。この一文に対する拒絶反応は、中国が、未来永劫にわたって日本国が謝罪を繰り返すことを求めていることを示しています。つまり、談話に”謝罪”の言葉を入れれば中国との和解が成立し、以降、談話を出す必要もなくなるとする見通しは楽観的であったことが分かるのです。ですから、今回の70年談話に事実上の”打ち切り宣言”が含まれていたことは、極めて適切な判断であったと考えられるのです。次に韓国の反応を見ますと、韓国の場合は、要求してきたキーワードに言及したことなどを評価しつつ、”日本の誠意ある行動が必要”と畳み掛けています。この態度からも、韓国の真意が透けて見えます。韓国が言う”誠意ある行動”とは先の大戦を根拠とした賠償や補償の支払いであり、”日本国は責任を認めたのだから、賠償や補償に応じよ”ということなのです。韓国の反応からも、談話で譲歩すれば、韓国側は、以後、歴史問題について何らの要求も行わないだろう、とする予測が甘かったことが理解できます。韓国の談話に対する評価とは、対日要求のためのステップなのです。

 加えて、両国は、国際社会の現状、並びに、未来志向の部分を完全に無視しております。この無視を決め込む態度は、今日、両国が、自由、民主主義、法の支配といった価値、並びに、植民地主義の否定などを、日本国のみならず国際社会と共有しようとしていないことの現れです。70年談話への反応として明らかにされた真意は、両国への譲歩や配慮は、もはや不要であることを示しているのではないでしょうか。

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第二次世界大戦の和解には相互謝罪と相互恩赦が必要

2015年08月14日 15時08分19秒 | 国際政治
70年談話、今夕に閣議決定=平和国家の歩み強調
 戦争というものが人間の相互殺害を以って成立する限り、残虐行為は常につきまとうものです。人道主義の流れにおける戦争法の出現は、戦争の残虐性を薄めてはきましてが、その本質において残酷であることには変わりはありません。

 戦争に反対する人々は、戦争を絶対悪と見なすのも、戦争そのものに内在する残虐性の故なのですが、その一方で、古今東西を問わず、人類史が戦争によって彩られており、戦争は、居住領域の確保、資源の獲得、自国民の保護といった理由によって、正当な行為として認められてきたのです。今日においても、国際法において防衛戦争、制裁戦争、及び、独立戦争などは合法的な戦争です。仮に残虐性の存在のみを以って戦争を糾弾するとすれば、全ての戦争が批判の対象となります。軍人であれ、民間人であれ、戦争に伴って生じた被害者に対して謝罪すべきとなるのです。本日の夕刻に、戦後70年談話がいよいよ閣議決定されますが、”侵略””植民地支配””謝罪”のといったキーワードがどのように扱われるのか、関心を集めております。ドイツやイタリアでさえ、戦争そのものに対しては謝罪をしておらず(ドイツのブラント元首相の謝罪は、ポーランドに対してではなく、ワルシャワのユダヤ人ゲットーでの謝罪ですので、侵略ではなく、ユダヤ人迫害に対する謝罪…)、この点は、”侵略”や”植民地支配”の認定の如何に拘わらず、講和条約の国際ルールに則って、謝罪をする必要はないものと思われます。その一方で、日本軍の残虐行為に対する謝罪を求める声もあり、海外メディアの論調は、どちらかと申しますと、こちらの方が強いようです。しかしながら、戦争においては、戦争の勝敗に拘わらず、交戦国の凡そ全てが残虐行為を行い、不本意ながらも極限状態にあって道徳から逸脱することがあったのですから、日本国のみならず、謝罪は、全ての交戦国がすべきことです(もっとも、韓国の主張する慰安婦問題のように明らかに虚偽である場合には謝罪の必要はなく、あくあまでも、事実に即すべき…)。

 戦後70年談話では、謝罪面ばかりが強調され、それも、日本国による一方的なものです。戦後70年を経て第二次世界大戦の和解を実現しようとするならば、相互謝罪と相互恩赦こそ必要不可欠です。日本一国が、中韓を含めて全世界に対して謝罪する構図では、和解の条件を根本的に欠いておりますし、中韓に政治利用されかねないと思うのです。

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過去の談話の日本100%悪玉論への疑問

2015年08月13日 16時38分46秒 | アジア
鳩山氏、ひざまずき合掌=植民地時代の刑務所跡で―韓国
 昨日、日本国の元首相である鳩山由紀夫氏が、韓国の刑務所跡で土下座の謝罪をいたしました。氏は、明日、閣議決定される戦後70年談話でも、”侵略”、”植民地支配”、”謝罪”の言葉を含めるよう強く求めております。

 河野談話、村山談話、そして、小泉談話も、どの談話も、日本100%悪玉論に立脚しております。相手国には一切の責任はなく、日本国のみが謝罪すべき立場であるとする歴史認識に基づいているのです。しかしながら、戦前の国際社会の状況を考慮しますと、現在の基準を当てはめることには無理があります。韓国併合は1910年ですが、アメリカのウィルソン大統領の提唱によって民族自決の原則が世界大に広がるのは第一次世界大戦末のことであり、それが実際に実現するのも、第二次世界大戦後を待たねばなりませんでした。韓国において、3.1運動などの独立運動が起きるのも、1919年以降のことです。日本国の朝鮮統治が近代化に貢献したことは韓国は認めようとはしませんが、当時の韓国人は、日本の一部となることで利益を得た面も少なくないのです。例えば、日本国への仕事を求めての移住も、樺太などの日本領への入植も、そして満州や海外への移民も、日本国籍を保有していればこそ得られたチャンスです。こうした側面を全く無視し、100%日本悪玉論を前提とした謝罪は、事実に即しているとは思えません。中国にしましても、当時の状況を詳細に詰めていきますと、中国側にも責任があることが浮かび上がってまいります。今日ほど国際法や制度が整っていない時代には、法律問題ではなく、双方に言い分がある政治問題の側面が強い場合が多々あり、責任の比重は60%と40%、50%と50%、70%と30%…などなど、一方に偏ることはないのです。

 中国も韓国も、過去において日本国に対して謝るべき非人道的な行為も行っております。戦後70年談話において日本国が謝罪すれば、中韓も日本国に対して謝罪を行うのでしょうか?明日の戦後70年談話では、日本100%悪玉論の肯定とならぬことを祈るばかりです。

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戦後70年談話-中国の属国になること勿れ

2015年08月12日 15時08分49秒 | 国際政治
「未来永劫謝罪するのか」=自民・稲田氏
 戦後50周年に当たる1995年に村山談話が公表されて以来、第二次世界大戦から数えて節目の年ごとに、首相が談話を発表するスタイルが慣例化しつつあります。あたかも近代以前のアジアに逆戻りしたかのような光景です。

 冊封体制下では、宗主国と冊封国との間には厳格な外交上の儀礼があり、冊封国は、宗主国に対し貢物に添えて必ず”天子の徳を讃える文章”を提出する義務があったそうです。奏上の慣例は、宗主国にとりましては冊封国に対して臣下である自覚を促す手段である一方で、冊封国の側にとりましても、宗主国に対する服従を誓う重要な場であったのです。こうした冊封体制の儀礼的慣行に照らしますと、今日の”戦後談話”の慣例は、文章の内容こそ違うものの、どこか共通点があるように思えます。かつては、美辞麗句を以って宗主国が上位にあることが示されましたが、今日では、中国は、日本国に対して加害国の立場を認めさせ、謝罪を表明させることで下位の地位にあることを確認しようとしているように見えるのです。アジアでは、過去の歴史にあっては、中華帝国が周辺国を戦争で打ち負かすことによって長期的な冊封体制を形成してきました。21世紀に至っても、中国は、その気分から抜け切れていないのです(戦争に勝利すれば宗主国になれる…)。一方、今日の国際社会では、講和条約の締結を以って戦争による敵味方の関係は消滅し、以後、国家間の関係は対等となります。つまり、中国の垂直思考と国際社会の並列思考との間には、埋めがたいギャップがあるのです(謝っても並列思考に転換することはない…)。

 戦後70年談話では、中国や韓国に対して謝罪を求める意見も聞かれますし、戦場が中国大陸であったことから謝罪しないことに良心の痛みを感じる日本国民も少なくないかもしれません。しかしながら、謝罪を求める行為こそ国際社会のルール違反でもあり、また、過去の怨恨を未来に引き継ぐと共に、上下関係を固定化させる結果をもたらすことを予測しますと、戦後70年談話に際しては、日本国は、中国による冊封風味の儀礼要求に屈するのではなく、国際社会のルールにこそ合わせるべきと思うのです。

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安保法案と70年談話の裏取引は禁じ手では?

2015年08月11日 15時14分31秒 | 国際政治
歴代談話、明確に継承を=山口公明代表
 安保法案については、公明党の支持母体である創価学会は、平和の党として反対の立場にあると報じられております。このため、採決に際しての公明党の造反もあり得るとの憶測もあります。

 こうした中、70年談話についても、公明党は、過去の談話を引き継ぎ、”侵略”、”植民地支配”並びに”お詫び”を70年談話にも明記すべしと迫っております。公明党の強硬姿勢については、時期が重なるため、安保法案の成立と70年談話における譲歩のバーターではないか、とする推測もあります。70年談話で要求に応じれば、法案の採決では協力するという…。果たして、こうした裏取引とも言うべきバーターは、民主的な国家における政治手段として許されるのでしょうか。安保法案も70年談話も、日本国民にとりましては、極めて重要な問題です。ところが、仮にこの裏取引が存在しているとしますと、日本国民は、公明党によって、どちらを選択しても不利な状況に追い詰められます。過去にも似たような事件は発生しており、菅元首相が、自らの辞任と引き換えに再生エネ法の成立を求めた結果、後々、この欠陥制度の是正に苦慮することになりました。連立政権にあって、自らの主張を通すために連立相手に二者択一を迫る手法は一種の脅迫ですので、政治手法としてはアンフェアです。国民の望まない法案がしばしば成立してしまう原因の一つは、密室における政党間のバーター取引にあり、こうした”禁じ手”を止めないことには、国民のための政治は実現しません。

 真偽のほどは不明ですが、裏取引説は、中国と公明党との密接な関係は既に報じられておりますので(中国の王毅外相は創価大学への留学経験あり…)、全くあり得ない事でもなさそうです。しかも、外国である中国をバックとした裏取引であるとしますと、連立政権の内部に敷かれた内政干渉のルートにもなりかねないと思うのです。

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何故SEALDsは”法の支配”を掲げないのか?

2015年08月10日 16時18分48秒 | 国際政治
 安保法案に対して反対デモを組織している学生団体SEALDsの名称は、Students Emergency Action for Liberal Democracyの略称であり、意味としては、”自由で民主的な社会を守るための緊急アクション”なそうです。しかしながら、今日、国際社会が抱えている最大の問題に注目しますと、この団体の背景が見えてきます。

 国際社会は、今日、一部の国家、並びに、武装集団による国際法を無視した行動に対して危機感を共有しています。最大の脅威は、”無法国家”による武力を背景とした拡張主義や国際ネットワーク化したテロリズムにあり、安保法案は、こうした脅威に備えた法案とも言えます。それ故に、安保法案には、国際法に照らして違法な内容は一切ないのです。一方、SEALDsは、”自由で民主的な社会”を敢えて日本の社会に限定し、安保法案のみならず、憲法第9条に関する政府解釈の変更を違憲として批判しています。国内問題に押し込めることで、批判の矛先を専ら日本国政府に向けているのです。ところが、SEALDs自身が”戦争法”と称しているように、安保法案とは、日本国の法律ではありますが、自国の防衛を含む国際社会の問題に対処することを目的に作成されています。ですから、SEALDsも、平和を訴えるならば、国家レベルでの自由と民主主義にもまして、国際レベルでの法の支配を強調しなければならないはずなのです。今日における戦争、特に、集団的自衛権が発動される戦争とは、国際法上の違法行為である侵略等に対する防衛戦争となるのですから。

 SEALDsは、軍事力に代わる平和の実現手段として、外交による話し合いを主張してもいますが、まずは、中国に対して”法の支配”、即ち、国際法の遵守を求めるのが筋です。外交交渉では、孫子の兵法にいう”戦わずして勝つ”ことを許しますし(無抵抗による属国化…)、中国が、国際法を順守し、共通ルールとしての行動規範を守っていれば、戦争は起きないのです。国際社会において最も重視されるべき”法の支配”を堂々と擁護できないSEALDsに、中国への阿り、あるいは、共産主義の影が見えるのです。

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アメリカのイラン核合意と日本の戦後70年談話-相手国の信頼性の問題

2015年08月09日 15時21分20秒 | 国際政治
安倍談話の原案「おわび」盛らず 公明「侵略」明示要求
 イランの核開発問題に関しては、先日、イランとの間に歴史的な合意が成立しました。ところが、交渉を主導したアメリカ国内では、議会や世論の反発を招いており、オバマ大統領も、反対を押さえるべく説明に追われているようです。

 イラン合意の内容が、政府の説明通りの厳格な手続きで実施されれば、イランの核保有は遠のき、中東一帯の安定に貢献することでしょう。おそらく、これが20年前であれば、アメリカ国内も歓迎一色であったかもしれません。しかしながら、今日、当合意に対する懐疑論が渦巻いている背景には、1994年の米朝合意の苦い経験が記憶があるからではないかと推察されます。凡そ20年前、北朝鮮の核開発を阻止すべく、アメリカは、飴を与える形で北朝鮮との間に核開発放棄の合意を取り付けました。ところが、北朝鮮は、その後も密かに核開発を継続し、アメリカの鼻を明かすかのように核保有を宣言するに至るのです。今回のイランとの合意では、米朝合意の再来を防ぐために、プルトニウム型とウラン型の両タイプを開発凍結の対象とし、査察の項目も設けているようです。とは言いますものの、イランが誠実な国ではない場合には、”抜け道”を造られてしまう可能性は否定できません。たとえ、完璧を期した合意であっても、相手国次第では、空文化に留まらず、米朝合意の如く、図らずも相手国の目的達成を援けてしまう場合もあるのです。日本国の戦後70年談話もまた、実のところ、同様の問題を抱えています。日本国の首相が、談話において、相手国の求めに応じて、善意から”侵略”、”植民地支配”並びに”お詫び”を述べたとしても、中国や韓国の隠された目的に利用される怖れがあるからです。中韓が、これらの文言に殊更に拘る理由は、対日要求カード、そして、自己正当化の根拠としてこれ程万能で強力なものはないからです。

 国際社会においては、政府の決定に対する評価が、相手国との信頼関係によって左右されることがままあります。アメリカがイランを信じるか否か、そして、イランがアメリカに対して信義を重んじるか否か、この信頼性の問題こそが、イラン合意をめぐる対立軸でもあります。そして、日本国でも、戦後70年談話に際して、中国や韓国を信じられるのか、と問われた時、過去の歴代の談話への反応は、米朝合意と同様に、両国の不誠実さを示す悪しき前例となっているのです。

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戦後70年談話-”侵略”をめぐる中国の”王手”から逃れる方法は?

2015年08月08日 15時01分08秒 | 日本政治
70年談話、14日に閣議決定=公明代表に原案説明―安倍首相
 内外の関心を集めてきた戦後70年談話は、今月14日には閣議決定される模様です。中国と韓国は、”侵略”と”植民地支配”を文言に入れるべきとの圧力を強めておりますが、”侵略”も”植民地支配”も、談話に明記する必要はないのではないかと思うのです。

 中国は、70年談話の一連の流れによって、首尾よく日本国を追い詰めたと悦に入っていたと推測されます。まず、日本国が、自ら先の大戦を”侵略”と認めれば、日本国を侵略国家と断定し、対日要求をエスカレートさせることができます。今回の70年談話報告書では、一先ず侵略の開始時期を満州事変の発生時に設定しているようですが、一旦、侵略を認めさせれば、さらに過去に遡り、尖閣諸島の編入や琉球処分をも”侵略”として糾弾することでしょう(実際に、中国は、尖閣諸島は、日清戦争の際に強奪されたと主張している…)。言い換えますと、単なる歴史認識問題に留まらず、”領土問題”にまで発展させる道を開くことができるのです(対日戦争の根拠に…)。加えて、日本国自らの侵略承認は、日本国と東南アジア諸国をはじめ他のアジア諸国との間に楔を打つことにもなります(対中包囲網の分断…)。

 一方、日本国が”侵略”という言葉を使わなければ、日本国は戦前の軍国主義に回帰していると宣伝し、対日軍事行動の正当化の根拠に使おうとすることでしょう。国連憲章には、死文化したとはいえ、文面としては敵国条項が残されておりますので、その効力を主張するかもしれません。また、国内世論を煽ることで、反日暴動や日本製品不買運動を誘導し、さらには、対日開戦の口実とするかもしれません。

 どちらを選択しても、日本国にとりましては不利なのですから、中国は、日本国に対して”王手”をかけたつもりなのです。このままでは、万事休すの状態となるのですが、日本国は、活路を見出すことは出来るのでしょうか。まず、”侵略”を書くか否かの選択については、”書かない”選択の方が、長期的には賢明のように思えます。”侵略認定”は、中国にとりましては、無限の対日要求カードとなるからです。一方、”書かない”場合のリスクについては、抑制やコントロールが可能です。国際社会におけるマイナス影響を回避するために、”侵略”を書かなかった理由を諸外国に説明すれば、中国の宣伝効果を押さえることができます。また、敵国条項は、1995年12月15日の第26回国連総会で採択された国連総会決議50/51において、空文化と将来の憲章改正に際しての削除が決定されています。反日暴動や不買運動も、中国経済が曲がり角に来ている今日では、以前ほど効果はなく、逆に、日本国からの投資撤退を引き起こします。最後の難題は、煽動した反日世論に応える形での対日開戦ですが、70年談話にて、戦後の法の支配の確立に向けた努力の中で、”侵略”に関する国際法の整備が進み(「侵略の定義に関する決議」の国連総会での採択は1974年)、紛争の平和的な解決が求められるに至った今日の国際社会を高く評価すれば、現在の、そして未来の中国の”侵略”行動に釘を刺すことができます。

 戦後70年談話を機に、中国が”中国の夢”という名の華夷秩序の復活を目論んでいるとしますと、この謀略を止めることこそ、日本国が、国際の平和と安全のために果たすべき仕事でもあります。戦後70年談話は、この意味において、終戦の日に誓った平和への道を体現するものであってほしいと思うのです。

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戦後70年談話報告書-懸念される東南アジア諸国への反日波及

2015年08月07日 15時25分10秒 | 国際政治
【21世紀懇報告書】民主・枝野氏「いろいろな意見足し算」 谷垣氏「良く分析してある」
 戦後70年談話のために設けられた有識者会議「21世紀構想懇話会」の報告書が纏まり、昨日、西室座長から安倍首相に手渡されました。報告書の要旨は、各紙とも紙面を大きく割いて報じており、国民の関心の高さが伺えます。

 当報告書においては「侵略」という言葉が使われており、この点が議論ともなっておりますが、もう一つ、この報告書には、重大な問題点が含まれております。それは、アジア諸国の独立に触れた後で、「多くの意思決定は、自存自衛の名の下で行われたのであって、アジア解放のために決断したことはほとんどない」と言い切り、続けて「アジア解放のために戦った人はいたし、結果としてアジアにおける植民地の独立は進んだが、国策として日本がアジア解放のために戦ったと主張することは正確ではない」と綴っております。残されている史料に照らしてみましても、この記述は、史実と合致しているようには思えません。昭和天皇の開戦の詔では、「列国との交誼を篤くし万邦共栄」を願っているにも拘らず、中国大陸では中華民国が平和を攪乱し、それを支援する米英がアジアを征服しようとしているため、やむを得ず、「東亜の永遠の平和を確立し以て帝国の光栄を保全」することが戦争の目的であると述べています。また、1943年11月6日に発せられた「大東亜共同宣言」では、米英に対して「大東亞隷属化の野望を逞しうし、遂には大東亞の安定を根柢より覆さんとせり。大東亞戦争の原因ここに存す。大東亞各国は相提携して大東亞戦争を完遂し、大東亞を米英の桎梏より解放して、其の自存自衛を全うし…」と明記し、戦争の目的が植民地解放であることを宣言しています。これらの史料は、植民地解放が日本国の国策であったことの証ですし、市丸中将のルーズベルト大統領の手紙からも、当時の日本国軍人が植民地解放の使命に燃えていたことが分かります(戦後、インドネシアでは、旧日本兵が独立戦争に義勇兵として参加…)。そして、昭和天皇の終戦の詔には、「朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。」とあり、植民地解放のために共に戦ったアジア諸国に対し、申し訳ないとするお気持ちを表わされておられるのです。実際に、日本軍が、東南アジア諸国において独立を目指す民族解放勢力の協力を得て占領し、独立を支援したことも歴史の事実です。

 ところが、報告書が述べる内容が事実であるとしますと、日本国は、東南アジアの諸国を騙したことにもなります。日本国は、”独立を援けると見せかけて、実は侵略しました”と認めることになるのですから(報告書の記述が事実であるならば、皆を納得させる根拠や証拠の提示を…)。当時の日本国が自らの国益のために戦った側面は否定はしませんし、報告書の表現には戦勝国への配慮もあるのでしょうが、史実から離れた記述は、新たな問題を抱え込む要因ともなります。アジア解放否定論を基盤に70年談話が作成されますと、中韓のみならず、友好国であった東南アジア諸国まで反日国家に転じさせてしまう怖れがあると思うのです。

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原爆投下への評価-人類は”超越的視点”を獲得できるのか

2015年08月06日 15時05分56秒 | 国際政治
原爆投下、正当化に疑問=英BBCの広島70年報道
 本日8月6日は、70年前、人類史上、初めて原子爆弾が広島に投下された日です。原爆投下の日を前にした5日、連合国の一員であったイギリスのBBCでは、原爆投下の正当性に疑問を呈する電子版記事を報じたそうです。

 第二次世界大戦の勝敗が決せられた後、戦勝国である連合国は、速やかに国際軍事法廷を設け、敗戦国の戦争犯罪を厳しく問うことになります。有罪のの判決を受けた敗戦国国民の多くは刑罰に処せられ、戦争犯罪者とされたのです。サンフランシスコ講和条約によって戦犯問題は解決したものの、この判決は今なお燻り続け、中国などは、東京裁判を持ち出しては日本国を”犯罪国家”として断罪する根拠として利用しています。その一方で、戦勝国側の戦争犯罪の多くは不問に付されましたので、裁判としての公平さに欠けていたことは、内外の識者の多くが指摘するところです。無差別都市空爆と共に原爆投下もまた、罪なき民間人の多くの命を奪ったのですから、戦争法違反とも見なされるのも故なきことではありません。もっとも、ロシアでは、プーチン大統領の側近が、アメリカの原爆投下を「法廷で裁かれるべき」と述べたと報じられていますが、この発言は、日本国の擁護のためでも、国際社会の発展のためのものでもなく、第二次世界大戦における旧ソ連邦の対日勝利の役割を誇大に宣伝すると共に、日米間の離反を狙った陽動作戦の一環なのでしょう。仮に”神の視点”が存在するとすれば、ロシアもまた、それに耐えられるとは思えないからです。

 ”神の視点”というものが、良心とも言うべき人間の偏りのない”客観的な視点”に通じるとしますと、第二次世界大戦から70年を経た今日、歩みは遅いものの、ようやく先の大戦をこの”超越的な視点”から評価する見方が広がりつつあるように感じます。そしてこの”超越的な視点”の獲得は、過去の罪をお互いに詰り合うのではなく、戦勝国を含むすべての諸国に反省をもたらすと共に、過去の罪に対する相互の許しを、そして将来の平和と安定に向けた建設的な協力を促すのではないかと思うのです。

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国連憲章を”憲法”に譬えると中国は”違憲”

2015年08月05日 15時28分02秒 | 国際政治
「南シナ海」で自制を=米、埋め立てなど「三つの中止」提案へ―ASEAN外相
 南シナ海における中国の強引な行動は周辺諸国の反発を招いており、マレーシアのクアラルンプールで開かれていたASEAN外相会議でも、中国に対して自制を求めることで一致したと報じられております。また、フィリピン外相を通して、アメリカが中国に対して三つの中止-埋め立て、建設、挑発的行動-を求める方針であることも明らかとなりました。

 中国が国際社会において脅威と見なされる最大の理由は、国際法を護る意思が欠如しているからに他なりません。中国にとりまして、自らの欲望―”中国の夢”―をあくなく追及するには、国際法は行く手に立ちはだかる障害物でしかありません。一方、仮に、国際社会を一つの社会として捉えてみますと、国連憲章は、様々な欠陥を内包しつつも、カオス状態に基本的な秩序を与える”憲法”の位置にあります。全ての国連加盟国は、憲章上に明記された権利と義務を要するのであり、この点に鑑みますと、武力で一方的に現状を変更しようとする中国の行動は、憲章違反の”違憲”と判断せざるを得ないのです。もちろん、国際社会と国家を同列に扱うことは出来ませんし、統治機構としての国連の能力には限界はありますが、中国の暴力主義的な行動は、共通の法を紐帯として形成されている今日の国際社会を引き裂き、法の支配から人の支配へと次元を転落させてしまうのです。今日の国際社会においては、主権平等と法の支配は表裏一体にありますので(法の下の平等…)、法の支配の消滅は、中国による周辺諸国の一方的に権利侵害、並びに、属国化を帰結することでしょう。中国が、アメリカや国際社会の介入に反発するのは、普遍性を破壊してアジアを他の地域から引き離し、自らの”支配地域”として囲い込むことを意図しているからです。

 現在、国際社会は、戦後、多くの人々の努力と犠牲の上に築き上げられてきた、法の支配に裏打ちされた秩序が破壊される瀬戸際に立たされております。今こそ、危機感を共有する諸国は手を携えて、中国による秩序破壊行為を阻止しなくてはならないと思うのです。

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”SEALDsは利己的”の批判は論理的には正しいのでは?

2015年08月04日 14時58分20秒 | 国際政治
安保反対の学生「利己的」=ツイッターで自民・武藤氏
 ”戦争反対”を叫んで、学生を中心に安保法案反対のデモを組織しているSEALDs。数は然程に多くはないものの、そのスローガンに惹かれて迷い込んでしまった一般の若者もいるそうです。こうした中、自民党の武藤貴也議員による”自分中心で利己的個人主義者”とするSEALDs批判が、ネット上で”大炎上”していると報じられています。

 SEALDsは、表向きには共産主義的な要素は見せず、純粋な平和主義者に徹しています。一般の若者が参加しているとすれば、それは、”戦争に行きたくない””今の平和な生活を守りたい”といった素朴な訴えに同感したからと推測されます。しかしながら、政治思想の観点から見ますと、実のところ、この訴えは、国家の存在意義に関わるパラドクスに行き着きます。このパラドクスとは、”個々人が自らの命(基本権)だけを守ろうと行動すると、全ての個人が命(基本権)を失う”というパラドクスです。利己的な行動は、結局は自らをも滅ぼすというジンクスでもありますが、歴史を振り返りますと、防衛や安全保障の分野では、特にこのパラドクスは顕著に観察されます。敵国に攻められた際に、戦を嫌って全員が我先に逃げ出しますと、敵国は何らの抵抗を受けることなく征服できるからです。この結果、征服地の住民の生殺与奪の権は征服者の手に握られ、多くの国民が無残にも虐殺されることも少なくないのです。政治思想上の社会契約説は、非現実的な仮定として批判はされつつも、国家の存在意義を、外敵に対する組織的な防御に求めたことにおいて、このパラドクスを解く一つの回答であったと言えます。この側面に注目しますと、SEALDsの主張するように、組織的な防衛を担う自衛隊がいらないとなりますと、征服者によって征服されることになります。にもかかわらず、自らの安逸な生活は維持できると考えているのでしたならば、相当に、論理的予測、あるいは、因果関係が理解できない人々であることとなり、パラドクスが示すように、その行き着く先は自滅に他なりません(もっとも、SEALDsが”征服者側”の一員であれば別なのでしょうが…)。

 このパラドクスは、集団的自衛権行使の問題を考える上でも重要な示唆を与えています。軍事大国を前にして、一国では十分に防衛できない場合には、複数の国が協力して防衛に当たった方が、独立の喪失や国家滅亡を回避できる可能性が高まるからです。利己主義者の主張には、その将来にこそ危険が潜んでいることを見抜かなければならないと思うのです。

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2022年”北京冬季オリンピック”の真意は?

2015年08月03日 15時29分19秒 | 国際政治
 先日、国際オリンピック委員会は、2022年の冬季オリンピックの開催地として中国の北京を選びました。開催地決定に喜びを爆発させているのは中国のみであり、見渡したところ、日本国を含めて他国の反応はどこか冷めているようにも感じられます。

 2008年の北京夏季オリンピックを思い起こしますと、開催を間近にして中国政府がチベット弾圧を行ったため、世界中で、聖火リレーに対する抗議運動が発生しました。日本国内でも、聖火リレーのコースとなった長野では、”フリー・チベット”運動に対抗するために、中国が在日中国人を大量に動員するという事件に発展しています。2020年の冬季オリンピックでも、同様の事態が発生する可能性もあるのですが、過去の騒動に目を瞑って北京を選んだ背景には、何らかの思惑があるはずです。最も単純な第一の推測は、対抗馬であったカザフスタンを凌駕する莫大なチャイナ・マネーが誘致活動に投じられたというものです。もっとも、両国間の桁違いの資金力の差にも拘わらず、僅差での決定ですので、チャイナ・マネーの影響力は限られているのかもしれません。第二の憶測は、敢えて中国に国際レベルのイベントに参加させることで、昨今の中国の身勝手な行動を押さえようというものです。即ち、各国は、北京オリンピックボイコットの権利を得たに等しく、2008年の抗議運動を省みれば、チベット人やウイグル人などに対する弾圧には慎重になるはずです(当然に軍事行動も…)。財政面でも、競技施設といったインフラ整備や大気汚染の改善に資金を振り向けるとなれば(雪が降らないので競技環境を整えるには、相当の費用を要する…)、軍事予算等の抑制効果もあるかもしれません。そして第三の憶測とは、北京オリンピックの開催が、中国の現体制を崩壊に導く導火線となることです。既に、共同開催地の張家口市でも地価の高騰が始まっているそうですが、地価を含めて全般的な物価上昇が発生しますと、国民の不満も高まります(競技場建設のための強制立ち退きへの反対運動も…)。また、東京オリンピックでも利益誘導が疑われておりますが、開催場所が中国ともなれば、その腐敗ぶりは東京を遥かに凌ぐはずです。オリンピック利権で肥え太った共産党幹部達に対して、中国の一般国民は、どのような視線を投げかけるのでしょうか。

 2008年の夏季オリンピックでは、中国の躍進を印象付けたとしますと、2022年の冬季オリンピックでは、その黄昏を目にするかもしれません(オリンピックに始まり、オリンピックに終わる?)。そして最悪の場合には、オリンピックを道連れにするのではないかと思うのです。

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中国の手先となったSEALDsと中国に抵抗する台湾学生

2015年08月02日 15時07分22秒 | アジア
台湾の学生座り込み 与野党、「中国色」強い学習指導要領の改定撤回を協議するも物別れ
 日本国内では、学生団体であるSEALDsが、安保法案反対運動の一環としてデモを組織しております。本人達は否定しつつも、その中枢は民青を中心とした共産党系組織と目されており、いわば、中国の”手先”、あるいは、”先兵”の役割を担わされています。

 その一方で、台湾では、教科書の学習指導要領をめぐり、中国の歴史観が浸透しつつあることに危機感を感じた学生達が、教育部の敷地に侵入し、座り込みを行うといった抵抗を開始しております。今日、日台の同年代の若者が、全く、正反対の立場で学生運動を展開しているのです。SEALDsは、自らを”自由と民主主義を護る盾”と自称しているようですが、共産党系の組織である限り、それが、偽りであることは中国自身が自らの行動で証明しております。中国国内では、民主化の活動家達は当局から徹底した弾圧を受けており、政治的な自由が中国国民に存在しないことは否定のしようもありません。中国に対する警戒心の強い日本国では、おそらく、SEALsを支援している同世代の若者は少数でしょうし、他の世代の日本人の大半も、この団体を極左が主導する活動団体と見なしております。にもかかわらず、SEALDsは、あたかも日本の若者を代表するかのように振る舞い、マスコミも、そのイメージを振りまいているのです。中国に媚び、その虎の威を借りている、あるいは、背後で操られているSEALsが、”悪しき権力と闘う正義の若者”のはずもありません(弱者の味方のふりをした強者の追従者…)。

 日本国には、中国に抵抗する台湾の学生と協力し、共に中国の野望に立ち向かおうとする学生はいないのでしょうか。積極的な行動としては現れなくとも、日本人の多くは、真の意味で民主主義と自由を守ろうとする台湾の学生達を応援していると思うのです。

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