小さいレンタカーなので車中泊はツライ。なかなか気持ちよく寝ることが出来ず、4時過ぎには目が覚めていた。1日目に泊まったホテルヒルズの温泉が、朝風呂として5時から入浴できると分かっていたので、オープンを待って、さっそく温泉に入った。
入浴後、温泉の大広間で小一時間ほど朝寝をすると疲れがとれた。4日目の当初の予定は、新冠ポロシリ山荘から林道歩きをすることにしていたので、まるまる1日分空いてしまったのだ。空いた一日は、新冠町を観光することにした。まずは、近くのマックに行って朝食を済ませ、道の駅がある「新冠町 レ・コード館」に寄ってみた。
ここは、97万枚ものレコードが蓄蔵されていて、レコード音楽好きが集う施設となっている。1935年に製作された蓄音機の音色観賞や音楽の歴史なども知ることができるそうだ。ところが、入口まで行ってみると閉まっていて入れない。休日の翌日は、休館日という事で、残念ながら入ることが出来なかった。
仕方なく、レ・コード館前のハイセイコー像などを眺めて、別の場所に向かう。
小高い場所まで行くと、サラブレッド銀座駐車公園がある。
駐車公園からは、サラブレッドが佇んでいる牧場が見渡す限り広がっている。
駐車公園の西側を眺めると、新冠泥火山が見える。火山というからには、噴煙でも上がっているのかと思ったが、見た目は、普通の丘にしか見えない。しかも、私有地の牧場内の丘なので近くまで行くこともできない。大昔の火山活動によって盛り上った泥丘が8個存在するという説明文を読んだだけで終わった。
他に面白そうな場所はないかとパンフレットを見て、判官館森林公園に向かった。ここは、国道236号線沿いに位置し約66ヘクタールの広大な敷地面積を持つ公園で、太平洋を望む判官岬、広葉樹の原生林に覆われ豊富な種類の草花や野鳥を見ながら遊歩道の散策やフィールドアスレチックで遊ぶことができる。
判官館森林公園でも、つい最近熊が出たとかで、ビクビクしながらも“たこっぺ湿原”まで行く。案内板の表示が不親切で場所がすぐにわからず、園内を歩き回ってしまったが、何とか湿原の場所に出た。
湿地帯の中に木道が整備され散策できるようになっているが、いかんせん時期が遅かった。ほとんど花は終わっており、青々とした葉が繁っているだけだった。
大きなミズバショウの葉だけが、目につく。
緑だらけの中で、僅かに彩りを見せているのはシモツケソウしかない。
たこっぺ湿原から少し足を延ばして、判官岬まで行く。
判官岬からは、太平洋、日高本線、新冠市街地などが良く見える。
判官岬の先端は、判官館という岩山だ。
判官館という名前の由来は、看板にこのように書かれている。
『京の五条の橋の上・・・』この歌は牛若丸と弁慶で広く親しまれている。牛若丸は後の悲劇の武将源九郎判官義経である。梶原景時の奸計によって、心ならずとも兄源の頼朝との戦いとなった。弟義経は、ひそかに衣川をあとに、海路蝦夷地をめざしたという。折からの季節風に漂流すること数日、初めて見た蝦夷地は日高山脈の残雪であった。義経はふとひときわ目立つ岸壁に気を奪われていた。それは衣川上流の断崖とそっくりであったからだ。義経は、懐かしさのあまり上陸したが、空腹と安堵感からハマナスの砂丘に放心状態のまま倒れた。しばし後、水と食物を持ったアイヌの娘が立っていた。以後、義経はこの娘と暮らすことになる。義経は、岩山を自らの源九郎判官義経の名にちなんで「判官館」と名付けた。・・・
判官館がどんなふうに見えるかというと、近くにこんな絵があった。残念ながら、この景色は海からでないと見られないようだ。
新冠の観光はこのぐらいにして、最後の目的地であるアポイ岳のある様似町まで向かった。日本ジオパークのうち、ユネスコ世界ジオパークに認定されているのは「アポイ岳」の他、「洞爺湖有珠山」「糸魚川」「山陰海岸」「島原半島」「室戸」「隠岐」「阿蘇」の8地域だという。アポイ岳ジオパークビジターセンターで翌日登るアポイ岳の勉強をしておくことにした。
ビジターセンターの入口にあった北海道の鳥瞰図。これを見ると、北海道の屋根という大雪山系と日高山系が良く分かる。
アポイ岳ジオパークビジターセンターのすぐ前が、この日泊まるアポイ山荘だ。数年前の北海道マラニックで泊ったことがあり、いい宿だったので今回も泊ることにしたのだ。
アポイ山荘の夕食。
メニューはこんな感じ。
食後のデザートも美味しかった。
「2017幌尻岳&アポイ岳登山ツアー:5日目アポイ岳登山」に続く。
入浴後、温泉の大広間で小一時間ほど朝寝をすると疲れがとれた。4日目の当初の予定は、新冠ポロシリ山荘から林道歩きをすることにしていたので、まるまる1日分空いてしまったのだ。空いた一日は、新冠町を観光することにした。まずは、近くのマックに行って朝食を済ませ、道の駅がある「新冠町 レ・コード館」に寄ってみた。
ここは、97万枚ものレコードが蓄蔵されていて、レコード音楽好きが集う施設となっている。1935年に製作された蓄音機の音色観賞や音楽の歴史なども知ることができるそうだ。ところが、入口まで行ってみると閉まっていて入れない。休日の翌日は、休館日という事で、残念ながら入ることが出来なかった。
仕方なく、レ・コード館前のハイセイコー像などを眺めて、別の場所に向かう。
小高い場所まで行くと、サラブレッド銀座駐車公園がある。
駐車公園からは、サラブレッドが佇んでいる牧場が見渡す限り広がっている。
駐車公園の西側を眺めると、新冠泥火山が見える。火山というからには、噴煙でも上がっているのかと思ったが、見た目は、普通の丘にしか見えない。しかも、私有地の牧場内の丘なので近くまで行くこともできない。大昔の火山活動によって盛り上った泥丘が8個存在するという説明文を読んだだけで終わった。
他に面白そうな場所はないかとパンフレットを見て、判官館森林公園に向かった。ここは、国道236号線沿いに位置し約66ヘクタールの広大な敷地面積を持つ公園で、太平洋を望む判官岬、広葉樹の原生林に覆われ豊富な種類の草花や野鳥を見ながら遊歩道の散策やフィールドアスレチックで遊ぶことができる。
判官館森林公園でも、つい最近熊が出たとかで、ビクビクしながらも“たこっぺ湿原”まで行く。案内板の表示が不親切で場所がすぐにわからず、園内を歩き回ってしまったが、何とか湿原の場所に出た。
湿地帯の中に木道が整備され散策できるようになっているが、いかんせん時期が遅かった。ほとんど花は終わっており、青々とした葉が繁っているだけだった。
大きなミズバショウの葉だけが、目につく。
緑だらけの中で、僅かに彩りを見せているのはシモツケソウしかない。
たこっぺ湿原から少し足を延ばして、判官岬まで行く。
判官岬からは、太平洋、日高本線、新冠市街地などが良く見える。
判官岬の先端は、判官館という岩山だ。
判官館という名前の由来は、看板にこのように書かれている。
『京の五条の橋の上・・・』この歌は牛若丸と弁慶で広く親しまれている。牛若丸は後の悲劇の武将源九郎判官義経である。梶原景時の奸計によって、心ならずとも兄源の頼朝との戦いとなった。弟義経は、ひそかに衣川をあとに、海路蝦夷地をめざしたという。折からの季節風に漂流すること数日、初めて見た蝦夷地は日高山脈の残雪であった。義経はふとひときわ目立つ岸壁に気を奪われていた。それは衣川上流の断崖とそっくりであったからだ。義経は、懐かしさのあまり上陸したが、空腹と安堵感からハマナスの砂丘に放心状態のまま倒れた。しばし後、水と食物を持ったアイヌの娘が立っていた。以後、義経はこの娘と暮らすことになる。義経は、岩山を自らの源九郎判官義経の名にちなんで「判官館」と名付けた。・・・
判官館がどんなふうに見えるかというと、近くにこんな絵があった。残念ながら、この景色は海からでないと見られないようだ。
新冠の観光はこのぐらいにして、最後の目的地であるアポイ岳のある様似町まで向かった。日本ジオパークのうち、ユネスコ世界ジオパークに認定されているのは「アポイ岳」の他、「洞爺湖有珠山」「糸魚川」「山陰海岸」「島原半島」「室戸」「隠岐」「阿蘇」の8地域だという。アポイ岳ジオパークビジターセンターで翌日登るアポイ岳の勉強をしておくことにした。
ビジターセンターの入口にあった北海道の鳥瞰図。これを見ると、北海道の屋根という大雪山系と日高山系が良く分かる。
アポイ岳ジオパークビジターセンターのすぐ前が、この日泊まるアポイ山荘だ。数年前の北海道マラニックで泊ったことがあり、いい宿だったので今回も泊ることにしたのだ。
アポイ山荘の夕食。
メニューはこんな感じ。
食後のデザートも美味しかった。
「2017幌尻岳&アポイ岳登山ツアー:5日目アポイ岳登山」に続く。