昔の中国に宋という国があったそうです。かなり昔の話です。ここははるか昔の黄河文明の頃の殷という国が滅び、そこの王族の人たちが追いやられた国であり、よその国から何かとあざけりの対象になる国だったということですが、本当のことはわかりません。
でも、何か人生の不思議はこんな国で起こります。
猿回しの仕事をしている人が、ドングリを朝四つ、夕方四つ与えていたそうです。それたけで一日のエネルギー量が持つのか、私にはわかりませんけど、まあ、おとぎ話ですから、そういうことにします。
ある時、猿回しの男は考えます。猿に与えるエサを少なくしよう。そうすると、少しは経費節約になるだろうし、お腹がすくのなら水でも飲ませておけばいいのだ、くらいに考えたんでしょうか。あまり、お猿さんへの愛はありません。
お猿さんに提案します。「キミたちには、朝ドングリ三つ、夕方四つにしようと思うけど、どうかな?」
おサルさんは、エサが減らされるというのを察知して、猛抗議します。そして、猿回しの男は、
「よし、わかった。朝四つ、夕方三つでいいだろう」
と訂正し、お猿さんたちは納得した。そういうおとぎ話です。
そんなことで納得するおサルさんも行けないけど、それで理屈としてうまくおサルさんを説得できたと思う男は、ひどいものです。
それは朝に行われた説明で、お猿さんはとりあえず今まで通りだから、文句もなくなった。けれども、確実に減らされることになるのだけれど、それはもう文句を言うチャンスを失っているようです。
だまされたと気づいた時に、再度みんなで抗議すればいいものかもしれないけど、知らない間に搾取されていて、それを知らされず、なんだかんだとうるさく言い、忙しさに紛れさせておけば、何にも言わなくなるという計算も猿回しの男にはあったでしょう。
だから、為政者は適当な口から出まかせで人々をごまかすものだとは思いません。為政者なんて、ほとんどそういうことをするためにそういう立場に立とうとしているのだから、人々からどのように搾取し、ごまかしつつ、黙って言うことを聞いていればいい。そういう立場です。
みんな為政者自身は、自分のやっていることが善であると信じてやっているのでしょう。ただ、それが誰のための善なのかはわかりません。
人々というのは、お猿さんみたいなものなんでしょうか。適当なごまかしで自分たちが損害を受けるというのをわからなくさせられている。そうなのかもしれない。人々はお猿さんなのか。
でも、お猿さんには、猿回しのオッサンに縛られない生き方もあるはずです。今はとりあえず、猿回しの男と協調しているけれど、野山に出れば、自分たちの生きる道は自分で開かれていくはずです。もう猿回しなんて見限って、自分の生きる道もあるはずです。でも、なかなか新しい生活に向かうのが面倒で、今までと同じ生活を我慢してしまう時もある。
できれば、猿回しに縛られない、お猿さんたちの自由な暮らしをして欲しいんですけど、お猿さんもいろいろだろうから、エサを減らされても我慢するのもいるはずです。
でも、本質は変わらない。ごまかされたり、ウソをつかれたりしていたら、それはダメだろうと時々は言ってやらなきゃ! 世の中は朝三暮四的なものはあふれています。それは言い逃れだろう。二番煎じじゃないの? 何も変わっていないよ。結局は、増税する気だな? そんなので人々がだまされると思っているのか? お前たちの事情なんか知らないよ。もっと人々のことを考えろよ。世界は見ているぞ。私たちは試されてるぞ。
いつも、みんなで声をかけあっていきたいです。ともすれば、政治というのは、ごまかしに走ってしまいがちなのです。本当に大事なのは、そんなことではない。
何十億年も放射能が出続ける格というものに手を出してはいけない。よその土地ではあるかもしれないが、小さな島国の私たちはそんなものは持てない。借金を何十年も続けてはいけない。いつかは返さなければならないお金を未来から借りて来るなんて、今はそれで済むかもしれないが、将来の若い人たちに負債を与えてはいけない。あるお金だけでやりくりしなくてはならない。
明日も朝三暮四的イベントがあるようですが、どうしてそういうのがニュースになるんだろう。結果だけを小さく伝え、もっと大事なことを探さなくてはいけない。マスコミは、大事なことを伝えられなくなっているんだろう。
マスコミも自由が必要だし、言いたいことをしっかり伝えてほしい。でも、どこの国でもできていないみたいだ。ああ、そういう世界に私たちはいるんだな。お猿さんのように、野山に行かなくては! 自活しなくては!