第4回目の社会人大学は、世界的ピアニストである水上 裕子さんのトーク&コンサートだった。今回は、音響効果のある会場に場所を替えての開催である。プロフィールを下記に記載する。
ピアニスト/水上 裕子(Hiroko公式サイトより引用)
福岡県出身。幼少より即興演奏やTV、レコードから流れる音楽を聴き覚え、演奏していた。武蔵野音楽大学を卒業後、オーストラリアでデビュー。オーストラリア作曲界の第一人者ジョージ・ドレフェスの薫陶を受け、各地で演奏を行う。 その後、ロシアで研鑚を積み、東ヨーロッパに渡る。1996年帰国。1997年に東京オペラシティーにて、日本正式デビュー。1998年、中国政府の招きにより、初の中国公演を行う。パリで一曲ごとにスタンディングオベーションをもらい、マレーシアでは、1200人の聴衆が総立ちとなった。今もっとも注目のピアニスト。ウィーンフィルクスオーバー,ORFオーストリア等の首席奏者や、ザルツブルグ八重奏団、 ターリッヒ弦楽四重奏団、ルーマニア各地の国立オーケストラ、また胡弓の趙国良など、内外のアーチストとも多数共演。
クラシックの名曲と生きる喜びから湧き出るオリジナル曲に自身の体験トークを交えて贈るコンサートは帰国後700回を超え、多くのファンを惹きつけている。活動は、NHKテレビ・ラジオをはじめ、各マスコミでも紹介されている。2008年、第三文明社より初の自叙伝「Hiroko 私にはピアノがあったから」が出版され話題を呼んだ。2009年10月より、ラジオ番組「私にはピアノがあったから」(毎週日曜日 20:00~KBCラジオ)が放送される。本年、デビュー20周年を迎え、“芸術性と大衆性”を合わせ持つピアニストとして、日本はもとよりヨーロッパ、 アジア各国まで活動の舞台を拡げている。
世界的に有名なピアニストと言われても、その分野ではあまり知識が乏しいのでどんな人なのか興味しんしんで会場に着いた。いつもは後ろの方の席に座るのだが、ちょうど前から2列目の方があいていたのでそこに座った。ピアノが目の前に置かれ、演奏者の手の動きが手にとるように見えるいい席である。大きなホールでのコンサートだったら絶対に手に入れることの出来ない席だ。演奏者の息遣いまでわかるくらいの近さで世界的な芸術を感じることのできるのが、この社会人大学の凄さである。
事務局長の紹介の後、ドレスをまとった水上さんが登場した。まずオリジナルの「春」という曲が演奏された。優しい顔からは、想像もつかないようなリズミカルで力強い演奏だ。演奏後、トークが始まった。ピアニストというと演奏が主で、あまりトークは得意ではないのかと思っていたが、水上さんはトークも慣れたもののようである。のっけからロシア滞在中にゴルバチョフが監禁されて国内が騒然となり自分の命も危うくなったと言う話から始まる。その後も、彼女の波乱万丈の人生の話が演奏を交えて続いた。命からがらロシアから逃げ出した後は、ルーマニアに移り住む。ルーマニアでは辛酸をなめるような生活だったと言う。寒暖の激しい気候と貧しい生活でピアノの練習もままならなかったが、ある家で有名なピアノの先生と出会ったことで、これだという音を体得する。その後、オーストラリアで、監禁され祖国ルーマニアから亡命した詩人の現在のご主人と結婚。再びルーマニア、ドイツとヨーロッパで生活をしていたが、長い海外生活で体調を崩し日本に帰国する。日本では、両親と同居し、父親の痴呆による介護をしながら演奏生活を続けてきたという。これだけ聞くと、凄い苦労して大変だったという話で終わるのだが、合間合間にそんな暗い話を明るいジョークに変えて話されているのが楽しかった。
さて、演奏曲はこんな内容だった。
・「熊ん蜂の飛行」 ドリフターズのずんどこ節を左手で弾きながら右手で演奏する。これだけでも凄いテクニックだ。
・「ドナウ河のさざ波」ドナウの流れが目に浮かんできそうな名曲だ。
・「ジプシー協奏曲」?
・懐かしの日本の名曲をみんなで合唱。
「青い山脈」「リンゴの歌」「憧れのハワイ航路」
・「好きにならずにいられない」エルヴィス・プレスリーの名曲を歌いながら演奏。歌も上手いピアニストさんだ。
・「500マイル」これも懐かしいフォークの名曲。
・「天空的彼岸」「再会」「異国の河」中国をイメージしたオリジナル曲
・アンコール後も懐かしい名曲をみんなで合唱
「高校三年生」「若者たち」「上をむいて歩こう」
懐かしの名曲は、どっちかっていうと一世代上の曲ばかりだが、知らない曲でもないので何とか歌う事はできた。
ピアニスト/水上 裕子(Hiroko公式サイトより引用)
福岡県出身。幼少より即興演奏やTV、レコードから流れる音楽を聴き覚え、演奏していた。武蔵野音楽大学を卒業後、オーストラリアでデビュー。オーストラリア作曲界の第一人者ジョージ・ドレフェスの薫陶を受け、各地で演奏を行う。 その後、ロシアで研鑚を積み、東ヨーロッパに渡る。1996年帰国。1997年に東京オペラシティーにて、日本正式デビュー。1998年、中国政府の招きにより、初の中国公演を行う。パリで一曲ごとにスタンディングオベーションをもらい、マレーシアでは、1200人の聴衆が総立ちとなった。今もっとも注目のピアニスト。ウィーンフィルクスオーバー,ORFオーストリア等の首席奏者や、ザルツブルグ八重奏団、 ターリッヒ弦楽四重奏団、ルーマニア各地の国立オーケストラ、また胡弓の趙国良など、内外のアーチストとも多数共演。
クラシックの名曲と生きる喜びから湧き出るオリジナル曲に自身の体験トークを交えて贈るコンサートは帰国後700回を超え、多くのファンを惹きつけている。活動は、NHKテレビ・ラジオをはじめ、各マスコミでも紹介されている。2008年、第三文明社より初の自叙伝「Hiroko 私にはピアノがあったから」が出版され話題を呼んだ。2009年10月より、ラジオ番組「私にはピアノがあったから」(毎週日曜日 20:00~KBCラジオ)が放送される。本年、デビュー20周年を迎え、“芸術性と大衆性”を合わせ持つピアニストとして、日本はもとよりヨーロッパ、 アジア各国まで活動の舞台を拡げている。
世界的に有名なピアニストと言われても、その分野ではあまり知識が乏しいのでどんな人なのか興味しんしんで会場に着いた。いつもは後ろの方の席に座るのだが、ちょうど前から2列目の方があいていたのでそこに座った。ピアノが目の前に置かれ、演奏者の手の動きが手にとるように見えるいい席である。大きなホールでのコンサートだったら絶対に手に入れることの出来ない席だ。演奏者の息遣いまでわかるくらいの近さで世界的な芸術を感じることのできるのが、この社会人大学の凄さである。
事務局長の紹介の後、ドレスをまとった水上さんが登場した。まずオリジナルの「春」という曲が演奏された。優しい顔からは、想像もつかないようなリズミカルで力強い演奏だ。演奏後、トークが始まった。ピアニストというと演奏が主で、あまりトークは得意ではないのかと思っていたが、水上さんはトークも慣れたもののようである。のっけからロシア滞在中にゴルバチョフが監禁されて国内が騒然となり自分の命も危うくなったと言う話から始まる。その後も、彼女の波乱万丈の人生の話が演奏を交えて続いた。命からがらロシアから逃げ出した後は、ルーマニアに移り住む。ルーマニアでは辛酸をなめるような生活だったと言う。寒暖の激しい気候と貧しい生活でピアノの練習もままならなかったが、ある家で有名なピアノの先生と出会ったことで、これだという音を体得する。その後、オーストラリアで、監禁され祖国ルーマニアから亡命した詩人の現在のご主人と結婚。再びルーマニア、ドイツとヨーロッパで生活をしていたが、長い海外生活で体調を崩し日本に帰国する。日本では、両親と同居し、父親の痴呆による介護をしながら演奏生活を続けてきたという。これだけ聞くと、凄い苦労して大変だったという話で終わるのだが、合間合間にそんな暗い話を明るいジョークに変えて話されているのが楽しかった。
さて、演奏曲はこんな内容だった。
・「熊ん蜂の飛行」 ドリフターズのずんどこ節を左手で弾きながら右手で演奏する。これだけでも凄いテクニックだ。
・「ドナウ河のさざ波」ドナウの流れが目に浮かんできそうな名曲だ。
・「ジプシー協奏曲」?
・懐かしの日本の名曲をみんなで合唱。
「青い山脈」「リンゴの歌」「憧れのハワイ航路」
・「好きにならずにいられない」エルヴィス・プレスリーの名曲を歌いながら演奏。歌も上手いピアニストさんだ。
・「500マイル」これも懐かしいフォークの名曲。
・「天空的彼岸」「再会」「異国の河」中国をイメージしたオリジナル曲
・アンコール後も懐かしい名曲をみんなで合唱
「高校三年生」「若者たち」「上をむいて歩こう」
懐かしの名曲は、どっちかっていうと一世代上の曲ばかりだが、知らない曲でもないので何とか歌う事はできた。