7月のお盆の時期には、静岡県遠州地方では「遠州大念仏」という郷土芸能が行われる。遠州大念仏の起源については、戦国時代の三方原合戦時、浜松市中区鹿谷町の犀ヶ崖から転落死した武田軍の兵士の鎮魂歌としてスタートした、というのが定説とされている。現在では、初盆を迎えた家々で欠かすことの出来ない盆供養として行われるようになった郷土芸能であり、無形民族文化財として多くの人々に広く親しまれている。
今回は、親戚の伯父の初盆があり、13日の深夜に念仏団がくると言うので見物に出かけた。念仏団は、初盆の家を何軒も回ってきて伯父の家が最後という事だった。夜11時過ぎに隣家に回ってきたようで音が聞こえていた。そして12時を回った頃、鉦と笛の音と共に念仏団がやってきた。
念仏の団体は、必ずその家の手前で隊列を組み、統率責任者の頭先の提灯を先頭にして、笛・太鼓・鉦の音に合わせて行進する。笛、太鼓、鉦、歌い手、その他もろもろの役を含めると30人を超す団体になるそうだ。
因みに、こんな隊列を組んでやってくるのである。
大念仏の一行が初盆の庭先に入ると、太鼓を中心にして、その後方に双盤を置いて、音頭取りに合わせて念仏や歌枕を唱和する。そして、太鼓を勇ましく踊るようにして打ち鳴らし、初盆の家の供養を行うのである。
これは、念仏の動画である。残念ながら光量不足でよく見えないが、念仏の物悲しい歌声と太鼓や笛の音を聞いて欲しい。
これは、念仏団の提灯である。無形民族文化財の文字が見える。
一通り念仏が終り、頭や幟が帰り支度を始めた。
傍らでは、太鼓衆と笛が静かに音を奏でている。
太鼓衆が最後に踊りながら太鼓を叩いて帰り始めるが、その合間におかめとひょっとこが現れひょうきんな踊りを披露して楽しませてくれる。
こちらは、おかめとひょっとこの動画。
物悲しい念仏の歌声と共に、太鼓衆の激しい踊りやおかめとひょっとこのひょうきんな踊りを交えて念仏団が帰って行った。
勇壮で厳かな遠州大念仏で、伯父の魂も大いに供養できたことだろう。
今回は、親戚の伯父の初盆があり、13日の深夜に念仏団がくると言うので見物に出かけた。念仏団は、初盆の家を何軒も回ってきて伯父の家が最後という事だった。夜11時過ぎに隣家に回ってきたようで音が聞こえていた。そして12時を回った頃、鉦と笛の音と共に念仏団がやってきた。
念仏の団体は、必ずその家の手前で隊列を組み、統率責任者の頭先の提灯を先頭にして、笛・太鼓・鉦の音に合わせて行進する。笛、太鼓、鉦、歌い手、その他もろもろの役を含めると30人を超す団体になるそうだ。
因みに、こんな隊列を組んでやってくるのである。
大念仏の一行が初盆の庭先に入ると、太鼓を中心にして、その後方に双盤を置いて、音頭取りに合わせて念仏や歌枕を唱和する。そして、太鼓を勇ましく踊るようにして打ち鳴らし、初盆の家の供養を行うのである。
これは、念仏の動画である。残念ながら光量不足でよく見えないが、念仏の物悲しい歌声と太鼓や笛の音を聞いて欲しい。
これは、念仏団の提灯である。無形民族文化財の文字が見える。
一通り念仏が終り、頭や幟が帰り支度を始めた。
傍らでは、太鼓衆と笛が静かに音を奏でている。
太鼓衆が最後に踊りながら太鼓を叩いて帰り始めるが、その合間におかめとひょっとこが現れひょうきんな踊りを披露して楽しませてくれる。
こちらは、おかめとひょっとこの動画。
物悲しい念仏の歌声と共に、太鼓衆の激しい踊りやおかめとひょっとこのひょうきんな踊りを交えて念仏団が帰って行った。
勇壮で厳かな遠州大念仏で、伯父の魂も大いに供養できたことだろう。