高村薫さんの「冷血・上下」を読みました。
ネットの携帯サイトで知り合った二人が、初めは郵便局のATMを襲うつもりが、失敗すると行き当たりばったりに車を盗んで、コンビニ強盗を働きます。
それに満足せず、昔恋人が治療したことがある歯科医院に行って12月20日~23日まで休診の張り紙を見ます。
歯医者なら、金があるだろうとその自宅に20日に盗みに入ります。
留守だと思っていた家に深夜忍びこんで、物音に驚いた大学病院勤務の歯科医を殺し、次に歯科医院の女医をキャッシュカードの番号を聴きだ出すと、これも無慈悲に殺し、2階に寝ている小学6年生の男の子・中学1年生の女の子を布団の上から鉄製の根切りで滅多打ちにして殺します。(殺し方が残忍です)
この子たちは、21日から行くことになっていた「ディズニーシー」を楽しみに眠っていました。
作者は、小説の冒頭で、この一家の頭のよさそうな・幸せな家族を描写しています。
読む方は、何故この子たちが殺されなくてはいけなかったか?せめて子供たちだけでも生かして呉れたら良かったのにと犯人(作者?)の非情さを感じました。
犯人の一人が、教師の両親から小さい時から勉強にせきたてられ、付属に落ちてしまった自分。それから狂った人生を、この子たちが筑波の付属に通っていると言う、腹立ち・妬みから殺してしまったのか?本当に悲惨で冷酷な殺人です。
上巻では、被害者の家族の日常・犯人たちが事件を起こすまでの、それぞれの背景。
下巻では、主に犯人たちの取り調べや、警察や検察の対応。
本当に、読み手にとって根気のいる作品でした。事件そのものは単純な男二人が、場当たり的に起こした事件ですが、何故事件を起こしたのかが、犯人にも判らないし警察その他も理解できないことばかりです。
魔が差したと言いようのない犯人たちの精神状態、難解な気の重い作品でした
(私の拙い粗筋では、うまく作品を表現できないので、ネットで文芸春秋Book倶楽部の掲載を見つけました。参照して下さい)
文芸春秋Book倶楽部に掲載された作者の言葉
十代で読んだトルーマン・カポーティによる、ノンフイクションノベルの傑作「冷血」が、ずっと作者の心に有った。
「男二人がよく考えもせず強盗に入り、殺さなくてもよい家族四人を殺してしまう。事件というのは本当にとらえがたいものだと思いましたし、一九五〇年代末のアメリカで起きた、言葉にできない『悲劇の塊』は私に強い印象を残しました。華やかでも豊かでもないアメリカを知ったのも『冷血』からです」
日本の殺人事件報道や小説での描かれ方に違和感を覚えたのも『冷血』の読書体験があったからだった。
「その違和感を検証してみよう、見つめ直してみようと書いたのがこの小説です」
事件のなぞが解かれた先の、答えの出ない堂々巡りの世界を言葉で編んでいくのが私の仕事だと思うんですよ なぜ殺したのか。明晰に語る言葉を持たない二人に、高村作品でおなじみの刑事合田雄一郎が対峙する。膨大な調書を読み、仮説を立てては「否」と打消して思考を巡らせ、二人に手紙を書く。
「ああでもない、こうでもないと、合田は言葉でもって二人の周りをぐるぐる回っている。昔から、私は人間が言葉ですべて説明できると思いすぎているのが気になっていました。ひとりの人間が罪を犯す、それによって人が死ぬ。それらを言葉で断定して理解した気になることに、もっと慎重になっていい」
土地の名前や時代が明示されるのが高村作品の特徴のひとつ。二〇〇〇年代前半が舞台の今作でも、二人が乗る車、好きな漫画、パチスロの機種、鼻歌の曲名、一つひとつが丁寧に書き込まれる。
「私は漫画も読みませんし歌謡曲も聞かない。最初は『パチスロ』って何?という状態でしたけど、ぜんぶ一から勉強しました。車の構造も、戸田は歯が悪いという設定ですから歯学の勉強も。大変でしたけど調べるのは苦痛じゃない、知らないまま書くほうが苦痛ですね」
以上
難解で根気のいる作品でしたが、面白い作品です。一読の価値は有ります。
ネットの携帯サイトで知り合った二人が、初めは郵便局のATMを襲うつもりが、失敗すると行き当たりばったりに車を盗んで、コンビニ強盗を働きます。
それに満足せず、昔恋人が治療したことがある歯科医院に行って12月20日~23日まで休診の張り紙を見ます。
歯医者なら、金があるだろうとその自宅に20日に盗みに入ります。
留守だと思っていた家に深夜忍びこんで、物音に驚いた大学病院勤務の歯科医を殺し、次に歯科医院の女医をキャッシュカードの番号を聴きだ出すと、これも無慈悲に殺し、2階に寝ている小学6年生の男の子・中学1年生の女の子を布団の上から鉄製の根切りで滅多打ちにして殺します。(殺し方が残忍です)
この子たちは、21日から行くことになっていた「ディズニーシー」を楽しみに眠っていました。
作者は、小説の冒頭で、この一家の頭のよさそうな・幸せな家族を描写しています。
読む方は、何故この子たちが殺されなくてはいけなかったか?せめて子供たちだけでも生かして呉れたら良かったのにと犯人(作者?)の非情さを感じました。
犯人の一人が、教師の両親から小さい時から勉強にせきたてられ、付属に落ちてしまった自分。それから狂った人生を、この子たちが筑波の付属に通っていると言う、腹立ち・妬みから殺してしまったのか?本当に悲惨で冷酷な殺人です。
上巻では、被害者の家族の日常・犯人たちが事件を起こすまでの、それぞれの背景。
下巻では、主に犯人たちの取り調べや、警察や検察の対応。
本当に、読み手にとって根気のいる作品でした。事件そのものは単純な男二人が、場当たり的に起こした事件ですが、何故事件を起こしたのかが、犯人にも判らないし警察その他も理解できないことばかりです。
魔が差したと言いようのない犯人たちの精神状態、難解な気の重い作品でした
(私の拙い粗筋では、うまく作品を表現できないので、ネットで文芸春秋Book倶楽部の掲載を見つけました。参照して下さい)
文芸春秋Book倶楽部に掲載された作者の言葉
十代で読んだトルーマン・カポーティによる、ノンフイクションノベルの傑作「冷血」が、ずっと作者の心に有った。
「男二人がよく考えもせず強盗に入り、殺さなくてもよい家族四人を殺してしまう。事件というのは本当にとらえがたいものだと思いましたし、一九五〇年代末のアメリカで起きた、言葉にできない『悲劇の塊』は私に強い印象を残しました。華やかでも豊かでもないアメリカを知ったのも『冷血』からです」
日本の殺人事件報道や小説での描かれ方に違和感を覚えたのも『冷血』の読書体験があったからだった。
「その違和感を検証してみよう、見つめ直してみようと書いたのがこの小説です」
事件のなぞが解かれた先の、答えの出ない堂々巡りの世界を言葉で編んでいくのが私の仕事だと思うんですよ なぜ殺したのか。明晰に語る言葉を持たない二人に、高村作品でおなじみの刑事合田雄一郎が対峙する。膨大な調書を読み、仮説を立てては「否」と打消して思考を巡らせ、二人に手紙を書く。
「ああでもない、こうでもないと、合田は言葉でもって二人の周りをぐるぐる回っている。昔から、私は人間が言葉ですべて説明できると思いすぎているのが気になっていました。ひとりの人間が罪を犯す、それによって人が死ぬ。それらを言葉で断定して理解した気になることに、もっと慎重になっていい」
土地の名前や時代が明示されるのが高村作品の特徴のひとつ。二〇〇〇年代前半が舞台の今作でも、二人が乗る車、好きな漫画、パチスロの機種、鼻歌の曲名、一つひとつが丁寧に書き込まれる。
「私は漫画も読みませんし歌謡曲も聞かない。最初は『パチスロ』って何?という状態でしたけど、ぜんぶ一から勉強しました。車の構造も、戸田は歯が悪いという設定ですから歯学の勉強も。大変でしたけど調べるのは苦痛じゃない、知らないまま書くほうが苦痛ですね」
以上
難解で根気のいる作品でしたが、面白い作品です。一読の価値は有ります。
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