2014年に阪神デパートの夏の古本市で買った本、「信長と天皇」(今谷 明 著 1992)は、一度読んだのかもしれません。その時に何か書きたいと思ったけれど、そのまま放置して、今ふたたび読んで、少し書こうとしています。
恐ろしい私のボケです。全く読んだ記憶はないけれど、既視感はあるので、読んだような気もします。そして、恐ろしいことに付箋も解説の所についています。たぶん、私が付けたのだと思われます。だったら読んだんでしょう。
なのに全く記憶にないし、すべてが新鮮でこわいくらいです。ああ、ここまで来たかという感じです。
自分のボケ自慢をしても始まらないので、とにかく少し書きます。
織田氏は、福井県にルーツがある、というのは知っていました。もう10年以上前、越前海岸にカニを食べに行ったとき、海側から山を越えて福井の中枢の地区へ行くときに(そちら側に高速が走っています。海側は全く平地がありません。すべて崖と岩場とスイセンの咲く斜めの土地でした。)、織田という集落を通りました。
それで、こっちがルーツで、尾張の織田氏はここから出て行った一族らしいというのを知りました。おそらく主人であった斯波氏(しばし 室町時代に日本史で出てくる一族ですね)が、越前にも尾張にも領国を持っていて、家来の地元の織田氏が取り立てられて、主の代わりに守護代(しゅごだい)として越前から尾張に赴任したのでしょう。
それから年月は流れ、守護代の当主がダメダメになりました。時は戦国時代で、下克上が当たり前。実力のある者が領地を広げていい時代になりました。だましたもの勝ちの時代です。食うか食われるかです。守護代の織田氏がいて、その下に3人の家老的な存在がいた。それを三奉行というふうに呼んでいた。
そのうちの1人・信秀さんが、尾張で勢力を伸ばしていきました。息子さんがノブナガさんで、息子が18歳のときにお父さんは亡くなってしまいます。それで、息子はアホウかと思ったら、わりとテキパキ仕事をこなし、あれよあれよという間に尾張を統一してしまう。その力は、海運・経済を抑えたからと参考書には書いてありました。政権を握るには、経済力も持たなくてはならないようです。
27歳の時、大ピンチが起きます。今川義元が京都に上るため、同盟国はすぐになびき、なびかない国はたたきつぶすというローラー作戦だったようです。でも、その割にはのんびりしていて、あまり他国の情報を聞き込んでいなかったらしく、最初の戦いの桶狭間で敗死してしまいます。
信長さんでさえ、美濃攻略までに桶狭間の戦いから7年が経過しています。そこからは割とトントン拍子で翌年には上洛してしまうのですが、とにかく地方大名が都に押し進んでいくというのは大変なことでした。今川さんにはその実感がなかったんでしょう。先祖にもスゴイ人がいたし、その感覚で蹴散らして都まで行ったみようとしたんでしょうけど、その時とは時代がちがってたのに……。
35歳で都へ上洛し、ここからノブナガさんの八面六臂の戦いが始まります。1568~1582年までの嵐の14年が続くのでした。すごいです。私にはとても耐えられないし、そんなことをする気にもなりません。やはりノブナガさんは、ウツワなのだと思います。
東海地区では、お酒のコマーシャルで「ノブナガになってみたいけど、ノブナガになってみたいけど、そんなウツワじゃ、(私たちは)ありません」というのが流れていて、その通りといつも思うのです。
ノブナガさんって、なりたくてなれるものではなくて、ノブナガさんという存在だからこそ、時代を切り開いていったわけで、普通の凡人には、ウツワがないわけですから、世の中を切り開くことはできないわけです。でも、努力して何かになることはできるはずだから、努力は怠ってはいけないんですけど……。
はてさて私は、ボケが始まってますから、このボケとの戦いもつづけていかなくちゃいけないし、大変ですね。
ノブナガさんの戦いを見ていくと、ふと気になる人物が出て来ましたので、それは次回書くことにして、とにかく大変だったろうなという気がしています。奇行は気になりません。だからこそ、ノブナガなんですから、でも、彼もしたたかというか、計算高いというか、戦国的なこわさというか、そういう部分があったろうなという気はします。
私たちは、戦国的なしたたかさはなくて、みんなわりとぼんやり日本社会の空気を吸っていますけど、世界はわりと戦国的な気がします。ノホホンとしているのはアメリカと日本くらいでしょう。
アメリカは格差社会だから、はいあがるのが大変だし、日本も少しずつ格差社会を作ろうとしていますけど、小さな市場だから、格差もそれほど大きくならなくて、お金持ちのスケールも小さいから、やはりなるべく格差の少ない社会であるべきだと思います。中国みたいに大きな市場があれば、ものすごいお金持ちって生まれるんでしょう。そのうちどんどん日本は中国に買われていくことでしょう。政府にはその対策はないから、されるがままかもしれない。
日本社会のこと、これももう少し考えたいと思います。連休が終わって、何だかホッとしている私です。休みなんかいらない。普通に仕事して、時々お休みさせてもらえるだけで十分です。
さあ今から、庭仕事したいと思います。
★ この時「気になった人物」って、誰なんだろう。私はどこかにちゃんとメモしたんだろうか。二年前のことなのに、今の私には皆目わかりません。恐ろしいことです。
それで、この夏、安土城にも行きましたけど、さっぱり分かっていない私です。気になったらすぐに書いておかないと、気だけ持たせたつもりだろうけど、肝心の自分さえ忘れてしまうんだから、話になりません。まあ、つまらない思い付きだったんでしょう。
もう忘れたことはおいておいて、とりあえず前に向いて進んでいかなくちゃ!(2018.9.4 台風21号がお昼ごろ近畿地方に上陸しそうです。)
恐ろしい私のボケです。全く読んだ記憶はないけれど、既視感はあるので、読んだような気もします。そして、恐ろしいことに付箋も解説の所についています。たぶん、私が付けたのだと思われます。だったら読んだんでしょう。
なのに全く記憶にないし、すべてが新鮮でこわいくらいです。ああ、ここまで来たかという感じです。
自分のボケ自慢をしても始まらないので、とにかく少し書きます。
織田氏は、福井県にルーツがある、というのは知っていました。もう10年以上前、越前海岸にカニを食べに行ったとき、海側から山を越えて福井の中枢の地区へ行くときに(そちら側に高速が走っています。海側は全く平地がありません。すべて崖と岩場とスイセンの咲く斜めの土地でした。)、織田という集落を通りました。
それで、こっちがルーツで、尾張の織田氏はここから出て行った一族らしいというのを知りました。おそらく主人であった斯波氏(しばし 室町時代に日本史で出てくる一族ですね)が、越前にも尾張にも領国を持っていて、家来の地元の織田氏が取り立てられて、主の代わりに守護代(しゅごだい)として越前から尾張に赴任したのでしょう。
それから年月は流れ、守護代の当主がダメダメになりました。時は戦国時代で、下克上が当たり前。実力のある者が領地を広げていい時代になりました。だましたもの勝ちの時代です。食うか食われるかです。守護代の織田氏がいて、その下に3人の家老的な存在がいた。それを三奉行というふうに呼んでいた。
そのうちの1人・信秀さんが、尾張で勢力を伸ばしていきました。息子さんがノブナガさんで、息子が18歳のときにお父さんは亡くなってしまいます。それで、息子はアホウかと思ったら、わりとテキパキ仕事をこなし、あれよあれよという間に尾張を統一してしまう。その力は、海運・経済を抑えたからと参考書には書いてありました。政権を握るには、経済力も持たなくてはならないようです。
27歳の時、大ピンチが起きます。今川義元が京都に上るため、同盟国はすぐになびき、なびかない国はたたきつぶすというローラー作戦だったようです。でも、その割にはのんびりしていて、あまり他国の情報を聞き込んでいなかったらしく、最初の戦いの桶狭間で敗死してしまいます。
信長さんでさえ、美濃攻略までに桶狭間の戦いから7年が経過しています。そこからは割とトントン拍子で翌年には上洛してしまうのですが、とにかく地方大名が都に押し進んでいくというのは大変なことでした。今川さんにはその実感がなかったんでしょう。先祖にもスゴイ人がいたし、その感覚で蹴散らして都まで行ったみようとしたんでしょうけど、その時とは時代がちがってたのに……。
35歳で都へ上洛し、ここからノブナガさんの八面六臂の戦いが始まります。1568~1582年までの嵐の14年が続くのでした。すごいです。私にはとても耐えられないし、そんなことをする気にもなりません。やはりノブナガさんは、ウツワなのだと思います。
東海地区では、お酒のコマーシャルで「ノブナガになってみたいけど、ノブナガになってみたいけど、そんなウツワじゃ、(私たちは)ありません」というのが流れていて、その通りといつも思うのです。
ノブナガさんって、なりたくてなれるものではなくて、ノブナガさんという存在だからこそ、時代を切り開いていったわけで、普通の凡人には、ウツワがないわけですから、世の中を切り開くことはできないわけです。でも、努力して何かになることはできるはずだから、努力は怠ってはいけないんですけど……。
はてさて私は、ボケが始まってますから、このボケとの戦いもつづけていかなくちゃいけないし、大変ですね。
ノブナガさんの戦いを見ていくと、ふと気になる人物が出て来ましたので、それは次回書くことにして、とにかく大変だったろうなという気がしています。奇行は気になりません。だからこそ、ノブナガなんですから、でも、彼もしたたかというか、計算高いというか、戦国的なこわさというか、そういう部分があったろうなという気はします。
私たちは、戦国的なしたたかさはなくて、みんなわりとぼんやり日本社会の空気を吸っていますけど、世界はわりと戦国的な気がします。ノホホンとしているのはアメリカと日本くらいでしょう。
アメリカは格差社会だから、はいあがるのが大変だし、日本も少しずつ格差社会を作ろうとしていますけど、小さな市場だから、格差もそれほど大きくならなくて、お金持ちのスケールも小さいから、やはりなるべく格差の少ない社会であるべきだと思います。中国みたいに大きな市場があれば、ものすごいお金持ちって生まれるんでしょう。そのうちどんどん日本は中国に買われていくことでしょう。政府にはその対策はないから、されるがままかもしれない。
日本社会のこと、これももう少し考えたいと思います。連休が終わって、何だかホッとしている私です。休みなんかいらない。普通に仕事して、時々お休みさせてもらえるだけで十分です。
さあ今から、庭仕事したいと思います。
★ この時「気になった人物」って、誰なんだろう。私はどこかにちゃんとメモしたんだろうか。二年前のことなのに、今の私には皆目わかりません。恐ろしいことです。
それで、この夏、安土城にも行きましたけど、さっぱり分かっていない私です。気になったらすぐに書いておかないと、気だけ持たせたつもりだろうけど、肝心の自分さえ忘れてしまうんだから、話になりません。まあ、つまらない思い付きだったんでしょう。
もう忘れたことはおいておいて、とりあえず前に向いて進んでいかなくちゃ!(2018.9.4 台風21号がお昼ごろ近畿地方に上陸しそうです。)