遠くを眺めたい
3月16日。ずっと昔、『遠くへ行きたい』という歌が好きだったけど、コンピュータばかり睨んでいると遠くを眺めたくなる。遠く、遠く、もっと遠く、どこまでも遠く・・・
10何年も前のCD-ROMの出版が華やかだった頃、『POWERS OF TEN』という作品の日本語版制作に関わった。(クレジットタイトルに私の名前が載った唯一の仕事だった。当時1万円以上もしたからどれほど売れたやら。)タイトルは産業デザイナーのイームズ夫妻が77年に作った有名な短編フィルムから取ったもので、地上からはるか宇宙の彼方へ10のべき乗で遠のいたかと思うと、今度はマイナス10のべき乗でミクロの世界へと突進する。哲学的夢想的天文好きの私には地球に目を据えたまま後ろ向きに遠い宇宙へ飛び去る感覚が新鮮だった。
万物が生きるこの地球も生き物なのだ。遠くへ目を向ければ、地球の生命を支える太陽も名もない渦巻き銀河の片隅で生きている。その銀河系も宇宙に何十億とある銀河のうちのたいしてへんてつのないひとつ。何千億個もの星がひしめく銀河系はおとめ座銀河団の住人だ。
宇宙には同じように何千億の星がひしめく銀河系が何十個も何百個も集まって作った銀河団がいくつもあり、それがまたいくつも集まって超銀河団というものを作っている。ビッグバンで生まれた宇宙の中で生まれて、生命を宿して、死んで行く星の数っていったいどのくらいあるのだろう。地球上のありとあらゆる数字を全部並べてもまだ追いつかないかもしれない。
燦々ときらめいて華々しく散る星もあれば、ひっそりと凡庸に一生を終える星もある。他の天体と衝突して木っ端微塵になる星もあれば、アルビレオのようにうっとりと永遠のダンスを続ける二重星もある。マクロであろうと、ミクロであろうと、宇宙はすべて生と死。北欧神話では神々の黄昏が予言され、ついには神々の世界アスガルドは滅びてしまう。宇宙を掌る神々にもそんな黄昏が来るのだろうか。
決勝戦!
3月18日。きのう3月17日はSt. Patrick’s Day。親しみを込めてSt. Paddy’s Dayという。みんな1日アイリッシュになる日だ。ケルト人の発祥はヨーロッパの中央あたりと言われるが、もっと遠く中央アジアのコーカサス地方だという説もある。少なくとも紀元前千年頃にはすでにヨーロッパ中央にケルト文明が栄えたことを示すオーストリアのハルシュタット遺跡には黒海のスキタイ文化の影響が見られるというから、中央アジアの大草原がケルト人発祥の地であってもおかしくない。そうだったら、ケルト人のはぐれ遺伝子が東の方へ伝えられたとしてもおかしくない。日本でアイルランドやスコットランドの民謡が親しまれるはそんな人類大移動の歴史のかけらが顔をのぞかせているのかもしれない。結局、人類はみんなどこかでつながっているということなのだ。
さて、今日はいよいよ大仕事の最後の日。何だかトーナメントの決勝に臨むような感じもする。3週間半、毎日の対戦でもったいぶった回りくどい表現と格闘して、勝ち抜いて、さあいよいよ決勝進出!といったところ。もちろん、決勝の対戦相手は「納期」。これはいつもながら手ごわい。ここまで来たのだから、あとは試合終了のブザーが鳴るまでがんばるのみ。
さて、試合開始のホイッスル・・・
久々に「失業中」
3月19日。とうとう大仕事が終わった。午前3時半。やったぞ、優勝!何しろ、納期と量から計算すれば、ふだんの倍以上のペースだった。まあ、私は俄然張り切るたちだし、ここぞというときに勝負強いところもあるらしい。とにかく、「よくがんばった」と、自分で自分をほめまくる。6年前まではそれが「ふだん」のペースで、週末も何もないまま何ヵ月も続いた。考えて見ると、10年間もたいした達成感もなく、ただがむしゃらにやっていたわけで、やっぱりあの頃はどこかがおかしかった。
お祝いに?カレシととっておきのアルマニャックで乾杯。さて寝ようかということになったら、まるで眠れない。アドレナリンが効きすぎたのか、目が冴えに冴えてエネルギーいっぱいの感なのだ。人間の脳も急には止まれないらしい。結局寝ついたのは6時過ぎで、正午を過ぎて目が覚めた。
食料の買出しツアーに出かけて、まず魚類を仕入れる。冷凍のティラピアとバサ(なまず)。大西洋サケの半身は実は太平洋で養殖したもの。大き目のを買ってグラヴラックスを作ることにした。サケをウォッカ(+ブランディをちょっぴり)でしめたものでスモーク抜きのロックスのような感じ。これを太平洋サケで作るとおいしくない。どっちもサケだけど、分類学的にはまったく違うのだからあたりまえかも。
先々週ダウンタウンに出たときに韓国系スーパーで日本製の冷凍ラーメンを見つけて買ってあった。もやしだけではさびしいからチャーシューを作ってみるか、というわけで、スーパーで豚肉のかたまりを買ってきた。さて、どうしようとぐぐって見たらあるある。適当にいつくか読んで組み合わせてみることにした。一晩漬け込んで、そのまま煮込んで、が一応の基本らしいけど、うまく行くかどうかは明日になってみないとわからない。
中国系の青果屋ではアスパラガスが3束で5ドル。20本くらいが束になっているから3束ならたっぷりとスープができそう。オクラも忘れずに。白菜もおいしそう。豚肉ギョーザの具を巻いて蒸したのが我が家自慢の「中華風キャベツロール」(白菜を「Chinese cabbage」ともいうから)。となりには大きな大根。爪を立てるとピチッと皮が弾ける。何にしようかな。エノキも買ったから、韓国スーパーで買った韓国風かまぼこと煮て「おでん風シチュー」はどうだろう。日本政府様から「正しい日本食」のお墨付きはもらえないだろうけど、まあ、このあたりが我が家風「アジア料理」。
バンクーバーの食材はおどろくほど国際色豊かになった。30年前とは雲泥の差がある。食道楽には天国・・・
カナダかぶれ?カナダ(人)化?
3月20日。朝起きて、「さて今日は何しようかな~」と考える暮らしもたまにはいい。遊び心地でローカル掲示板をざっと見渡してみる。タイトルを見ただけで相も変わらず同じようなトピックが浮かんでは消えしているのがわかる。
常連トピックのひとつに「カナダかぶれ、あるいはカナダ(人)化した日本人(女性)」に対する苦情?がある。要するに、日本でもやっているいわゆるママ友同士の張り合いに「国際結婚」と「外国暮らし」と「英語力」という激辛スパイスをたっぷりと振りかけたようなものだ。つまりは、「カナダ暮らしに慣れて、英語にもあまり不自由しなくなった」と自己申告するニッポン人を「カナダかぶれしていて、疲れる」と批判することで、実は自分自身のカナダでの不満や苛立ちを他人に転嫁しているだけの話なのだけど、たまに理性的な意見があっても、揚げ足を取るばかりで、そこからまともな議論に発展することはまずない。
言語学の論文で、英語では話し手が自分の意思を明確に伝えることを要求されるのに対して、日本語では聞き手が話し手の意思を慮ることを要求される、という論を読んだ。つまり、英語ではコミュニケーションの負担が話し手にかかり、日本語では聞き手にかかる。別の論文では、日本人は情緒でものごとをとらえて理解すると言う説があった。考えを述べるのではなくて、気持を相手に「思いやり」で解釈してもらおうというのが日本型コミュニケーションであり、日本語思考なのだということだった。日本人が一番英語を苦手とする民族であるらしいのは、こんな違いも原因ではないのだろうか。
「外国かぶれ」の批判の中に物言いがきついというのがある。これに対しては、英語がそういう言語だから、欧米ではそういう思考だから、日本語でもそうなってしまうという反論が出る。確かに、英語が第一言語になると思考全体が英語に染まるのは確かだ。でも、ちょっと待て、なのだ。「ものごとをはっきり言う」ことと「歯に衣を着せずに言う」ことはまったく次元が違うはずだ。欧米では、自分の考えを相手に正しく理解してもらうためにはっきりいわなければ「ならない」のであって、言いたいことを思ったまま言って「いい」ということではない。英語だって、礼儀正しいていねいな言い方から、失礼きわまりない言い方まで、表現の幅は広い。
思うに、自分の考えをはっきり表現しないで済ませて来た人が、欧米では自分の言いたいことをいうという表面的な思い込みで、ここは外国なんだから言いたいように「言って良い」のだとばかりに思い切りたがをはずしてしまうのだろう。読売小町でよく見かける「辛口です」で始まる、一見して親身にアドバイスしているようで実は日頃の不満を吐き出しているようなコメントにも通じるようなところもあるから、仮想的有能感につながる面もあるのかもしれないけれど、そういう人たちが「海外在住です」日本人社会のようなところで、出会うと激辛スパイスの辛さ倍増で火花が散ることになる。片や仮想的有能感、片や「思いやり依存症」。「カナダかぶれ」を非難するほうもされる方も、「自我」を前提とする異文化にとまどって、試行錯誤している状態なのかもしれない。もっとも、私個人の(嫌な)経験から言えば、これはcharitableすぎるだろうけれど。
ネットを散策していて、「日本語コミュニケーション能力認定試験」というのを見つけた。てっきり外国人向けかと思ったら、何と日本語を母語とする日本人向けらしい。しかも、1級から3級まである。つまり、日本人の日本語によるコミュニケーションの能力はもう「生来の能力」ではなく、参考書で勉強して、試験にパスしてお墨付きをもらう「資格」になってしまったということなのだろうか。外国語はいくら上達しても母国語の水準を超えることはないといわれる。それが本当なら、留学だワーホリだとカナダに群れている日本人の英語力は彼らの掲示板の日本語力より上達することはないということ・・・?
楽しきかな、仕事なし
3月21日。失業モードも3日目。どうやら本格的に遊びモードになってきた。思いっきりジグソーパズルに熱中したり、ニューヨークタイムズの日曜クロスワードをぼちぼちやってみたり、思いついたことをやってもいいというのは楽しい。もっとも、長いことそれができなかったからこそなのであって、これが年中毎日のことだったらあまり楽しくないかもしれない。だから大人には身の回りに何だかんだと「やるべきこと」があるのかもしれない。
忙しいときは仕事で頭がいっぱいだったので、カレシにおおっぴらに好きなだけちょっかいを出せるのも楽しい。抱きついてみたり、すれ違いざまお尻をポーンと叩いたり。カレシも調子に乗って、鼻唄を歌いながら二人でキッチン中をぐるぐるとダンスしては、「ぼくたち、息が合ってるよな~」。ふとしたときに、これが数年前まで地獄の底で格闘していた二人なのだろうかと思うときもある。
カレシとのやり直しは、ある日二人で向き合って、話し合って、カレシが土下座して謝って、といった展開にはならなかった。カレシの想定外の退職で生活そのものが変わり、何だかそのまま落ち着きそうな感じがして、結局落ち着いたというだけ。どんなに好きでも離婚するのが自分にはベストだとわかっていて、それでもどうしても好きだからという理由で私はセカンドベストの結論を選択をした。話し合いをしたわけではないから、和解の条件のようなものはない。私の唯一の要求はせっかく得たESL教授のスキルを人の役に立つことに使って欲しいということだった。
大喧嘩が絶えなかった頃、何度も「あなたは私に何を求めているの」と聞いた。そのたびにカレシからは、「solid marriage,financial security,total freedom」と、まるで念仏のような答が返ってきた。もちろんカレシは自分の自由しか考えていなかったし、その自由を何に使うかは一目瞭然だったので、「完全な自由」をめぐって確執が続いた。でも、セカンドベストの選択に自分で納得したときに、「お互いに自由な方がいいじゃないか」と思うようになった。「あなたは好きにする自由がある。私にも自分を守る自由がある。もし、あなたが結婚に参画しないのなら、ひとりでは結婚の意味がないから解消する」と、そんなようなことをいった。
ある意味、カレシの主張をを逆手に取ったようなところもなくはない。自由が欲しいというのはたやすいけど、実際に「自由にしていい」といわれるとけっこう難しい。なぜなら、完全な自由には自己責任がついてくるから。自由というのはけっこう不自由なものだとカレシは思っているかもしれない。それでも、カレシなりに試行錯誤しながら、考えてやっていることは確かだと思う。私も「そのとき」には自分がどうしたいかを一番に考えるとめたら、気持が楽になったように思う。傍目には元の鞘に納まったように見えるかもしれないけれど、私たちにとってはお互いに少し大人になってまったく新しい関係を作っているところなのだ。
嵐明け 荒れ野踏み明け 朝に見る 花の愛しき 吾が笑みなれば
楽天家になる勇気
3月22日。やれやれ、お気楽な失業モードは3日で終わり。国際電話にまで「入りません」の一点張りで断り続けていたところから待ちかねていたような仕事。自然保護のおもしろそうな内容だし、納期にもゆとりがあるから引き受けることにした。今日1日を最後の休日にして明日からまた仕事モード。
そろそろ大学の勉強にも本腰を入れないと、制限時間ぎりぎり最後の試験までにレポートを全部出せない。なにしろまだひとつも出していないのだから、我ながら呆れる。試験は6月上旬。知らないぞ。お流れにして改めてもう一度取り直しということも可能だろうけれど、せっかくぼちぼちとやって来たんだし・・・
先月「THE OPTIMISTS」という芝居を観た。トロントの若手女性作家モーウィン・ブレブナー作のコメディだ。舞台はラスベガスのホテルの一室。結婚しに来たチックとティーニー、チックの幼馴染ダグと妻のマーギーの2組のカップル。チックは酒飲みでバツ2の四十男。おそらく高校中退の自動車セールスマン。ティーニーは同じ職場の受付係。二十歳そこそこだろう、あまり頭は良くなさそうだけど、底抜けに気のいい子だ。一方のダグは本を出版したばかりのガン専門医で、妻のマーギーは精神科医。この二人の仲はぎくしゃくして久しいようだ。酒が入るにつれて無二の親友のはずのチックとダグの間もギクシャクしてくる。最後に酒の勢いでカップルはそれぞれ違う相手とベッドルームに入ってしまう。
結婚式の朝。チックはウェディングドレスを着たティーニーにいう、「オレと結婚するなんて、キミは楽天家だ」。チックは続ける。「今日一日、みんな楽天家になろうぜ」と。また離婚するかもしれないなんて、まず結婚してみないとわかりっこない。とにかくうまく行くと信じてやってみないことには、うまく行くかどうかわかりっこないじゃないか」と。ティーニーは「下で待ってるわ。あなたが来なかったら誰か他の人と結婚しちゃうかもよ~」と出て行き、よれよれのスウェットをはいたままのチックはダグのシャツを借りてティーニーの後を追って行く。後に残ったダグとマーギー。「朝めしを食いに行こうか」とダグ。何となく寄り添うマーギー。この二人にもまだ望みがありそうな・・・。
この芝居は、楽天家は能天気な極楽とんぼではなく、今の状況がどんなに暗くても、たとえ先が見えなくても、未来に希望と夢を持つ勇気のある人間だといっているようだ。最後にはポロポロと涙が出てしまった。
雨の日のつれづれ・・・
3月23日。金曜日。ゆっくり寝て・・・と思ったら、今日はカレシが歯医者に行く日。(ちなみに私の予約は来週。)1年前から予約が入っていて、廊下のスケジュールボードに貼ってあった歯形のスティッカーは文字が薄れてしまっていた。前回の検診の後、担当だった上海生まれのチェン先生が独立して郊外に開業し、後釜に妹のチェン先生が入ったので、今回は初めての顔合わせだ。
カレシが出かけている間に、いろいろと事務処理をして、デスクの周りを整理して(というよりは、紙類の山を動かしているだけの感じがしないでもないけど)、編集が終わった仕事その1にざっと目を通して、新しい仕事の下準備をして・・・1日の午後はあっという間に過ぎる。クライアントから2月の請求書が来ていませんとのメール。いけない、大仕事にかまけてすっかり忘れていた。経理係のうっかりミス。といっても、首にするわけにもいかないのが悩み。そうか、日本の3月は年度末。今回の仕事といっしょに忘れずに出さなくては。
カレシが機嫌よく帰ってきた。チェン先生第2号も良い先生らしい。「キミよりも小さいよ~」と、ちょっと危ない傾向のあるカレシらしいとも取れなくもない評だけど、おいおい・・・。
先々週から何度も電話で催促している雨樋屋が明日の朝来るという連絡。八角塔の雨樋が詰まったらしく、雨が降るたびに一番低いらしい一角から盛大に雨がこぼれる。なしろ、容量が200リットル近い古いごみの容器が半日でいっぱいになってしまう。カレシは「もったいないなあ、取っておけたらいいのに」とぼやきながら、せっせと水を道路に捨てている。風などで飛んできて雨樋に落ちた木の葉が腐って、それがたまると排水する縦どいに水が流れなくなってしまうのだ。放っておいたら家がプカプカと漂流すると冗談をいってはみるけれど、家の土台に良くない。建替え前の古家などはコンクリートの土台に亀裂が入っていて、壁際の花壇に水をやっただけでベースメントに浸水した。今でも住んでいたらきっと屋内プールになっていただろう。見積りはいいからすぐに、といったら、では「明日」ということになったようだ。見積りもらって高いの安いのといっていたら、我が家が箱舟になってしまうではないか。やれやれ・・・
それにしてもよく雨が降る。きのう、おとといはまた100ミリ以上降ったらしく、あちこちでがけ崩れ。我が家の庭も歩くと足元でグチュグチュと音がするし、踏み固めた地面には大きな水溜り、池は溢れっぱなし。見渡す限り満開の桜もじっとりと濡れて枝垂桜風なのはちょっとかわいそう・・・ お出かけ土曜日
3月24日 土曜の朝、早く雨樋屋にたたき起こされた。10時か11時頃というから、きっと遅いだろうと思って、それでも10時に目覚ましをかけておいたら、9時50分の登場。土曜日なのにがんばるなあと感心。雨合羽姿の大柄なむっつりおじさん、植木だらけの狭い庭で長いはしごの操作にはちょっと苦戦したようだけど、大きな掃除機で20分ほどで詰まった雨樋を開通。ついでに縦どいの雨水を受ける玄関ポーチの雨樋まで掃除してくれた。
雨の上がった夕方、食事に出かける。今日はダウンタウンの小さなホテルのレストラン。Wedgewoodといういわゆるブティックホテルで、経営者は元億万長者夫人のギリシャ系美人。どんな有名人が泊まっても内緒ということでロケに来るハリウッドスターに人気があるそうだ。裁判所のそばにあるせいで、正面のラウンジBacchusはいつもアルマーニなんかを着込んだ弁護士たちのたまり場。この頃はちょっと一杯にも予約が必要なくらい。
ラウンジの奥にある同名のレストランは、料理もサービスも超一級なのに、ほとんど宣伝しないから「素敵なヒミツ」といったところ。案内されたテーブルはラウンジのピアノのすぐ横。黒いスーツの坊主頭のピアニストが準備をするそばで、マティニを傾けながらメニューをながめる。フォアグラのバロティーヌで始めて、ラムのニース風にしよう。カレシはロブスターにサルシフィのベルーテ、ビーフのフィレ。シェフのサービスです、と小さなカップにマッシュルームのベルーテが出てきた。最近はこんなふうにいわゆる日本式の「付き出し」を出すレストランが増えた。しかも、「もうちょっと欲しいなあ」というくらいおいしいことが多い。
カレシのセカンドコース、サルシフィのベルーテはあっさりとして、作ってみたいと思う味。ウェイターが、「お味見をどうぞ」と、私の前にもスプーンを置いてくれたのだ。こんなふうにさりげなく、それでいて軽口のひとつやふたつに乗ってくるサービスが好きだ。もちろんこちらもスマイルとサンキューを忘れない。適度に打ち解けると心なしかサービスも良くなって、ディナーも楽しくなる。
ピアノ演奏はジャズっぽいイージーリスニング。「お好きな曲を弾きますよ」というピアニスト氏。カレシははさっそくデューク・エリントンかビリー・ストレイホーンの曲を何かとリクエスト。軽快に「A 列車で行こう」が流れる。ストレイホーン流のタッチだねぇ、とカレシ。「ミュージシャンですか」と聞くから、「大好きなだけ」。ピアニスト氏は気を良くして「サテンドール」。私も、食後のアルマニャックを傾けながら、「ムーングロウ」を頼んだ。ずっと昔、仕事の研修で滞在していた横浜のニューグランドホテルのレストランで夜景を眺めがらたったひとりで22歳の誕生日を祝ったときにリクエストした曲だ。あの時、ワインを片手にちょっぴりおとなになった気分だったなつかしい曲。とても素敵に弾いてくれたピアニスト氏にそんなことを話しながら、チップをうんと弾んでしまった。とってもいいお出かけだった・・・
こんな日本語あるの?
3月25日。日本人のコミュニケーションのことがしつこく頭の中にある。「East is East, and West is West」というのはルドヤード・キプリングの詩に出て来る言葉で、「おお、東は東、西は西」といった後に「and never the twain shall meet (両者出会うことあらず)」と続く。その「東は東、西は西」を絵に描いたような構造も思考も背中合わせの二つの言語を操って、たまにはまったくかみ合わない「意思の伝達」を媒介する太鼓持ち的のことを生業としているもので、コミュニケーションというテーマは必然的に付いて回る厄介なシロモノでもある。
久しぶりにゆったりペースでの仕事。資料をぐぐって回るついでにおもしろ半分にコミュニケーションについて首を突っ込んだら、いつもの通りに大道草。言語学者やら英語学者やら心理学者やら、いろいろとおもしろいサイトが見つかる。日本人は相手の立場になって考えることで自己を拡大して他者を取り込む傾向があるという。ふむ、自己のバウンダリーを拡大して他者を「自己の領域」に取り込んでしまうというわけか。それではその他者の視点から見れば、相手が自分の立場になって(つまり、自分になって)考えてくれることによって自分という人格は相手に飲み込まれて「消滅」してしまうのではないのだろうか。つまりは、対話そのものが成立しないということか。それではコミュニケーションにならない。何だか、自己の存在感がないから他人の人生を横取りして生きようとするいわゆる「モラルハラスメント」のパターンに似ていなくもないような・・・。
それはさておき、どうして日本語の掲示板には「自慢された」、「見下された」という愚痴が多いのだろうか。ついつい好奇心の方がうるさくなって、あれこれ考えてみることになる。自慢の好きな人間はどこにでもいる。高慢ちきな人間もどこにでもいる。私だって何かがうまく行ってうれしいときはつい吹聴してしまいまたくなる。だけど、なのだ。例えばママ友が言ったことについて「~を自慢した」とか「私を見下した」と批判する代わりになぜか「~された」という受動態になっているところがいかにも奇異に感じる。そういう言い回しが日本語にあったっけ?と考えてしまうのだ。誰かが大きなダイヤが燦然と輝く指輪を見せびらかしたら、「あらまあ、自慢しちゃって」とは思っても、「自慢されちゃった」とは言わないだろうと思うけど。
自慢「された」というのは書き込んだ本人だから、英語にすると「I was ~」という形になるはずなんだけど、「見下された」とは言っても「自慢された」とは言わない。「あなたさっぱり英語上達しないのね」と言われて「私の英語力を見下された」と感じるのはわかるけど、「私もう英語困らないの」と言うのを自慢「された」と感じるとしたら、それはまだ英語が達者でない(と思っている)自分を自分で見下しているようにも思えるのだけど。とにかく不思議な心理としかいいようがない。ほんとうにそういう言い方が元からあったのかしら。
「人の痛みがわかる人間に育てる」という教育方針があって、運動会の徒競走ではリードしていた子供が遅い子供を待って全員いっしょにゴールインするという冗談かと思うような話も聞いたことがある。そんな「子供を傷つけない心優しい教育方針」と「みんないっしょ」思考と垂直な相対的位置で価値を図る思考が重なり合って、教育の趣旨とは裏腹に自分の痛みしかわからない人間を作ったのかもしれない。例えば、人間関係を自分を中心とする円で表すと、まだ自己が確立されていない子供の円ではすべての動線が中心にいる自分の方に向かっている。自己ができて来るとその動線は自分から外へも向かうようになって、双方向の動きになる。そのときに動線の先にある人の痛みもわかるようになる。それがコミュニケーションの基本ではないだろうか。「自慢された」という表現には他人に包囲されて怯える幼い自己があると思う。
杞憂でよかった
3月26日。前夜、いつもの真夜中のランチタイム。カレシがもじもじしながら「問題があるんで医者に行った方が良いみたいだ」と切り出した。別に体調が悪いようにも見えないので何かと思ったら、「アソコの先に赤いところと白くなっているところがあって、調べてみたらガンの前駆症状かもしれないんだ」という。後で調べたけれども、ガンの症状に「白斑」は見当たらない。それでもこのガンは比較的稀ではあるけど60代に多いらしい。私は両親ともガンで亡くしているから、頭の中をいろんな思いが駆け巡る。私自身も二度ほど「もしかして」という経験があるから、カレシの不安もよくわかる。でも、ネットの情報は溢れているようでこんなときに実際に役に立つものは少ない。とにかく、医者の意見を聞くのが先決ということになった。
というわけで、春らしい好天の月曜日、ダウンタウンへのお出かけとなった。ファミリードクターはマー先生。一見して中国系かと思うけれど、マーというのは由緒あるスコットランド氏族の名前だ。もう25年くらいのおつきあいだろうか。30分ほど待ってドクターのオフィスに呼ばれたカレシ、10分くらいでにこにこして出て来た。一瞬ほっとした。マー先生の診断は早い。明らかに大したことでなければ5分で済むこともある。おまけに驚くほど的確だ。何のことはない、ごくありきたりのイースト菌感染症。抗真菌薬の処方をもらって一件落着。やれやれ。
パーキングメーターにはまだたっぷり時間が残っている。カレシがコルトレーンのCDを探しているということで、HMVに立ち寄ることにした。私はぶらぶらとDVDの棚の間を散歩。『The Devil Wears Prada(プラダを着た悪魔)』が「2本で30ドル」。よし、買っちゃおう。もうひとつは何にしようか。『Iris(アイリス)』も見たい。ずっと前にテレビで見たニコラス・ケージの『RaisingArizona(赤ちゃん泥棒)』は7ドル99セント。昔PBSで見ていた『Wodehouse Playhouse』の2枚セットは前から欲しかった。お目当てのCDが見つからなかったカレシも加わって、結局はレジにDVDをどんと山積。まあ、「もしかしたらガン?」ショックも無事杞憂に終わったことだし、私もゆったり仕事モードになったことだし、久しぶりにブランディでも傾けながらの映画鑑賞もいいよね。
DYSJBAC?
3月27日。このところ毎週火曜日は早起きの日(といっても目覚ましが鳴るのは9時15分だけど)。カレシがシニア向けの英語教室に出かける日だからだ。シニアというのはだいたい65才以上。移民する子供といっしょか、あるいは呼び寄せでカナダに移民して来たシニアたちのほとんどは英語が話せないから、外へ出る機会がないまま社会から疎外されることが多い。この英語教室は中国系のシニアセンターが始めたもので、勉強というよりは「お遊び」に近いけれど、50年もカナダに住んでいて片言英語しか話せない人もいるとか。
だらだらやっていた仕事を終わらせて納品して、再び失業モード。月末処理をしなければとは思ってもまだ気が向かない。ひょっとしたら、私はちょっとばかり「一夜漬け型」なのかもしれないと思う。マラソンだったら、マイペースでとことこ走っていて、ゴール間近で俄然スピードアップ。100人抜きでゴールに突進とか・・・。
読売小町に『おーい その略語の意味はなんだい?』というおもしろそうなトピックが上がっていた。興味をそそられて覗いて見たら、これが実におもしろい。長いカタカナ語どころか日本語まで略語化されて、しかも近頃はその略語もさらに略語化されているらしい。だいたいは10代、20代の若者たちの生活圏のものが徹底的に短縮されている印象だ。
バンクーバーでもジャパレス、ジャパカナ、ロンドラ、スカトレ、コミカレ、ノーバン・・・と、ワーホリ語が花盛り。ワーホリだって元はといえば略語。最近は「ジャパガー」というのにお目にかかった。これで英語を勉強しに来たというからには、いったいどんな英語を覚えて帰るのやら。
もっとも日本語には漢字4つの熟語がごまんとあるし、昔から固有名詞は何でも漢字2つ、3つに略されて来たから、何でも端折るのは今に始まったことではないけれど、「あけおめ、ことよろ」と、新年の挨拶まで略語というのは、どうも礼節まで端折ってしまったような感じがする。これも携帯メールの影響なのだろうか。やっぱり、コミュニケーション戦線異常ありだ。そのうち仕事で格闘することにならなければいいけど。
いつか日本へ行って迷子になったときにどうしよう。「そこのぉ、スタバの角を曲がってぇ、ファミマがあってぇ、そこをあっちへ曲がってぇ、ミスドのところからぁ3軒目。すぐに見つかるよ」なんて。はあ?未来の日本人は「そこスタまがぁ、ファミマってぇ、そこあちまがぁ、ミスドか3め。すぐみ!」といったぐあいに略語でしゃべって、浦島さんの私は翻訳辞書をピッポッパッ・・・なんてことになっていたりして。
記憶への固執
3月28日。今夜は観劇。ジョン・マイトン作の『HALF LIFE』。作者の本職はトロント大学の数学教授だそう。なるほど、音楽もそうだけど、ドラマや詩にも数学的な要素がある。ステージは動かせる道具だけ。舞台は養護ホーム。母親のクララに面会に来たドナルド。クララは明らかに認知症。父親パトリックを入所させたアナ。パトリックは数学者で戦争中は暗号解読の仕事をしたという。「昔から作り話が多いの」とアナはいう。ドナルドもアナもバツイチの中年同士。話を始めてもすぐに邪魔が入って会話はそこで終わり。
次のシーンでは介護士(というのかな)のタミーが入所者に子供のゲームをさせる。そこでクララとパトリックが出会い、そこからロマンスが始まる。どうも二人は戦争中にどこかで出会って、しかも恋をしたらしい。二人の昔話はかみあっているような、いないような・・・だけど、人生の終焉に近づいた二人の恋はおかしくも美しい。最後までパトリックが本当にクララが昔出会った「パトリック」なのかどうかわからないまま。
芝居のテーマは「記憶」。ドナルドがアナに「人生で一番悲しかったことは何?」と聞く。「ありすぎるわ」とアナ。記憶というのは本当に不思議だ。どこまでも浄化されて美しくなる記憶もあれば、いつまでも心のかさぶたを弄り回す記憶もある。心の奥深くに閉じ込めてしまう記憶もあれば、思い出したいのにどこかにしまい忘れた記憶もある。人工知能が専門のドナルドにとって人間の記憶は「機能」でしかないようだ。コンピュータだっていっぱいになったらいらないデータを削除して新しいデータを記憶する、と。アナは「あなたのお母さんの脳は今何パーセントくらい機能しているの?」とやり返す。
高齢者がたった数時間前のことすら覚えていないのに、昔の話を微に入り細に入り、繰り返し語り続けるのは、その古い記憶が焼きついて残っているからだという。そうだったら、私が養護ホームに入る年令になった頃に持ち続けている記憶はどんなものだろう。子供の頃の思い出だろうか。海を渡って来た頃の思い出だろうか。職場での同僚たちとの交流だろうか。記憶に焼きついているのは私の人生のどこなんだろう。
今の私はカレシとの銀婚式までの「結婚時代」をほとんど思い出せない。時々すっかりぼやけた古写真のように浮かぶこともあるけれど、思い出そうとすればするほど、二人の年月が現実だったのか仮想現実だったのかもわからなくなって来る。仕事を終えて家に帰って毎日二人で何をしていたのか。週末にはどこへ行って何をしていたのか。二人でどんな話をしていたのか。何度も日本へ旅行して、いつどこで何を見たのか。みんな忘れてしまったようだ。二人で写した写真がほとんどないのは、もしかしたら「二人」は私の幻想だったのかもしれない。私は「愛する人と結婚した」と思い込んでいただけだったのかもしれない。
記憶というのは不思議な生きものだ。ハードディスクに保存した無機質なコードではないのだ。記憶があるからこそ人間は世代から世代へとつながって行ける。もし私に子供がいたら、少なくとも「親子三人」の記憶があの25年間の記憶をつないでくれたかもしれない。自分が生きて来た長い時間。あのダリの時計のように、記憶はどこかにあるはずなのだ。私のどこかにきっとある・・・そう思いたい。
春はまぼろし・・・
3月29日。今日は私が歯医者に行く番。クリニックまでは車でほぼ一直線だけど、春は一斉に道路工事が始まる季節。最初の大通りですでに渋滞だ。交差点のど真ん中を剥がして、再舗装。まあ、この冬は雨と雪の繰り返しで、街中の道路に穴ぼこ大量生産だそうだから、これからしばらくはどこへ行っても徐行運転なのだろう。
歯の健康状態はおおむね良好。ただし、右上の奥歯3本の充填が古くなって縁が歯から浮いているという。どうりでフロスが引っかかるはず。真ん中の歯にセラミックのオーバーレイ、その両側の歯に新しい充填で、歯科保険でカバーされない自己負担はざっと7万円前後。急ぐことはないから秋頃にやりましょうということでお決まりの歯ブラシとフロスをもらって帰ってきた。
今日は10日前に編集者に送った大仕事の最終納期。編集者がいるのは時差3時間先だからすでに夕方。日本はちょうど朝だ。最後のファイルがなかなか上がってこない。苦戦しているのかなと思いつつ、トレッドミルで走ること30分。まだ来ない。日本では1日の仕事が始まる頃。私がクライアントに推薦しての初仕事だから、日本時間を示す時計を見上げて、ちょっと心配になって来る。
夕食後を見計らったようにカレシに友だちから電話が入る。前から打診してあった美術館での写真展に興味がある。見たい芝居があるけれどいっしょに行かないか。そうそう、5月にはまたマギル大学同窓会の「ジャズナイト」があるけれど。4月には私たちも芝居とコンサートがある。この分ではソーシャルカレンダーも忙しくなりそうだ。
このところどうも夕食後の居眠りが多くなった。飲むせいもあるけれど、今頃になって疲れが出てきたのかもしれない。ぐっすり眠り込んでしまった。目が覚めたら、ファイルが上がっていた。送信時間はほぼ真夜中。寅さんもつらいけど、フリー稼業もつらいのだ。何しろ「納期厳守」は神様の掟より強い。日本は午後1時だ。ぎりぎりで滑り込みセーフというところ。入れ替わりのように新しい仕事が送られてきた。カレンダーにはもう納期の赤丸が2つ付いているのに。月末処理もしなければならないのに。去年の帳簿を締めて所得税申告の書類も揃えなければならないのに。大学のレポートも書かなければならないのに。少しは徐行運転したいのに。 あれもこれも、のに、のに、なのに。
それでも結局は「ま、いいか」となるから、私ってやっぱりハイパーな人間らしい・・・。
過ぎたるは・・・
3月30日。フリーザーもだんだん空きスペースが大きくなって、また忙しくなる前にと食料の買出しに出かけた。肉類はモールのスーパーとは別のところで仕入れている。普通だったら左折して大通りに出た後はラクラクのはずだけど、なにしろ街中をほじくり返している状態。大通りは地下鉄工事プラス普通の道路工事の渋滞で左折どころではない。待つのが苦手なカレシ、さっそくあっちへジグ、そっちへザグ。いたるところで進入制限、左折禁止の標識のオンパレード。交通標識のバーゲンセールでもあったのかいな・・・?
モールのそばの大きな交差点なら西方面へ右折できるだろうと、うんと大回りして北からアプローチしたのはいいけれど、何と「右折禁止」になっている。おいおい、東西を結ぶ幹線道路の交差点を2つとも左折禁止の右折禁止にしてしまったら、いったいどうすればいいんだよ~と、さすがの私も頭にきた。元々オリンピックの住民投票ではばっちりと「NO」に投票した私。札幌オリンピックの時だって、ダウンタウンは工事だらけでもこれほどの不便はなかった。だいぶ前に誰かが市役所の外に翻っていたオリンピックの旗を盗んだ。何だか内心拍手喝采したくもなる。市民にこれだけ日常生活の不便を強いるオリンピックなどおもしろくもない。
右折できないからしかたなく直進して、最初に出るはずだった大通りに戻ってしまった。ここも右折禁止。でも、なのだ。前の車は右折のシグナル。その前の車も右へ曲がって行く。「理不尽なルールは結局みんな無視するんだよ」と自分も右折しながらカレシ。何だか同感。工事のために徐行しなければならないのはいい。左折禁止も理屈はわかる。だけど、東西の幹線道路でまだ通じているのはごくわずかしかないのに、そこに右折もさせないのはちょっと理不尽に過ぎるというものだ。もちろん、一車線だけになった道路で右折車が交通渋滞を起こさないようにするための右折禁止だろう。だったら、後続の車に支障がなければ曲がってもいいではないかと思う。現に、そうと決め込んだ人間が多いと見えて、交通の少ないときはてんでに左折も右折もやり放題。社会の秩序を保つためのルールも行き過ぎれば誰も守らないということだろう。
結局、いつもなら10分で行けるスーパーまで倍以上の時間がかかってしまった。山ほど肉類を買い込んでフリーザーは満杯。まあ、しばらくはこれで食べるには困らないけど、何だか篭城作戦のような・・・
暦をめくって・・・
3月31日。とうとう弥生3月最後の日。ひとつ仕事をねじ込んで、日本は年度末でもあることだしと、ついでに請求事務も完了。ここ3年間は連続で3月末までの請求額累計が増えている。これで円高になってくれればいうことなしだけど、こっちの方はなかなか思惑通りに行かない。日本政府さまぁ、何とかしてくれませんかあ・・・
フリーになって満で17年と2ヶ月。メールもインターネットがない時代だったから、日本にコネでもない限りは地元の需要だけが頼りで、専門云々などと贅沢なことは言えなかった。門前の小僧力とありあまる好奇心にまかせての「何でも屋」の翻訳業。ビジネス文書から契約文書から宣伝広告から技術文書から個人的な文書、果てはラブレターまで。カナダの純情な夢夫君が日本の夢子さんに書いた熱い思い。恋は実ったらしいけど、その後の二人がどうなったかは知らない。
高校留学するという女の子の学業成績なんていうのもあったっけ。学期ごとに「留学するという目標を持っているのはすばらしい」といったようなコメントが書き込まれていたけど、肝心の英語の成績は中学校3年間を通して「C」のまま。高校進学は無理そうな成績だからいっそ海外へでも留学させるか、という親の考えだろうと勘ぐって見た。料金を請求したら「入学できたら払う(できなかったら払わん)」と。え、できるできないは私とはぜ~んぜん関係ないでしょうが。なるほど、この父にしてこの娘、というところ。料金の方は仲介人の依頼主を脅かして取り立てたけど。財政難の公立高校にとっては留学生はまたとない収入源だから、このお嬢ちゃんも無事「高校留学」を果たしたようだ。ただし、日本人相手の怪しげな仲介ビジネスの仕事は引き受けないことにしたので、彼女がその後どうなったかは知らない。
世紀が変わる頃、まるで人生の大転換期に歩調を合わせたように、入ってくる原稿が日本語になった。営業活動をしたわけでもないから不思議。でも、英語入力は漢字変換がないから、思考をずたずたに中断されずに済むのがうれしい。新たに科学論文の仕事が加わって、呆れるほど沢山の「○○学」があるものだと感心した。科学論文は難しいけれど、とにかく楽しい。そういえば、改名したら新規の引き合いがほぼ英語一本になったのは偶然ではないようだ。上も下も英語なので、ミドルネームが日本名でも英語生まれの英語育ちと早合点するらしい。予期しなかったご利益のような勘違いだけど、まあ、それが法的に正式な氏名なもので・・・
もっとおもろしろいのは日本の世相や人間模様を外野席で見ることができることだろう。企業の内情を覗き見するのはちょっぴりスリルがある。有名企業がセクハラやパワハラの扱いに頭を抱えていたり、国際化戦略をぶち上げているものの傍目で見ると「外国音痴」だったり、時には人種差別意識が見え隠れしていたり、私の分析癖をかきたてることが多いからおもしろい。今どきの社会文化なのか、本来の日本文化なのか、はては日本語の構造なのかと、つい考え込むことになるけれど、そこはゲームを俯瞰できる外野アルプススタンドの最上段に陣取った野次馬だから、いくら大声で野次を飛ばしてもプレーヤーには届かない気楽さがある。
さて、明日はエイプリルフール。カレシをかつぐいいアイデア、ないかなあ・・・