極楽とんぼ亭:感謝祭の晩餐は鴨づくし
10月11日。月曜日。カナダは感謝祭。天気はまあまあだけど、また雨の予報。日本は連休明けの仕事の日。いの一番に今日が期限の仕事を見直して、送ってしまって、後はちょうどよく解凍した「鴨」をどうしようかと考えるだけ。
重さは1.9キロ。最近スーパーで見かける鴨に比べるとやや小ぶりだけど、なにしろ食べ手は2人だけだから、まっ、このあたりが妥当かな。そっくりローストしてもいいんだけど、鴨は鶏や七面鳥のように全体が柔らかくならないし、なにしろ皮下脂肪がすごくて後のオーブンの掃除が大変。そこで、極楽とんぼ亭のシェフは、めんどうな後始末を回避すべく、1羽を解体して何コースの料理ができるか思案してみる・・・。
今日のメニュー:
鴨のレバーの即席パテ、コニャック風味
なんちゃら鴨鍋風スープ
鴨の胸肉燻製入りロール、チェリーブランディのリダクション、シャンテレルきのこといんげん添え
鴨のもも肉のコンフィ、コーンソテー、アスパラガス添え
バンクーバー随一と(勝手に)定評のマティニ(大きな氷を3個入れたシェーカーでかっきり40回シェークするのが秘訣とか)を片手に調理開始・・・。
[写真] 小ぶりの鴨だからおなかの中に入ってたレバーも砂肝も小さめ。でも、捨てるのはもったいないから、胸肉を外した後に骨に残った肉をかき取って刻んだレバー、砂肝と一緒にして、バター、玉ねぎ、コニャック、粒コショウで炒め、液体卵白を少々加えてフードプロセッサにかけたのをシリコンのマフィン型に詰めてさっと蒸してみた。思いつきだったのに大ヒット。カレシは「ちゃんとレシピを記録しておきなよ」と3回も言った。何がどういう風に受けるかわからないのが極楽とんぼ亭のヒミツ・・・?
[写真] 肋骨から外した胸肉の片側。そういえば日本には「鴨鍋」というのがある。実際に食べたことはないけど、「鍋」とつく料理はたいていスープがつくから、ここは思いつくままに「なんちゃら鴨鍋風」。白菜を少々、生しいたけ2本、小さいゆでたけのこ1個を切って、解体後から火にかけてあった鴨の骨ガラスープでしょうゆ味に仕立てた。肉は薄くスライスして、パテを食べている間にレンジの余熱で仕上げ。正真正銘の「鴨鍋」については知らないから何ともいえないけど、なんちゃら風もそれなりにおいしい。
[写真] 胸肉のもう一方。こっちはバタフライに開いて、まだ在庫があった鴨の胸肉の燻製のスライスを置いて、電子レンジで熱を通したアスパラガスを中心にしてクルクル。下ごしらえの段階で小鍋に入れたチェリーブランディを火にかけてリダクションを作り始め、ロールを糸で縛って冷蔵庫へ。前のコースを食べている間にカレシが庭の菜園から採って来たいんげんを蒸し初めて、「お次」という段階では鴨を転がしながら焼いて、シャンテレルきのこをバター炒めするだけ。前のコースを消化しながらささっと調理する。料理は段取りも大事だから。
[写真] 感謝祭の鴨づくし、メインはカレシのリクエストで「もも肉のコンフィ」。何度か使いまわして冷凍してある脂をキャセロールで解凍して、そこへももを沈め、カレシ菜園産のタイムとオレガノの小枝を何本か置いて、低めの温度のオーブンでことことと2時間半。今年最後になりそうなローカルのとうもろこしの実を外して、オレンジピーマンと炒め、アスパラガスを蒸して、できあがり。
鴨1羽を骨と皮を残してぺろりと食べてしまったカレシとワタシ。ついでにオカナガン地方のピノノワールも1本空けてしまって、ああ、満腹の満足。たまにはコレステロールも飽和脂肪も塩分も何のそのの意気込みでおいしいものを食べなくちゃね。世はすべて(食欲の)秋。すばらしき秋の味覚を神様に感謝・・・。
誰が誰をコントロール?
10月12日。火曜日。大寝坊して目覚めは午後12時35分。おかげでまたFedExの配達を逃してしまった。ゲートにぶら下がっていた不在通知を見たら「午後12時6分」。普通に起きていたら間に合っただろうに。配達のトライはこれっきりで、放っておいたら小包は送り返されてしまう。さっそく電話に飛びついて、「○○のご用は何番を押してください」を繰り返して、やっと人間の声。またまた配達を逃したのでピックアップに行きたいんですが・・・。長ったらしい12桁の追跡番号を読み上げて、「○○さん宛ですね」。そう、そう、それはワタシ。ということで、あした空港に近いデポで引き取れるのを確認して、やれやれ。
朝食が終わるか終わらないかの頃に隣のパットから電話。週末にスコーミッシュに引っ越した親しい友達のニータ(90代の元気なおばあちゃん)を訪ねて行って、義妹のジュディのママが転んで脊椎を骨折したという知らせ。今は退院して郊外の次女のところで介護してもらっているとか。ジュディの両親とニータは長年の付き合いで、パットはニータを通して2人と知り合い、そのパットが我が家の隣人。そういうつながりを知ったのはおととしのクリスマスにパットの招待で行ったニータの家でのパーティというめぐり合わせ。ジュディのパパは去年のクリスマスに会った時に「ん?」と感じたんだけど、その後アルハイマー症と診断されて介護ホーム入り。ママはそれを気に病んでうつ病になり、しばらく次女のジャネットのところに同居していた。どちらも80代後半で、老いて行く親を持つ子供がやがて直面しなければならないことなんだろうけど・・・。
マリルーからのメールには「ママの調子の波が大きくて、こんなことを考えたくないけど、どうも生きる意欲を失くしたような感じがする」と、これも気がかりなニュース。きのうカレシが電話したときは気分が良さそうで、「この次に行った時に農場があったチリワックまで遠出してみる?」と聞いたら大いに乗り気だったとカレシも喜んでいたのに。処方された鎮痛薬のせいもあるのかもしれないけど、パパは食べるのを止めてしまってほどなくして他界した。ママは精神的に強い人だけど、パパがいなくなって生きる目的のようなものを見失ってしまったのかなあ。そういえば、体力的に不可能なことはわかっているのに、最後までパパを自分の手元に置きたがっていた。家族には「24時間介護はお金がかかって大変なの」と言うので、「あと20年以上楽々暮らせるだけの蓄えがあるのに何を言っているの」とみんな笑っていたけど、傍目には軽はずみな結婚で苦労の多い人生だったように見えても、ママにはママなりの、子供にさえもわからない「夫婦の情」があったのかもしれないな。
そのママの息子のカレシもこのところどうもうつっぽいところがある。寝つきが悪くてよく眠れないとこぼすし、胃の調子が良くなかったり、ときどき「おいおい」というような行動があったり。ママのことが自分でも気づかないうちにストレスになっているんだろうと思うけど、ママに「他人にああしろこうしろといわれるのがいやなら、いやと言えばいいじゃないか」とけしかけるのはどうかなあ。カレシにしてみれば「ママが他人にコントロールされる(ママを取られる)のではないか」という危機感があるんだろうけど、マリルーまでが「好むと好まざるに関わりなく介護が必要な状態なんだから、ママをたきつけないように言ってよ」と苦情を言ってくる。カレシが人にああしろこうしろと言われるのを嫌うのはそういう性格だからいいとしても、それをママに押し付けるのは良くないよね。まあ、そういうところは元々ママに似たんじゃないかと思うところがあるけど、カレシの場合「自分で自分をコントロールしたい」と言うのはたぶん「他人にコントロールされたくない」、あるいは「コントロールされるのではないか」という気持が根底にあるのではないかと思う。誰にだって他人の厚意に自分の福祉を委ねるのが最善という場合があるんだけどなあ。
まあこのところワタシが自閉スペクトラムやアスペルガー症候群について話題にして、あれこれと説明語りしていたもので、何となく自分で思い当たって調べてみたのかなという感じもしないではない。そうだとしたら、あんがいそれもストレス要因になっているのかもしれないけど、元々うつっぽい体質なんだろうと思えるところがあるのは確かで、トレッドミルで汗を流した後は気分がすっきりするというから、やっぱり精神的なストレスが睡眠や胃腸の不調になって現れているんだろう。人間は、心の動きに関しては脳よりも体の方が敏感なものだと思う。だけど、カナダには「心療内科」という気軽?に行けそうなところがないから、はてどうしたものやら。まあ、あったとしても他人にコントロールされたくないカレシが行くかどうかは疑問だけど・・・。
秋たけなわの晴れた日に
10月13日。水曜日。かなりよく眠った気分で、目を覚ましたら午前11時20分。お、早いねえ、今日は。カレシも目が覚めたようで、う~んと腕を伸ばしてきたから、ちゃっかり腕枕。よく眠れた?と聞いたら、「3回くらい起きた」と。どうして?「寝る前に水を飲みすぎた」。あら、まあ・・・。
起きてみたら、何だろうな、この陽気。もう10月も半分だというのに。シーラとヴァルが掃除に来て、シーラが二階のバスルームにかかっている間、ワンちゃんのレクシーは「物見の塔」の陽だまりでのんびりと昼寝タイム。階段に座ってシーラとおしゃべりしながら見ていたら、やおらむっくりと起き上がって、窓の下へ。あはは、陽だまりはちょっと暑すぎたらしい。ほんと、空は秋の色だけど、秋たけなわとは思えない陽気。
腰の重いカレシがその気になったところで、シーラとヴァルを残して、まずはFedExのオフィスへ行って「お勉強」DVDの箱を引き取り、その足で今度はモールの郵便局へ行って、私書箱から溢れて保管室入りした郵便物を引き取り。デパートの袋にカタログがどっさりで、ずっしりと重い。中にとっくに支払い済みのクレジットカードの請求書と、今月末が期限のHST(連邦と州の統一売上税)の納付書。今までは連邦の分だけだったのが、HSTでは州の分も申告するから、還付の対象が増える勘定。ちょっとホクホクした気分になったけど、同じ封筒に「申告期限超過の場合は罰則金を徴収します」という通知。へえ、期限までに申告しない人が多いのかな。ぐうたらなワタシだって、時には半分徹夜してでも3ヵ月分の伝票(のつじつま)を合わせて、ちゃんと期限ぎりぎりに申告しているけどなあ。
このところずっと高止まりのカナダドル。今日はとうとう米ドルレートが99.5セントと事実上の等価になってしまった。このレートで米ドル口座に入ってくる翻訳収入をカナダドル口座に移したらえらい差損が出るから困る。ま、困ることは困るけど、米ドル建てのクレジットカードを使ってアメリカの通販カタログから買い物をすれば、こっちは為替が絡まないから損はない。ついでにネット銀行に入れっぱなしの貯金を出して来て、カナダドルがほど良く下がるまで米ドル口座に入れておいたら、今度はだいぶ為替差益が出るだろうな。あはは、FX相場でちょっぴり投機をやっているような気分・・・。
今日はカレシの英語教室の日で、食事を済ませて送り出すまでラッシュ、ラッシュ。トレッドミルに片足を乗せたところで思いついてキッチンに駆け上がり、大きなポテトを2個を洗って、皮ごと切って、フレンチフライメーカーにセット。ポテトを焼いている間にトレッドミルで走って、1分間の特急シャワー。キッチンに駆け込んで、フライパンを熱して冷凍のまぐろのパティを焼き始めてから二階のバスルームへ。とりあえず顔にローションとクリームを塗って、階段を駆け下りて、ロールパンを上下2つにスライスしてトースターオーブンに入れて、カレシの冷蔵庫からレタスの葉っぱを何枚か失敬してきて、ロールパンが温まったところで、ちょうどタイミングよくフレンチフライのでき上がり。ほくほくとできたフレンチフライをお皿に山盛りにして、ファストフードレストラン極楽とんぼ亭の本日のスペシャル、「ツナバーガー・セット」ができあがり。所要時間35分。やったあ。
カレシが出かけるしたくをしている頃、落盤があった鉱山での救出作業が続いていたチリで最後の33人目が地上に出てきたというニュース。おお、やったかあ。こっちまで心が躍ってくる。ここまで来て不測の事態なんかあったら「悲劇」という言葉では言い表せないもの。ああ、良かった。カレシが帰ってくる頃には地下に降りていた救助隊員も上がって来て、世界中が息をのんで見守った世紀のドラマはハッピーエンド。クーデーターや軍事政権で多くの国民が殺された苦難の経験を持つチリの人たちにとっては、誇らしいだけではなくて、国民の心がひとつになったできごとでもあるだろうな。これがもし中国の鉱山で起きた事故だったら、世界からの応援を素直に受け入れただろうか。どのような展開になって、地下に閉じ込められた33人はどうなっていただろうか。それにしても、世界の技術があれだけ迅速に結集して、あれだけのスピードと正確さで難事業を成し遂げたのはすごいと思う。大感激で涙が出てきた。ほんとに良かったなあ。
心の中の開かずのドア
10月14日。木曜日。目が覚めたら薄暗い。午前8時過ぎにごみ収集トラックの轟音で目が覚めて、それっきり眠れなかったというカレシ。時計は午後12時過ぎ。「今日はすごくだらけた気分だから」と、そのまま腕枕でうとうとしたり、おなかが空いてきたワタシがちょっかいを出したり。「そろそろ起きるか~」というカレシのかけ声で起き出したのは午前12時59分!この調子だと、朝食が終わったらもう夕食のしたくの時間になっちゃうじゃないの。
いい陽気だったきのうとうって変わって、今日は午後になっても10度がやっと。明日の朝方の最低気温は5度だって!ふむ、このまま一気に冬に向かうのかなあ。まだ家の周りの冬支度をやってないんだけどなあ。もっとも、あれやこれやと頭痛の種が芽を出して来たり、ここのとろこちょっと仕事のペースが落ちて遅れが出てきたりで、なんだかんだと振り回されて冬支度を考えるどころじゃないんだけど、このまま寒くなるなら、やっぱり考えなくちゃならないか・・・。
今日のカナダドルは瞬間風速的に米ドルより高くなったけど、けっきょくはきのうとあまり変わらない相場。ほんとにネット銀行にある資金を米ドル口座に移動することにして、カレシがログインしたのはいいけど、パスワードが違うと言われ、設定した覚えのない「秘密の質問」の答を要求され、とうとう「そんなの知らんっ」とキレてしまった。腎臓の超音波検査が来週に迫っていることもあるし、ママのこともあるし、英語教室をやめるかどうかで揺れているし、他にも思い通りに行かないことが重なって、よく眠れないし、頭がくらくらするし・・・。そうやって伸びに伸びきったゴムがプッツン。ワタシは「ヘルプデスクに電話してどういうことか聞けばいいでしょ」とだけ言って退散。(ほら、おかげでまた仕事ができないじゃないの。まったくもう、オフィスを引っ越したいよ。二階の日当たりのいい八角部屋なんかいいだろうなあ、明るくて・・・。)
ま、ワタシがオフィスを離れている間にヘルプに電話したようで、10分ほどしてしおらしい顔つきで「わかったよ」と言いに来た。要するに、あまり長いことお金を入れっぱなしだったので、その間にセキュリティが強化されたのを知らなかっただけのことで、システムが変更されたときにパスワードも「無効」になったらしい。ちょこちょこ出し入れしていれば「お知らせ」があったはずだけど、なにしろ口座を開いてまとまった額を入れたままそれっきり。ま、無事にログインできて、見たらいつのまにか利子が5千ドル。ネット銀行だから利率がかなり高いのはわかっていたけど、複利のパワーはばかにできないな。なんだか引き出すのがもったいないような気がして来たけど、とりあえず半端な額を残して元の銀行口座に「移動」をクリック。やれやれ。
久しぶりに突風が吹いて貯まっていた「落ち葉」がクリアされたところで、「他人の指図は受けない」主義の人に向かってあれこれと「説法」を試みる。こういう「大人たるものの心得」みたいな話は、キレたことでバツが悪くてシュンとなっているときでないと聞く耳を持たない人だから、こっちもちょっと必死で、「人間というのは・・・」といつも思っていることを話すんだけど、どこか心の隅には「わかってもらえるのかなあ」という、なんか半分あきらめているような気持もある。最初の創作の先生は「人の心の中にはたくさんのドアが並んでいて、開けるとそこにはいろいろな思いがこもっている」と言い、黙想でそのドアの前を通って心の奥の一番深いところにある自分だけの「サンクチュアリ」に降りて行き、そこでドアを開けて出てくる「思い」と向き合ってインスピレーションを得た。黙想の中で閉じ込められていた「自分」と再会する不思議な体験があって、ワタシの今の名前の源泉になったストーリーが生まれて、そこからワタシの再構築が始まったような気がする。
でも、人間の心には自分にも他人にも開けることのできない「ドア」もあるのではないかという気もする。外側にドアノブのないドア。たとえぴたり合うと鍵を見つけたとしても、ノブがないからドアを開くことはできない。内側からなら開けられるのかもしれないけど、外にいる人にはドアを叩いて、「開けて」と声をかけて、中にいる「思い」がドアを開けるのを待つしかない。カレシの心の中にも、どんな「思い」がこもっているのかはわからないけど、そういう「開かずのドア」があるような気がするな。
しおらしく「短気を起こして悪かった。ごめんね」と言うカレシ。「わかってくれればいいの」とハグして仲直りしてしまうワタシ。こんなときに「どこでもドア」があったらいいのになあ・・・。
秋の空と不器用な乙女心
10月15日。金曜日。きのうはなんかくたびれていた2人。すっかりガスが抜けたらしいワタシはぐっすり眠り、カレシも途中で外の騒音で目が覚めたものの、また眠りに戻れたらしい。小さなことでも一度気になってしまうと、それが頭の中でどんどん嵩が大きくなってしまいに他のことが押し出されてしまうところがあって、外から見ているとまるで罠に足を取られた動物。もがけばもがくほど抜けられなくなるらしいから大変。まあ、一種のこだわり癖といえばそうかもしれない。生きにくいだろうとは思うけど、こればかりはねえ・・・。
今日はまぶしいくらいの晴れ。かなり温度が上がっている。暑くなったり、寒くなったり、また暑くなったり、なんだか落ち着かない。何とかと秋の空というけど、今どきの乙女心って秋の空のごとく変わりやすいのかなあ。今日のカレシは「疲れているから徹底的にのんびりする」と言いながら、こっちは仕事の遅れを取り戻すべくねじり鉢巻なのにやたらとハグしてきたり、話しかけてきたり。嵐の後の青空作戦を展開中なのかな。きのうの「お説教」が利きすぎたのかなあ。それとも「じゃあ出て行く」と言っちゃったのが響いているのかなあ・・・。
「いろんなことがありすぎてやってられない!」と言い訳するカレシに、ワタシだって家事だ仕事だ何だとごちゃごちゃ考えることばっかりあってストレスだわ!と言い返したら、「そんなら考えるのなんかやめてしまえ!」と来た。その応答が「じゃあ出て行く」だったんだけど、「何でそんなことを言うんだよ!」と怒るカレシにこう言った: あのね、アナタもワタシが毎日いつも考えている「ごちゃごちゃ」の中に入っているの。機嫌が悪ければ何かあったのかなと心配だし、にこにこしていれば楽しいことがあるんだなと思ってこっちも気持がいい。簡単に考えるのをやめてしまえと言うけど、それはアナタのことを考えるのもやめるってことで、それではワタシがここにいる意味はない。だって、ワタシはもうどうでもよくなった男と一緒に生活して「仮面夫婦」をやれるほど器用にはできてないのよ!まあ、ワタシとしては、ほんとに愛が冷えきって、どうでもよくなった男と一緒に暮らすなんて考えるだけでもいやだし、ましてや仮面夫婦を演じるなんてできないし、掲示板なんかで「家族愛」と言っている夫婦関係に変えることもたぶんできそうにないから、これは本当の気持・・・。
まあ、仲直りして落ち着いてみたら、なんだかヘンなお説教だと思ったけど、意外にぶきっちょな乙女心が残っていたのかもしれない。きのうの今日というのか、食事の支度をしていても、いつもなら自分のすることだけを済ませてさっさとオフィスのPCの前に戻ってしまうカレシが、今日はキッチンに居残って、あれこれ話しながら夕食ができるのを待っていた。「待つ」ということが苦手な人にとってはかなりの努力ものだろうと思うけど、料理の本を見てグルメサラダの材料を書き出してみたり、自分なりに工夫していたのかな。しまいに「生ごみがいっぱいになったら捨てて来るよ」と唐突に言い出したからびっくり。ま、いわしの頭と腹わたを取ったばかりだったので、すぐに外のごみ容器に持って行ってもらったけど、はて、この風の吹きまわし、春のそよ風なのか、ジェット気流なのか、ひょっとしたら凪なのか。さて、あしたの風は・・・?
美食も過ぎると舌がぼける
10月16日。土曜日。かなりよく眠った気分で午前11時半に目覚め。「鼻が詰まっている。風邪を引いたかも」というカレシとしばし寝ぼけまなこのひとときを過ごして、正午ぎりぎりに起床。今日もまぶしい天気。朝食の準備で動き回ったせいもあるのか、カレシの鼻づまりもテーブルに着いた頃にはほぼ解消。心にたまった「ガス」は抜くのに限る。ただし、夫婦げんかでのガス抜きはほどほどにしたいもんだけど。
今日はいの一番にねじ込み仕事に取りかかった。小さいけど、なぜか2つとも先進医療の話なもので、資料をググって回るのに時間がかかる。今日は久しぶりに2人だけのディナーにお出かけだから、早めにトレッドミルで走って、シャワーをして、おめかしをしたい。そういう「誘因」があるから、脳みその写真やら肺の写真やらを眺めながら、なんとかがんばって、無事に2つとも終了。だけど、こういう週末のねじ込み仕事はそろそろ「ノー」ということも考えないとだめだかな。もちろん客先にとっては便利だから重宝してもらって、どんどん仕事をもらえるんだけど、こっちもそろそろ遊びたい年頃だしね。
ディナーは久しぶりにWestへ。レストラン業界はHST(統合売上税)の導入で税金が5%から12%になったもので、客足が遠のいたり、チップが減ったりして四苦八苦していると聞いていたけど、今日のWestは満席。景気がいいんだか、景気なんて関係ないのか。メニューを見ながら飲むカクテルはここではなぜかいつもアヴィエーション。久しぶりだから、カレシは野菜と魚が中心の「秋の味見メニュー」、ワタシは肉が中心の「シェフの味見メニュー」に決めて、ワインはそれぞれ好みの白と赤をグラスで注文。この頃は2人の注文が肉と魚に分かれてしまうことが多いので、ワインをボトルで注文するのが難しい。
不思議にアジア的な味のするコンソメのアミューズブーシュの後、カレシのメニューはカニ、ホタテ、魚介のリゾット、オヒョウ。ワタシのメニューはビンナガのたたきとポン酢でマリネートしたトロ(海苔のピューレというのがおもしろい)、松茸(イカとウニ、イカ墨のアイオリ付き)、シカの肉のチョコレート煮(おいしい!)を載せたリゾット、28日間かけて熟成したビーフのヒレ(これは感心するくらい柔らかかった)。メロンのソルベで口直しをして、カレシのデザートはバーボン風味のチョコレートクリーム。ワタシは梨のポートワイン煮とカルヴァドスを使ったサヴァラン。食後のエスプレッソを頼んで、小さなプチフールが出てきて、もうおなかがいっぱい。
でも、今日のは今までのWestのメニューで最高だったような感じがする。担当サーバーのダニエルさんにそう言ったら、4ヵ月ほど前にシェフが代わったんだそうな。それまでスーシェフ(シェフの助手?)だった人が昇格したんだそうだけど、この人、なかなかユニークな発想を持っているようだし、将来有望そうだな。満席だったのは新しいシェフの手腕もあるのかな。ほんとに久しぶりに「ああ、おいしいものを食べた」という満足感があった。もっとも、何年も週末ごとに外食していたのが、魚を常食するようになって月1回くらいのペースになったから、「久しぶり」というお楽しみ要素ができたことも大きいと思う。美食もある意味で習慣になると「舌」が鈍ってしまって、ありがた味がわからなくなるのかもしれないな。さて、Westの新シェフは同じオーナーのBlue Water Caféに取られたバンクーバーのレストランのナンバーワンを取り戻せるか・・・?
類友?ドッペルゲンガー?
10月17日。日曜日。今日もいい天気だけど、だんだんに寒くなって来ているような。正午過ぎに起きて、さて朝食、と思ったらパンがない。ま、きのうはパンを焼く時間がなかったからしょうがない。仕込からできあがりまで3時間と15分。ディナーに出かける前にぎりぎりで間に合ったかもしれないけど、パン焼き担当のカレシが忘れてしまったんだもんね。しょうがないから1個のロールパンを半分ずつ。
今日やたらと「あれはどうしたらいい?これはどっちの方がいい?」とワタシの「決断」を仰いでくるなあ。他人の意見を聞く耳を持っているところを見せようというのかもしれないけど、何となくポイントがずれているような気がする。あのね、ワタシが言いたかったのは、他人の考えや意見を反射的に自分への「指図(あるいは支配)」と解釈して頭から拒絶してしまう性向がイライラにつながっているんじゃないかってことであって、人の言うことをはいはいと聞きなさいってことじゃないんだけど。自分に対して、自分の決定の影響を受ける人たちに対して責任がもてるなら、自分の決定の結果に責任がもてるなら、アナタの好きなようにしてもらっても、ワタシはちっともかまわないんだけど。でも、そういう責任を取れる自信がないなら、人の意見に耳を傾けた方がいいっていってるんだけど。役に立たないと思ったら黙って不採用にすればいいんだし、それで気を悪くする人がいたら、その人こそ他人を思い通りに動かそうとしているってことじゃない?
まあ、カレシのことは長い間見ていてわかっていることだからいいんだけど、今どきの若い人たちには、人見知りするというのか、他人とどう向き合ったらいいのか戸惑っている人たちが増えているんじゃないかと思うことがある。世界がリアルタイムで無限大に広がる「はず」のインターネットの時代の趣旨に逆行するような気もするけど、どうやらこの頃は(仮想空間を通した)世界が大きく広がれば広がるほど、人間は狭くて見通しのない世界(安全圏)に閉じこもって、萎縮しつつあるように見える。これも不安に満ちた社会への反動なのかな。物理の原理を借りれば、高く舞い上がれば上がるほど、落ちたときにより激しく地面にたたきつけらる。あるいは、ばねのように、圧縮する力がたまればたまるほど、その力が急になくなったときに跳ね返ってくる力が大きい。ということは、日本の社会に鬱積した鬱屈した気分も、いつかは爆発的なエネルギーとなって放出されるってこと?それとも、たまりにたまったあげくにブラックホールの裏側の方へスポッと抜けてしまったりして・・・。
そういう人たちが集まって「そうそう」と互いの肩を叩き合っているようなのが小町で賑わっている『結局、気が合うのは同じぐらいの学歴(頭の程度)な気がして来た』というトピック。しばらく前には「年収が同じレベルの人としかつきあえない」というトピックがあったから、これもわざわざ開けて見なくても、自分は「高学歴だからそうでない人より人間の格が上」と(たぶん週刊誌に煽られてそうだと)信じている人が立てた「レベルが下の人とは話が合わなくて・・・」という嘆きトピックなんだろうとは想像がつく。同業者の会合でも、たまにだけど初対面であいさつもそこそこに「大学はどちら?」と切り出す若い人がいて、「行ったことないっス」と答えると、たいていの場合は「・・・」。(そこでワタシは「それで20年もぼろ儲けできるんだから、いい商売ですよねえ」と追い討ちをかけて、イジワルばあさんぶりを発揮するんだけど・・・。)
要するに、相手の学歴が自分と同じくらいでないと、言い換えれば、自分が知っていることを知らない人や自分が知らないことを知っている人だと、「気が合わない、話が合わない、感性が合わない、ジョークセンスが合わない、笑いのツボが合わない、一緒にいて会話していて楽しくない」ということで、なぜかというと、(自分は超高学歴ではないけど)あまりに違う方とお話しすると、政治や経済の一般常識すら通じなかったり、モノの知らなさに(わざわざ説明しなければならなくて)イラッとさせられたり、情操的興味や趣味をお持ちでなかったりして、映画や音楽や読書の話題をふってもまったくもって通じないし、感性の共鳴もない、から。まあ、「あまりに違う方とお話しする」とか「情操的興味や趣味をお持ちでなかったり」とか、「人を見下ろしたトピだと受け取られたら前もって謝ります」とか、自分の教養の高さやお育ちのよさをアピールするような文だけど、(無学歴な)ワタシはタイトルそのものを「気が合うのは同じぐらいの頭の程度な気がして来た」と変えたほうがぴったりなんじゃないかとイジワルに思ってしまう。それにしても、「同じように感じる方がいらっしゃいませんか」という問いに対して、「同じように感じる方」がわんさといるからすごい。
へえ、今どきの人間の交流はそういう基準で取り仕切られているんだと感心する一方で、青山学院大学の日置教授が『活字離れは他者離れ』の中で今の若者たちにとっては「自分の幅を広げて成長することより、安全圏を確保してその内側に収まっていることのほうが優先されるのです」と言っていたのを思い出して、なるほどなあと思った。要するに、自分が知っていること、自分が興味を持っていることが自分にとっての「安全圏」なもんで、そこから出たくない、あるいは出るのが怖いから、同じことを知っている人や同じ趣味の人としかお付き合いはしたくないということなのか。なあんだ、自分のドッペルゲンガーとしかつきあえないってことだったのかな。
お子様プロジェクトの「教育指導」の方向を見ていると、そういう(自分たちはもう十分以上に広い知識を持っていると信じて)あえて視野を広げようとしない安全第一思考の人たちが育ってもしょうがないなと思えるんだけど、このままでは日本の将来が危なくならないのかなあ。だって、日本という国は(いや、どの国でもそうだけど)世界の中で人種や文化、言語はもちろん、歴史も性格も考え方もまったく国に囲まれているんだから、生活や経済の水準が違うからといって、あの国とは気が合わないとか話が合わないとか、見下したり、誹謗したりしている場合じゃないだろうに。そりゃあいろいろな水準も関心も同じなら脅威も感じないだろうし、相手を理解しようという努力もいらないから気楽でいいだろうとは思う。でも、そんなわけにいかないから、人間同士には「交渉」と「けんか」の2通りの対応があるように、国と国の関係にも「外交」と「戦争」があるんだと思うんだけど。
それに、ドッペルゲンガーって、反物質かもしれないよ。物質と反物質が出会って握手したらどうなるか、学歴のある人なら知ってるでしょ?
自分と同じレベルのロボットを作ったら
10月18日。月曜日。目が覚めてみたら、あまり明るくない。天気が崩れるのかな。別にどこへお出かけでもないからいいんだけど、何となく起きるのがめんどうくさい。だけど、そのままベッドでだらだらしていてもおなかが空く。朝食のお盆を恭しく持ってきてくれるジーヴスみたいな人がいたらいいねえ。だけど、ベッドの上で朝食ってなんだか食べにくそうだと思うのは、ヤンゴトナキお生まれじゃないからかなあ。そこで自分の出自にふさわしく言うなばら、「なんだかあずましくないんじゃないかい?」となるか。それとも浜言葉で「な~んかあずましくねぇべさ~」。まあ、正午ぎりぎりに起き出して、ちっともやんごとなくない私たちの一日が始まる。
朝食もそこそこにカレシが下着がなくなったから洗濯をすると言い出した。するって、自分でするということ?おいおい、雨が降りだすよ。でも、取り替える下着がなくなったというのは困るから、洗濯してもらえると助かるなあ。「キミが忙しいのはわかっているから」と、カレシ。「洗濯機の操作だけ教えてくれたら、後は自分でやるからいいよ」。あのさ、機械をセットしてしまえば、あとは洗濯機がやってくれるんだけど。側にいて、そのダイアルをセットして、洗剤を入れて、色の薄いものと濃いものを分けて・・・なんて教えていたら、結局いつも自分でやっているのとあまり変わりがないような気がする。それでもせっかくやってくれるというから、そばに付き添って、洗濯機が回り始めるまでの手順をひと通り。この次に洗濯を志願してくれるときには全部忘れているんだろうと思うけど・・・。
たしかに予定が詰まりに詰まってきて、そろそろ「緊急事態」のボタンを押したほうがいいかなというところなんだけど、お子様プロジェクト、だんだん気合いが入らなくなって来た。お子様の将来の学歴にかかわるかもしれないのに、オトナの都合で針路がふらふら。おかげでなんで子供もいないし日本に住んでもいないワタシが頭の毛をかきむしってがんばってるんだろうと、うんざりした気分になって来る。それでも、やっているうちに若い日本人のマニュアル思考の原点が見えたような感じもするから、仕事としてはおもしろい。根本的に手取り、足取り、おんぶにだっこ。しかも、いちいち手順通りにやったかどうかを確認されるし、まとめの質問にはどこに「答」があるかまで親切に教えてくれるから、よほどのことがない限り「正解」しか出ない。そっか、今どきのお子様たちはこういう風にお勉強しているのか。どうりで自分で考えることができないわけだよなあ、とヘンに納得・・・。
おそらくはきのう長々と書いていた「類友探し」に通じるところもあるんじゃないかと思う。よけいなことはやらない。できるかどうかわからないことはやらない。できるかもしれなくてもあえてやらない。だって、ドジなことをやって叱られたり、笑われたり、侮辱的なラベルを貼られたり、疎遠にされたら怖いからやだもんね。だけど、自分が知っていることと同じことを知っている相手だったらその心配はない。ばかにされる危険を冒さなくてもいいから、そういう人は無害で安全。あのトピックは「(自分よりも)学歴が低い人とは気が合わない」という趣旨だったけど、あんがい実際のところは「自分が知らないことを知っている(おそらく自分より知識や教養のレベルが高くて、視野が広い)人とは付き合いたくない」ということだったんじゃないのかな。つまり、自分と「同じ人」にしか安全と安心感を見出せないと言いたかったんだろう。
日本の人が若い女性の姿に似せたロボットを作るのに熱心なわけが理解できてきた気もするな。いつ見てもちょっと気味が悪いと感じるんだけど、ロボットは人間がプログラムする通りのことしかできないから、どんな話題でもご主人様に反論せず、知識をひけらかさず、決して上から目線で脅威を感じさせるようなことは言わず、ひたすらご主人様と同じレベルで・・・。う~ん、そんなロボットと会話して楽しいかなあ。ワタシだったら電池を抜いてしまうかも・・・。
我が家の裏で大捕り物の特訓?
10月19日。火曜日。いい天気でまぶしい。正午ぎりぎりに起き出して、今日は朝食を終えたらすぐに仕事にかかる。なにしろ、残っている原稿の量から見たら、絶体絶命くらいに時間が詰まってしまっている。スキャンした文書を印刷するとすんごいページ数になるから、せっかく幅広のモニターに切り替えたんだし、元原稿と翻訳原稿をモニターに並べて表示してやってみることにした。これが慣れるとけっこう楽々。印刷した原稿に目を落として、画面を見上げて、また原稿に目を落として、画面を見上げて、ときどきは電子ファイルの元原稿を確認して・・・と、頭を上下に動かす代わりに、ひとつの画面に横に並んだ原稿をきょろっと目玉を動かすだけで見られる。
世の中、便利になったもんだと、まじめに仕事をしていたら、隣のパットから、どうも近所で強盗事件があったらしいよ、という電話。ええっ、昼の日中から強盗って、まさか。なんでも家の裏のレーンにパトカーが何台もいて、警官がうろうろしているんだそうな。へえ、物騒になったもんだなあ。ま、最近はドラッグ絡みの事件が多いし、昼間っから住宅街でそんな物騒なことをやっているのはたぶんそういう類の輩だろうな。そう思ってまた仕事に集中したら、どうも家の裏あたりで爆竹のような音。まだハロウィンには2週間も早いのになあと思っていると、「庭に爆竹を投げ込まれてはたまらん」と、カレシが外へ点検に・・・。
ものの5分もしないうちに戻って来たカレシ。おなかを抱えて笑いたいくらいおかしなことがあったらしい。「パットの勘違い」と第一声。そっか、強盗事件じゃなかったのか。それは良かったじゃないの。笑い筋の痙攣が少し治まったカレシの説明によると・・・ゲートを出たところでまた爆竹のような音がしたけど、何となく音が違うし、煙っぽい臭いもしない。そのまま家の横の歩道を歩いて行って、道路とレーンの角まで来たときに見かけない男がいて「爆竹の音を聞いたのか」と聞く。そうだと言ったら、いきなり警察のバッジをパカッと開いて見せて、「バンクーバー市警察。今、特別訓練中なのでお引き取りください」と。レーンにはパットが言った通りに何台もパトカーや覆面パトカーが止まっていて、制服、私服のいろんな人間がセカセカ歩き回っている。そのうちにまた(カレシにはどこなのかわからなかったけど)先の方でパンパン・・・。
そっか、爆竹の音だと思ったのは、警官が空包を撃っていたんだ。だけど、よりによって我が家の後のレーンで「特別訓練」って、いったい何なんだろうね。しかも空包までバンバン撃ちまくって、警察が大捕り物の訓練って、人騒がせもいいかげんにしてほしいところだと思うけど。まあ、最近はほんとにドラッグ絡みの殺人事件が多いし、カナダでは拳銃の所持は禁止されていても、銃が溢れ返っているアメリカとは目に見えない国境線を隔てているだけで悪いやつらは簡単に手に入れるし、メキシコのドラッグカルテルが進出して来て、縄張り抗争が起きそうだと新聞に書いてあったし、裏のミシェルの夫氏はバンクーバー市警の警察官だし(関係ないか)・・・。
それにしても、パットが「強盗事件があったらしい」と電話してきて数分しか経っていなかったのに、「うちの外で爆竹なんか鳴らしているのはどこのどいつなんだ!」とばかりに飛び出して行ったカレシ。もしも本物の強盗事件だったら、強盗が警察と撃ち合いを始めたところへのこのこ出て行くってどうなのよ?へたをしたら流れ弾に当たって死んじゃうかもしれないよ。そうなったらもう究極のKYだよね。ドラッグ絡みの銃撃事件なんていつどこで起きるかわからないから、ひょっとしたらカレシみたいな超KYな野次馬をコントロールするための「特別訓練」だったのかもしれないなあ。
この土地に引っ越してきてちょうど28年。第一夜にいきなり7台のパトカーに取り囲まれて度肝を抜かれたっけ。あれは逃げた容疑者を追跡して来て裏のレーンで追い詰めたということだったようだけど、それ以来パトカーが集まったことが2回か3回はあったなあ。なにしろT字型の交差点の突き当たりはゴルフ場の行き止まりだから、警察は獲物を追い込むのにちょうどいい場所だと思っているのかもしれないけどねえ・・・。
ま、ワタシの仕事も追い詰められて来たから、今夜は行けるところまでぶっ飛ばすことにするか。