(今朝の新富士駅富士山口の様子)
(富士急静岡バスの大石寺行きは、バス停近くの窓口で乗車券を購入して乗る。因みにこちらは片道切符)
(大石寺総坊前バス停。かつては創価学会専用バスが多く発着していた場所である。現在は路線バスの姿くらいしか見受けられない)
(同バス停から撮影した富士山。創価学会最後の日も、富士山は同じように大石寺を見下ろしていた)
(私の行き付け、“なかみせ”さんのカレーライス。人それぞれ好みもあろうが、味は芙蓉茶寮のカレーを凌駕する)
(御開扉終了後、奉安堂の中庭から撮影した富士山。山頂付近は吹雪いていると思われる)
(富士急静岡バスが運行する下山バス。14時50分発便。車種はUDトラックスのスペースランナー。ワンステップバス)
(同社の下山バス第2便。15時ちょうど発便。車種は第1便と同じなのだが、明らかに様相が違う。この辺の考察は“バスターミナルなブログ”の住人様方にお願いしたい)
(同社運行の“やきそばエクスプレス”東京駅行き。南朝鮮製ヒュンダイ・ユニバースである。ヒュンダイの日本撤退により、同車は数を減らしているはずなのだが、富士急バスでは鋭意運行中)
(同車のテール。ユニバースはラッピング担当?)
(もう1つの行き付け、“藤のや”さんで注文したホットドックとホットコーヒー。愛原が寛いでいそうな店の雰囲気だが、きっと高橋辺りがブチ壊しに来るのだろう。尚、コーヒーとホットドックはとても美味。因みにここでもカレーライスが注文できるのだが、“なかみせ”さんや芙蓉茶寮とはまた違った雰囲気のものが出て来るので、興味のある方はお試しあれ)
(私が帰りに乗車した“やきそばエクスプレス”最終便。足柄SAで撮影。……って、何でユニバースが続いてんだよ、おいw)
春休みの時期だから混んでいるかと思ったが、意外とそうでもなかった。
ところで往路は東海道新幹線に乗車したのだが、三島駅付近で“三島スカイウォーク”なる看板を見かけた。
最初はどういう意味か分からなかったが、どうやら観光用の大きな吊り橋のことらしい。
吊り橋が出て来るネタは私の作品には無いのだが、ネタ帳に留めておくくらいはしてもいかな。
私は不規則勤務の仕事ゆえ、そうおいそれと土日祝日に休むことはできない。
平日にこうして登山できるのは、強みか或いは弱みか。
次は、いつ登山できるかな?
今はどうだか分かりませんが、90年代はよく「戦国武将の幽霊」とか「祟り」の噂とかあったでしょう?
東京・大手町には「平将門の首塚」がありまして、こちらもよく祟りについて取り沙汰されたものです。
しかし今は殆ど聞かない。
90年代のオカルトブームでさえ、もっと昔の、平家の呪いや弥生時代の幽霊なんてのもあまり出て来ませんでした。
多分、その当時の幽霊達は皆、転生してしまったのでしょう。
で、現世にいるわけです。
人間なのかどうかは分かりませんがね。
某富岡八幡宮の宮司でさえ、遺書には「祟ってやる」と書いていたくせに未だにそんな現象は現れない。
聖職者ですらその体たらくですから、ましてや一般人が幽霊になることはもう無いのかもしれませんね。
現に、心霊写真なんて撮れないじゃないですか。
オカルト現象はあった方が面白いとは思いますが、21世紀のこの時代にはもう無いのかもしれませんな。
お疲れ様です!
仕事中なんですが、思わず「なるほど!」と
叫びたくなってしまいました(笑)
確かに。
総人口が増えているとは言っても、途上国
ばかりですもんねぇ。
>人口が増え続けている(ように見える現象)
そうかも。
途上国に生まれても、幸せになれる!とは限りませんし。
疑問が、氷解したような気がします。
百三さん、有難う!
>にも関わらず、人口が増え続けてるのは
何故なんですかね?
オカルトの話になるので、本来はこの作品辺りで取り上げるべきだと思うのですが、輪廻転生の周期が短くなっているのかもしれません。
例えば90年代は、かなりオカルトが流行った時期だったでしょう?
もちろん今から見れば、殆どインチキなものだったでしょうけど。
でも、火のない所に煙は立たぬ、と言いますからね。
もしかしたら、本当に怪現象が多発していた時代だったのかも、とも思うのです。
もしもあの時、現世を騒がせていた幽霊達はどこへ行ったのだろうと考えますと、来世へ転生したと考えられるのです。
現世は過去世から見れば来世になりますから、過去世の亡者達がどんどん転生して来ている。
それがマイケルさんの仰る、「人口が増え続けている(ように見える現象)」なんだと思います。
↑ガチ勢いに、ねw
お疲れ様です!
>死後、地獄界に堕ちる冥罰である。
にも関わらず、人口が増え続けてるのは
何故なんですかね?
是非遠慮なく、僕を破折して貰いたい。
>念仏系の寺院に所属している、門徒さんですけど、元気元気。
傍観勢:「そうですか。それは良かったですねぇ」(他人事)
エンジョイ勢:「日蓮正宗の良さも伝えたいので、連絡先を教えて下さい」(エンジョイ勢は折伏も楽しむ)
ガチ勢:「それは『魔の通力』というもので、死後、地獄界に堕ちる冥罰である。四箇格言では念仏無間と言って、御書にはこのように記されている。【以下略】」(邪宗破折は日蓮正宗信徒の義務感マックス)
お疲れ様です。
いやいや、気になさらないで下さい。
ご返信頂けるだけで、大変有難い事だと
感じています。
>気にせず、やりたいことをやればいい
同感です。
親戚に、90代の女性が2人います。
念仏系の寺院に所属している、
門徒さんですけど、元気元気。
そういった「現実」を目の当たりにすると、
やっぱ疑問って抱きますもんねぇ。
昔の顕正会はまだ見所もありましたが、今はどうか分かりませんよ。
いわゆる、「昔は良かった」という懐古厨なだけかもしれませんw
やりたい人はやらせておけばいいんですよ。
高みの見物もしたい人だけすればいい。
気にせず、やりたいことをやればいいんです。
だから私は、ブログで創作活動を自由にやらせて頂いております。
お疲れ様です。
レス、有難うございます。
信心の姿勢に関しては、やっぱ顕正会を見習わなきゃ
いけないのかもしれませんね。
大聖人様は、どうご覧になっておられるんでしょうねぇ。
ふと、そんな事を考えたりしました。
だってさぁ、弱い人(信者)同士がバトッて、
引き抜きを行ってるのが現状じゃないですか。
強い人(高僧、幹部)は、高見の見物。
そういった人だけが、ほくそ笑んでるような気が
してならないんですよね。
どう思います?
>つべでT田さんも、一生懸命邪宗を破折してるみたいです
そこが、ガチ勢ならではの仕事ぶりだと思いますよ。
それを一般人にしなければ、実は特に問題は無いかとね。
傍観勢はエホバが聖書配り、顕正会がチラシ配り、天理教がこきりこ叩いて歌いながら歩いているのを見ても何もしませんから。
それもどうかとは思うのですがね。
本来は、んっ?さんを折伏しないといけないんですよ。本来はね。
>百三さんの同級生で、法華講員の方っていらっしゃいました?
いいえ、全くいませんでした。
顕正会もです。
いたのは学会員とエホバ信者くらいのものですよ。
>恥ずかしながら「日蓮正宗」の存在を知ったのは、24歳の時ですし。
私は顕正会に入った18歳の時です。
私が縁した組織は比較的、元・妙信講員の多い所ですぐに教えてくれましたよ。
良くも悪くも昭和時代の法華講組織の名残りがあったと思います。
18歳の節目というのは大きいもので、多感な時期にそれなりに教えてくれる所に縁すると強いですね。
私はいつも御登山の時はスーツを着用して行きますが、これは顕正会時代の名残なんです。
既に顕正会にいた時から、「御本尊様を拝する時は、常に大聖人様が御前におられると心せよ。さすれば、どのような服装が良いか自ずと分かるはずだ」なんてね。
そういった意味では、ラフな格好で来る法華講員の方がよっぽど服務規程違反だろと思うことはあります。
服務規程が無いから、なんでしょうがね。
うちのマリアンナが18歳で魔道師になったという設定は、私が顕正会員になった(つまり初めて日蓮大聖人のことを知った)というのがモデルです。
別にキキみたいに13歳でもいいし、アリッサ・ハミルトンみたいに15歳でもいいし、羽鳥チセみたいに16歳でもいいだろうに、18歳にしたのはそこに理由があります。
あの当時は今よりもずっと霊感が強かった時期でしたから、その設定を稲生勇太にしたわけです。
お疲れ様です。
>まずは一般人に大石寺に興味を持ってもらうことが大事だ
>日蓮宗との違いを世間一般に理解してもらわないといけない
同感です。
宗旨替えって、そう簡単に出来るもんじゃないですからねぇ。
御宗門が学会、顕正会をターゲットにしてるのは、同じ富士門流だからっていう側面も、あるんじゃないかと。
つべでT田さんも、一生懸命邪宗を破折してるみたいです
けど、どうかなぁ~。
百三さんの同級生で、法華講員の方っていらっしゃいました?
僕とこはゼロで、学会員はいなかったんですけど先輩、
後輩にはいたかな・・。
恥ずかしながら「日蓮正宗」の存在を知ったのは、
24歳の時ですし。
私の場合はどちらかというと、一般人目線に近いのかもしれません。
大聖人様の教えを正しく伝えるのも大事だとは思いますけど、まずは一般人に大石寺に興味を持ってもらうことが大事だと思っております。
「ど〜でもええ話」を披露する某氏は日蓮正宗のことを「密教である」と言いましたが、あながち間違いではないんですよ、現状ではね。
それを打開する方法を本気で模索しなければなりません。
少なくとも日蓮宗との違いを世間一般に理解してもらわないといけないので。
説明するのにいちいち、「平成3年に創価学会を破門にした宗派だよ」と説明するのも、いい加減疲れましたからね。
ガチ勢のやり方では、別の宗派の同じガチ勢に勝つことはできても、一般の無宗派には興味を持ってもらえないと思います。
お疲れ様です。
ガチ勢の御登山報告って、読まなくても
「こんなんだろうな~」って、推察出来
るような気がするんですよね。
「折伏しましょう」→「よっしゃ、頑張ろう」
「心が洗われた(六根清浄の果報)、皆様もいかが?」
的な。
一般の方が求めてるのは・・そこか?って僕なんかは
思ってしまいます。
大なり小なり、皆悩みを抱えてる。
それをどうやって、乗り越えた(解決出来た)のか。
信心が、どのような役割を果たしたのか。
己(ガチ勢)の信心が奮い立ったかどうかなんて、閲覧する
側からすると、誤解を恐れずに言えば「ど~でもええ話」
なんですよね。
某氏の「功徳体験(?)」と一緒で。
そういった意味からすると、百三さんやエンジョイ勢の
ブログのほうが興味・関心を引くものがあります。
ガチ勢は恐らく布教講演の内容などを紹介して、如何に自分の信心が奮い立ったかを書くのだろう。
エンジョイ勢はどちらかというと御開扉そのものにスポットを当てたり(奉安堂と富士山の写真をセットでアップすることが多い)、仲見世売店の様子を紹介することも多々ある。
傍観勢はこの記事ように御登山前後の様子をアップすることが多いかな。私のこの記事と同じ。
でも、私は報告するだけマシな方。
ネットをやっているくせに傍観勢の無気力派だと報告すらしない。