このブログでも募集していた「遠州山辺の道マラニック」を今日実施した。
呼びかけで集まったのは私を入れて9名。今日は晴れ上がっていい天気だったが、強風が吹き荒れ3月下旬とは思えないような寒い日だった。遠州小松駅を予定より早い8:20にスタートした。

まずは、浜北警察署、運転免許センターの前を抜け「遠州山辺の道」のスタート地点となる福応寺の入口についた。ここからは高台のすぐ下の道となるので風当たりが少ない。最初に立ち寄ったのは、鬱蒼とした林の中に鎮座する「内野神明宮」である。

小用通りを抜け急な階段を上り、浜名ニュータウンのある住宅街に入っていく。ここからは支線ルートになり、うちの古墳めぐりコースを回ることにした。このコース沿いには、山の神古墳、稲荷山古墳、二本ヶ谷積石塚群、赤門上古墳といったたくさんの古墳を見ることができる。

(浜松市内では有数の大きな古墳である稲荷山古墳で)

(積石塚古墳。土の代わりに礫を積み上げて墳丘を築く古墳で全国的にも珍しいもの)
二本ヶ谷積石塚群のあるつみいしづか広場の奥には最近老人ホームが建設された。今回参加しているIさんが設計をしたということでその前で記念写真を撮る。

古墳めぐりコースを一周すると元の本線ルートに戻る。内野陣屋跡、妙蓮寺を過ぎ平口の交差点から不動寺に寄ることにした。本堂までは123段の石段を登ることになるが、その途中には中国風の竜宮門があり珍しい造りである。

石段の途中には、椿の花がところどころ落ちておりなかなか風情がある。

123段の石段を登りきり本堂にお参りすると厄が落ちるとの事で本堂にお参りする。

本堂の庇の梁には、見事な龍の彫り物がある。これは一見の価値がある作品だ。

本堂の裏には、ミヤマツツジが咲いていた。これも不動寺の見所の一つである。

不動寺の上は、万葉の森公園が整備されている。園内には、300種の万葉植物が植えられ万葉文学や万葉文化に親しむことができる場所だ。

(咲き始めたカタクリの花)

(枝垂れ桜が満開である)
万葉の森公園から本ルートに戻り細い道を進む。竹薮の中の道がしばらく続く。

工場の裏手の細い道を上がると、武田軍が兵を休めたという休兵坂にでる。

梔池緑地、野口の辻、軽便道を過ぎると宮口の町並みに入る。この辺りは、江戸時代には庚申寺門前町や秋葉街道沿いの宿場町として栄えたという。

お昼前であったが、ちょうどいいところに蕎麦屋があったので昼食とした。花の舞酒造の近くにある蕎麦屋で身麻呂(むまろ)という店だ。そば粉しか使わない十割そばと自家製そばつゆという味にこだわった蕎麦屋である。店の名前は、宮口出身の万葉人、若倭部身麻呂(わかやまとべむまろ)からとったという。この若倭部身麻呂の歌はあとで歌碑で知ることになる。

昼食を済ませ、花の舞酒造の前を通る。

ほどなく庚申寺の山門である。山門の屋根には三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)、宝珠猿がのっている。山門前で記念写真だ。

庚申寺の猿の置物。撫でると縁起がいいそうだ。

庚申寺からは、明神池運動公園を経て天竜浜名湖鉄道のガード下をくぐる。

夜水沢池には木道が整備されており、きれいな沢が流れ込んでいる。

畑の間を抜けると八幡神社に出る。ここには、ここ浜北宮口の生まれだという若倭部身麻呂の詠んだ歌が歌碑としておかれている。
天平勝宝年間の755年、 防人として九州に派遣された若倭部身麻呂が離ればなれになった故郷の妻を想って詠んだものである。

わが妻はいたく恋ひらし飲む水に
影さへ見えて世に忘られず
訳:私の妻はひどく私を恋しがっているらしい。水を飲もうとすると、その水に影までが映って見えて、とても忘れられない。
再び庚申寺前に出て先に進む。続きは後半へ。
呼びかけで集まったのは私を入れて9名。今日は晴れ上がっていい天気だったが、強風が吹き荒れ3月下旬とは思えないような寒い日だった。遠州小松駅を予定より早い8:20にスタートした。

まずは、浜北警察署、運転免許センターの前を抜け「遠州山辺の道」のスタート地点となる福応寺の入口についた。ここからは高台のすぐ下の道となるので風当たりが少ない。最初に立ち寄ったのは、鬱蒼とした林の中に鎮座する「内野神明宮」である。

小用通りを抜け急な階段を上り、浜名ニュータウンのある住宅街に入っていく。ここからは支線ルートになり、うちの古墳めぐりコースを回ることにした。このコース沿いには、山の神古墳、稲荷山古墳、二本ヶ谷積石塚群、赤門上古墳といったたくさんの古墳を見ることができる。

(浜松市内では有数の大きな古墳である稲荷山古墳で)

(積石塚古墳。土の代わりに礫を積み上げて墳丘を築く古墳で全国的にも珍しいもの)
二本ヶ谷積石塚群のあるつみいしづか広場の奥には最近老人ホームが建設された。今回参加しているIさんが設計をしたということでその前で記念写真を撮る。

古墳めぐりコースを一周すると元の本線ルートに戻る。内野陣屋跡、妙蓮寺を過ぎ平口の交差点から不動寺に寄ることにした。本堂までは123段の石段を登ることになるが、その途中には中国風の竜宮門があり珍しい造りである。

石段の途中には、椿の花がところどころ落ちておりなかなか風情がある。

123段の石段を登りきり本堂にお参りすると厄が落ちるとの事で本堂にお参りする。

本堂の庇の梁には、見事な龍の彫り物がある。これは一見の価値がある作品だ。

本堂の裏には、ミヤマツツジが咲いていた。これも不動寺の見所の一つである。

不動寺の上は、万葉の森公園が整備されている。園内には、300種の万葉植物が植えられ万葉文学や万葉文化に親しむことができる場所だ。

(咲き始めたカタクリの花)

(枝垂れ桜が満開である)
万葉の森公園から本ルートに戻り細い道を進む。竹薮の中の道がしばらく続く。

工場の裏手の細い道を上がると、武田軍が兵を休めたという休兵坂にでる。

梔池緑地、野口の辻、軽便道を過ぎると宮口の町並みに入る。この辺りは、江戸時代には庚申寺門前町や秋葉街道沿いの宿場町として栄えたという。

お昼前であったが、ちょうどいいところに蕎麦屋があったので昼食とした。花の舞酒造の近くにある蕎麦屋で身麻呂(むまろ)という店だ。そば粉しか使わない十割そばと自家製そばつゆという味にこだわった蕎麦屋である。店の名前は、宮口出身の万葉人、若倭部身麻呂(わかやまとべむまろ)からとったという。この若倭部身麻呂の歌はあとで歌碑で知ることになる。

昼食を済ませ、花の舞酒造の前を通る。

ほどなく庚申寺の山門である。山門の屋根には三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)、宝珠猿がのっている。山門前で記念写真だ。

庚申寺の猿の置物。撫でると縁起がいいそうだ。

庚申寺からは、明神池運動公園を経て天竜浜名湖鉄道のガード下をくぐる。

夜水沢池には木道が整備されており、きれいな沢が流れ込んでいる。

畑の間を抜けると八幡神社に出る。ここには、ここ浜北宮口の生まれだという若倭部身麻呂の詠んだ歌が歌碑としておかれている。
天平勝宝年間の755年、 防人として九州に派遣された若倭部身麻呂が離ればなれになった故郷の妻を想って詠んだものである。

わが妻はいたく恋ひらし飲む水に
影さへ見えて世に忘られず
訳:私の妻はひどく私を恋しがっているらしい。水を飲もうとすると、その水に影までが映って見えて、とても忘れられない。
再び庚申寺前に出て先に進む。続きは後半へ。