らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

新発田城

2009年06月03日 20時04分14秒 | 歴史探訪
 本日も山形響は、午前午後2回音楽鑑賞教室を行いました。本番終了後、本日宿泊地新発田市へ。新発田市周辺には、毎年来ているのですが、宿泊するのは今回初めてです。
 国指定重要文化財の新発田城を見に行きました。
    

 平成18年4月に日本100名城に選定されたお城で、別名あやめ城とも呼ばれています。

 新発田城についてウィキペディアにありましたので、リンクしておきます。
新発田城

 新発田城近くにある赤穂浪士四十七士~堀部武庸(通称堀部安兵衛)の碑を見てきました。何百年か前にこの地に彼がうろちょろしていたかと思うと不思議な気持ちになります。
    

 堀部武庸もリンクしておきます。
堀部武庸

 そして新発田の街は、沢山のお寺があります。その中から、ホテル近くの宝光寺というお寺を訪ねてきました。
    

 神社仏閣を訪ねる事が好きなのですが、所謂観光マップに載っている所ではなくて、フラァ~っとそこらにあるお寺さんを見るのが本当に好きです。有名ではないので(私が知らないだけかもしれませんが)、誰もいない事が多くてゆっくりと静かな空気を吸ってきます。そして地元の観光協会や教育委員会が建てた説明書きを読んでくるのです。へぇ~の時もありますが、ほとんどが知らないことです。マニアックな楽しみ方です。下記にその説明書きをうつしておきます。

 ~新発田市指定有形文化財~
 宝光寺山門一棟

 曹洞宗宝光寺は廣澤山と号し、新発田藩主溝口家の菩提寺として400年の法燈を伝える下越の名刹である。溝口秀勝候の新発田移封に従って来たが、慶長17年(1612)頃、現在地に建立された。
 文政年間の大火に類焼し、本堂、庫裡などすべてを焼失したが、この山門は弘化2年(1845)十一代藩主溝口直博等の助力により復興したものである。棟梁は小澤流 若狭正藤原一中である。禅宗様を基調としており、宝光寺伽藍のなかでは抜群の建築物となっている。
 よく均整のとれた入母屋造りの二重問である。細部装飾の多いのは、幕末期の特徴である。建立以後改変も少なく、当初の姿が遺されている。
 ~後略

 この説明文を全て理解出来る人がいたら、相当な歴史マニアです。笑。何だか分からないけど理解したふりをして、立て看板の前で読みながら、うんうんとうなずいているのが楽しいのです。この山門は相当きれいな建築物でした。しばらく目を奪われていましたよ。
 
コメント
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