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Bill Evans / Sunday At The Village Vanguard ( 米 Riverside RLP-376 )
2枚のアルバムに収められたこの音楽は、グロリア、アリス、デビーという名前が象徴する女性のイメージが強く支配している。無意識の内に
連想される女性たちの芳香や優雅さとポピュラー音楽の甘美なメロディーに酔わされる。そして、全体に大きく影を落としているマイルスの影響。
これらのアルバムを語る際にお決まりの「インタープレイ」という話はその語られ方がいささか大袈裟で違和感がある。私にはエヴァンスと
ラ・ファロがそれまでのジャズ・コンボたちがやってきた以上に何か特別な対話しているようには聴こえない。例えば、ブルーベック・カルテットの
ライヴを聴けば、ブルーベックとデスモンドは同程度に対話している。レッド・ガーランドとアート・テイラーにも似たような対話が見られる。
エヴァンスはこの時はドラッグ中毒のピーク期で、心身ともに酷い状態にあった。長い公演時間でそれをカヴァーするために、ラ・ファロは
必要以上に長いソロを受け持っただけだったのではないかと思う。彼には長いソロをとることが可能な技術力と体力があった。
だから結果的にこういう演奏になったのではないだろうか。
衰弱していたエヴァンスにしてみれば、彼は頼りになるパートナーで救われた気分だっただろう。エヴァンスはこの前の2枚のスタジオ録音で
見せた触れば手が切れるようなヒリヒリとした鋭敏な感性は後退し、メロディーを優しく愛らしく弾くことに専念している。だからこの2枚は
人気があるのだ。高度で複雑な演奏力を評価して、ということでは決してないだろう。
グロリアズ・ステップは、ラ・ファロが普段耳にしていたガールフレンドが彼のアパートの階段を駆け上がってくる足音のことを想って書いた曲。
エヴァンスはメロディーの和音の中に装飾音を入れることで魅力ある重層的な響きを作り出していて、この曲の完成に貢献している。
いろんな所に巧妙に仕掛けられたこういう何とも言えない陰影の美しさに私自身は惹かれる。アリスの可憐なメロディーもそういう陰影美と
対比されているからこそ、より一層際立っているんじゃないかと思う。
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オーディオ的な話をすると、モノ盤では音が小さくよく聴こえないモチアンのブラシ音はイコライザーカーヴをRIAAからffrrに替えることで
前面に立ち現れてきてアンサンブルの快楽度は劇的に向上する(つまり、正しく再生される)。このことがわかっていた日本ビクターは国内盤を
作った時にこのカーヴのギャップ補正をしており、普通の家庭用ステレオ装置で鳴らしてもちゃんとモチアンのブラシ音に身悶えできるように
してくれている。世間にはオリジナル盤のみを盲目的に崇拝する原理主義者たちが跋扈しているけど、別にオリジナルだけにしか価値がない
ということはないと思う。それにこれらの国内盤の音はそんなに悪い音なんかでは決してない。十分なサウンドで音楽を愉しませてくれる。
もう少しニュートラルに物事を見てもいいんじゃないだろうか。
もう1つ言うと、私はこの2枚のアルバムのモノラル盤を聴く時はカートリッジを普段使っているオルトフォンSPU の mono G や CG 25 Di
ではなく、Meister Silver に変える。モノ針で聴くエヴァンスの音は少しこもっていてピアノの音としてはやや不自然だけれど、
ステレオ針で聴くとこれも解消されて、ベールを1枚剥いだような明るく自然な響きを取り戻す。
そういう訳で、この2枚の作品のオリジナル盤はちょっと面倒臭いところがある。 だから、私は普段は日本ビクター盤で聴くことの方が多い。
その方が(大した手間ではないとは言え)上記の2ステップを省略できて楽だし、モチアンのブラシ音はビクター盤の方が遥かに臨場感があるからだ。
ビクターはこれらの作品のことをよくわかっていたんだなと思う。
"Waltz For Debby" の方は高音質化を志した複数の再発盤があるみたいで、私は聴いたことがないけれど、いずれ機会があれば聴いてみたいと思う。
きっと、いろいろな発見があって楽しいにちがいない。 どの音が一番良いかではなく、いろんな違いがあって楽しそうじゃない?ということである。