fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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『アゲイン アゲイン』(あかね書房)『わくわくもりのはいくえん はる おともだちできるかな』『みちのく山のゆなな』(国土社)『ファミリーマップ』、エンタメシリーズ『家守神』1~4巻、『おはようの声』幼年童話『ヘビくんブランコくん』『オンチの葉っぱららららら♪』、短編集『友だちの木』・歴史物語『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』他、好評発売中です。各種ご依頼は、左側のメッセージからお願いいたします。    

盂蘭盆会(うらぼんえ)ー盆の入り

2012年08月13日 | 日記

 久しぶりに、車で帰省。10日の夕方東京を発ち、順調にゆけば11日1時くらいには、岩手に着く予定でした。ところが金曜日に仕事を終えて田舎へ、という人たちが予想以上に多く、東北道に入るまで2時間。入ってからも渋滞とはいかないまでも、スピードを出せないまま、宮城に入りました。宮城~泉間が事故で閉鎖。ガーンとなり、高速を降り、迂回してようやくまた高速に入ったものの、今度は一関でまた閉鎖。今度は仮眠をとり、開通を待ちました。そんなもので、岩手の家に着いたときは4時半で、白々と夜が明けかけていました。(私は助手席で、半分寝ていましたが…)

 親戚宅の茶々丸。きょうはお墓参りです。

  

 畑は、元気でした。トマト、最高においしいです。

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 きのうおとといのニュース。もちろんオリンピックでの日本選手の活躍はすばらしく、明るい話題でした。(って、書きながら、どこか温度が低いです。リアルタイムで観た競技、ひとつもありません。というか、テレビをつけたときにやっているのがリアルタイムなのか録画なのかわからず……。でも内村選手、すばらしかった。他の選手も)

 でもその間に、消費税法案が通過しました。2014年には消費税8パーセント、2015年には10パーセント? 

 竹島に韓国の大統領が上陸しました。このニュースは、もし隠岐に行っていなかったら、見出しだけでちゃんと読まなかったかもしれません。でもねえ。

 北上線(岩手県北上市と秋田県横手市を結んでいるローカル線)がトンネル内で、熊と衝突、上下線3本が運休となりました。いろんなことが世の中で起きていて、全てに関心を持つことなどできません。おのずと、自分のアンテナにひっかかることをまずはキャッチしているわけです。


『びんの悪魔』(R・L・スティーブンソン作 よしだみどり訳)福音館書店

2012年08月12日 | 本の紹介

            びんの悪魔 *高学年以上~

 スティーブンソンといえば『宝島』。そして『ジキル博士とハイド氏』。しかし今、あらためてスティーブンソンを読もうというのは、例えば大学で英文学を学んでいる人以外ではあまりいないのかなと思ってしまいます。あえて「読もう」と思わないと、向こうからやってくる本ではなくなってしまっているのが現状です。新聞の広告や書評、電車の中吊り広告、新刊本ばかり。本屋の児童書のコーナー? ないような……。

 学校の図書館にはちゃんと並んでいるんでしょうか。

 ところでこの『びんの悪魔』は、『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』を読んだことのある大人の方でも、よほどスティーブンソンが好きというのでなければ読んでらっしゃらないかもしれません。もしそうでしたら、ぜひ手にとってみてください。2年前に単行本をしては初めて日本で翻訳されたものです。(短編集には収められていた) 

 あとがきを読むと、スティーブンソンは、父親の遺産で帆船を借り切り、家族とともに南太平洋を旅して、サモアに家を建てたとか。この作品は当時サモア語で訳され、その物語を読んだ地元の人がスティーブンソンの家にやってきて、この立派な家は、きっと小びんに頼んだものに違いないとじろじろと眺めていたそうです。そのほか、スティーブンソンが書いた吉田松陰伝や日本との関わりのことなど、いろいろと興味深いことが書かれています。

 さて内容ですが。どんなものでも「欲しい」と思うだけで手にいれることができる「小びん」。どんな大きな家でも愛でも名声でも。でもこの小びんには、持ち主が死ぬ前に手放していないと、地獄の炎に焼かれてしまう。そして、このびんを手放すには、買ったときよりも安い値で売らなくてはいけない。という決まりがあります。さあ、主人公は何を願って何を手にいれるのか。そして最後はどうなるのか。

 改めて読んで、これは愛の物語だったのだなと思いました。「どうなるんだろう」「自分だったらどうするだろう」という気持ちを最後まで持って、読み進めること請け合いです。古い本を新たに今の時代に出すとき、挿絵もまた重要。この本の銅販画のようなイラストもいい雰囲気です。

 


表記について

2012年08月11日 | あいさつ

 ブログを始めて2ヶ月ほどたち、たくさんの方が訪れてくださっています。いつもありがとうございます。「毎日楽しみにしている」とメールもいくつかいただいています。文章を書いて、それを読んでいただくことが「好き」なんだなあと感じています。

 ブログを見てくださっているのは、俳句の関係者、児童文学の関係者、友人、家族関係、そしてお会いしたこともない方といると思うので、ちょっとご説明しておきたいと思います。俳句話題のときは、俳句をやっている方にとっては当然知っているようなことまで、説明しています。俳句は特殊な言葉や読みを使うので、読みをいちいち書いてもいます。またいつも迷うのが、俳句では植物や動物は、片仮名で書くということをしません。外来種のチューリップなどは片仮名ですが、古くから日本にあるものは、アジサイ、スミレという書き方はしないで、「あじさい」か「紫陽花」、「すみれ」か「菫」。また先日書いたように、ヘクソカズラは、「へくそかづら」「屁糞葛」または「灸花」「やいとばな」などと書きます。仮名で書くなら「かずら」のところを「かづら」と書くのは、旧仮名遣いを使っているからです。これは、俳句は旧仮名で書くということが決まっているわけではなく、俳人によって旧仮名を使う。私はそっちだということで。新仮名だけで書くよりもバリエーションが広がるし、雰囲気出るから好んで使っています。旧でやると決めたら、すべてを旧で通します。現代において旧仮名を使うのなんて、俳句くらいかもしれませんが、日本語の美しさを大事にしたいと考えたとき、旧仮名こそとも思います。人によっては抵抗を感じる人もいるようですが、私は小学校のときから明治生まれの祖父が遺した本を読んでいたので(エドガーアランポーとか)、旧仮名は懐かしさこそあれ、抵抗がありません。

 このブログの文章を旧仮名で書くということはしませんが、俳句は旧仮名です。動植物はできるだけ片仮名ではなく漢字か平仮名で書きたいと思っています。

   水脈は、すいみゃくとも読みますが平仮名で書くと「みを」とも(旧仮名)

 カエルではなく、「かえる」か「蛙」、旧仮名だと「かはづ」

 また〈本の紹介〉をする場合、できるだけ低学年向けとか、中学年向けと書いています。これは児童文学の知人以外の方が、どなたかに本をプレゼントと考えていただく場合の参考になればと思って。子どもによっては、低学年でも難しい本を読んでしまう子もいますので、あくまで目安です。

 そんなわけで、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。何かありましたら左のメッセージからどうぞ遠慮なく、送ってください。(メールをご存じの方は、直接どうぞ)実際ちょこちょこ間違っては教えていただき、自分自身の勉強になっています。今後もよろしくおねがいします。

 それから、自分の俳句には「あぶみ」(俳号)とだけ名前を書いています。俳人は名字ではなく名前で呼び合うという習慣があるので、フルネームでなく書くときは、名字ではなく名前を書きます。松尾芭蕉は、芭蕉。正岡子規は子規のように。

 つゆ草の青のただよふ草の中   辻 桃子 (句集『津軽』より)  「ただよふ」は「ただよう」の旧仮名です。つゆ草は秋。


『北前船 寄港地と交易の物語』(加藤貞仁文・鐙啓記写真)/『北前船おっかけ旅日記』(鐙啓記)無明舎出版

2012年08月10日 | 本の紹介

  隠岐に行く前に、 隠岐のことを調べようと図書館に行ったのですが、あまりこれといった本がありませんでした。ネットで少し調べて行った程度だったのですが、隠岐島後(どうご)の西郷港で、川舟を待っているとき売店に、 この本を発見。実はこの本の作者は、私の兄です。身内の本の紹介になり申し訳ありませんが、それでそうだった、これがあったんだったと思い出したのです。下の写真『北前船』という本の発行は10年前ですが、かつて北海道から瀬戸内まで日本海を航海し、行く先々で商いをした北前船の寄港地をすべて豊富な写真とともにその歴史を紹介しています。隠岐もまた北前船が繁栄をもたらした地だったわけで、帰ってから本棚から取り出し改めて読んでみました。正直言って、行ったことのないところだと頭を素通りしてしまうのですが、(私の場合ね)行ったことがあると全然違います。北前船が日本海側の町にどれほど恩恵をもたらしたか、北前船で巨額の財を成した商人がいたことなどがよくわかります。民謡には、北前船の船乗りと土地の女の人との悲恋などが唄われています。日本海にゆかりのある方にとっては一冊持っていても損のない良書です。(そうでなくても図書館などで、見てみてください)

    『北前船おっかけ旅日記』は、『北前船』という本を作るため、ライターの加藤さんの取材に編集者兼カメラマンとしてすべての旅に同行した兄が、あそこで何を食べた、何を飲んだ、うまかったと8割は食べものの日記でした。


家庭用高圧洗浄機

2012年08月09日 | 日記

 うちの南側は森というには大げさですが、雑木が茂っています。所有は個人で、管理は市。これがあるおかげで、その向こうのバイパスを走る車の音も緩和され、リビングからは常に緑が見られるという東京とは思えない立地なのです。が、日は遮断されます。花もあまり育ちません。外壁はちょっと苔っぽくなったり、黒ずんでしまっていました。

 たわしでゴシゴシするのもくたびれるし、がんばってもたいしてきれいにならないしで、ここのところは放置状態でした。でも、家庭用の高圧洗浄器というのを購入し、やってみると。下の二枚の写真、二階のベランダの内側ですが、白っぽいところは光っているとか乾いているのではありません。汚れが落ちたのです。

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 前にスチームで洗うというのも買ったことがあったのですが、あれは思ったほどではありませんでしたっけ。   この威力、すばらしかったです。

このごろ、手頃な値段で売っています。

   

 南側の森は、小さな祠があり、鳶(とび)が巣を作ったりもしています。ただ松葉が雨樋にすぐたまってしまうので、市に少し伐ってくださいと電話をしたことがあります。すると、祠があるのでご神木は伐られませんとの返答。(松はご神木らしいです)私はそういう話に弱いので、結局ご神木以外は時々伐ってもらうということになり、今に至っています。

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 昨日、福岡発、宮崎行きのボンバルディアのエンジンが一つ停止して、片方だけのエンジンで10分後に福岡に緊急着陸云々というニュースがありました。隠岐に行くときに部品の具合が悪くて2時間遅延し別の機になった飛行機です。頻繁に小さな不都合が起きているようです。乗客のみなさんが無事でよかったですし、大きな事故が起きる前に考えたらどうなのでしょうかと思ってしまいます。自動車やなんかとは違って一機のお値段は相当でしょうから、簡単に止めましょうとはいかない? でも高速バスでも原発でも、大きな事故が起きてから社会問題になるけど、ここで止めるのが英断というものではないのでしょうか。

 

 


立秋(秋立つ)

2012年08月07日 | 俳句

 今日は立秋。暦の上では秋になります。いくら暑くても、俳人にとっては残暑となります。きのうは一雨あって、大分しのぎやすくなりましたね。ここで、涼しくと書きたくなり、おっととなるのが俳人。涼しいは夏の季語であり、きょうからは秋の季語を使うように心がけます。

 扇は夏だけれど、「忘れ扇」とすれば秋。簾は夏だけれど、「簾名残」とすれば秋。と気持ちを秋に切り替えます。お盆や墓参りはもともと秋の季語だし。

  これは3日前の夕方の空です。下にかろうじて入道雲(夏季)があるものの、鯖雲(秋季)っていう感じでした。 同じ日。盆踊りがこれから始まるところです。盆踊りも秋の季語。(「踊り」だけでも盆踊りを意味します)

 づかづかと来て踊り子にささやける   高野素十


隠岐のおみやげ- 金箔くず餅、白いかするめ、藻塩、隠岐片麻岩

2012年08月06日 | 日記

 たいして買ってきていません。

  大阪伊丹空港で飛行機が遅延した際、500円の喫茶券が渡されました。でもお茶は買っていたし、使えるのは当日限りだし、おみやげものから日持ちのするものを選んで。金箔入りというのが、大阪らしいです。人にあげる予定って、せこいなあ。

   昆布好きなので、昆布があれば買います。「しぼり」というのは、昆布を干すときにきれいに広げていないで、ぎゅっと絞って干しているということだそうです。 北の昆布より薄いですが、水でもどすととろりとしたぬめりがありました。

    白いかするめ。一夜干しです。西ノ島には烏賊寄せ浜というところがありました。右は藻塩です。褐色の塩で、天ぷらにはこの塩がついていました。藻塩米というのも売っていました。

   玉若酢神社で拾ってきました。そのときは、ただ足下に落ちていたのを何気なく気になって拾ったのですが、ホテルの支配人の話の中で、隠岐にはめずらしい岩石もいろいろあります。云々があり、見せたところ、やはりこれでした。隠岐片麻岩だそうです。帰ってから調べたら、

・隠岐で観られる2億5千万年前(中世代)の変成岩。
・国内では、飛騨変成岩と並び日本で最古の岩石の1つ。
・岩石の中に約30億年前の砂粒や、宝石のざくろ石(ガーネット)を含む場合もある。
・隠岐や日本列島が、かつては大陸の一部だったことを証明する意義がある。
・隠岐では、昔から生活の中で建材や敷石として使われてきた歴史がある。

 とのことでした。けっこうごろごろとあるようです。実物はもう少し白っぽいです。どこにでもあるような石ですが、動かすとキラキラと光ります。

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 暑くて夕方になって、やっと外に出るという具合。 となり町では、溝浚い(どぶさらい)をしたようでした。用水ですが。藻が点々と道路にあがっていて、川藻の匂いの中の散歩。溝浚い、池浚い、は夏の季語。  

 烏瓜(からすうり)の花。夜にしか咲きません。明日は立秋なので、滑り込みで夏のものを。


隠岐から帰路-雲海・夏富士・オリンピックカラーの東京タワー

2012年08月05日 | 俳句

 4日間、快晴に恵まれました。飛行機は、恐いという気持ちもあるのですが、窓際の座席だったので、すばらしい景色も堪能できました。

  雲海は夏の季語ですが、本意としては、山に登って山頂から見るものです。飛行機からは天候次第で年中雲海を見るチャンスはあるのですから、飛行機から見た雲海で句を作っても、季語として活きているかどうかは難しいところです。飛行機からの雲海は、季語として認めないという方も多いと思います。

 大阪伊丹空港で乗り換えるのですが、大阪の街が眼下に見えてきたときは、林立するビルが墓標のように感じてしまいました。

  富士はさすが!

   羽田からは、バスで帰ります。

  遠くに見えるのはオリンピック仕様の東京タワー。東京は大阪以上にビルが建て込んでいていました。(そりゃあそうですが)この日は、柔道で松本薫選手が金メダルを獲得したということで、このライトアップをしていたのですね。おめでとうございます。

 最後に。姿は全く見えませんでしたが、島にいる間、何回か「竹島」の名前を見聞きしました。竹島は島根県隠岐郡隠岐の島町に属しているということも、初めて意識した次第です。

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 先日「磯遊び」を夏と書きましたが、磯遊びは春でしたー。隠岐で「磯遊び」で作らなくてよかった。何か間違っていたら、遠慮なくご指摘ください。


隠岐4日目-川舟

2012年08月04日 | 俳句

〈隠岐4日目〉―7月31日(最終日)

 三々五々、隠岐を発ちます。私の便は15時ということで、午前中は川舟に乗りました。13人定員の小さな舟で湾を一周、川も巡りました。 川沿いの家々の裏に、小さな桟橋があるのが、この町ならでは。物資の輸送に船が何より重要な役割をしていたことがわかります。北前船の寄港地だったことで栄えたことなど、実感することいろいろでした。

 舟をつけないとお詣りできない小さな祠 湾に舟が出ると、島の岩肌が間近に見えます。小さな洞がいくつも。

 舟遊びも、夏の季語です。

 ホテル近くの漁港から遊歩道を歩いて行くと、 こじんまりした海水浴場があります。ほんだわらや天草がすぐそこにゆれていて、透明度抜群のきれいな浜辺でした。泳いでいるのは、1家族と1カップルだけ。

 さて、あとはホテルで飛行機までの時間をまったり。としていたら、海蛍を見に連れていってくださったり、隠岐の歴史をいろいろお話をしてくださった支配人がご挨拶に来てくださいました。そこでせっかくだからこの4日間で作った俳句を書いていきましょうということになり、そこにいた8人が、 こんな感じで。俳句はそれぞれのものですが、書は辻桃子です。主宰は書でも手島右卿賞を受賞を受賞したほどの腕前なので、俳句がぐんとひきたちます。しかも支配人までそこでいきなり「隠岐旅人」という俳号をつけ、一句作ったというおまけつき。嬉しい締めくくりでした。

 やいとばな遠流の島に降り立ちて  あぶみ

 「やいとばな」は、「灸花」、へくそかづらのことです。初日に〈麻シャツや遠流の島に降り立ちて〉と作った句ですが、こうして土地に置いてくる場合は、その土地の人(送る相手)が喜んでいただけるような季語を使う。できるだけ花などの季語に置き換えてと主宰に言われ、「やいとばな」にしました。小さくて地味ですが、かわいい花です。花を逆さにすると、お灸をしたときの形から「灸(やいと)花」とも。実に匂いがあるため「屁糞葛」なんていうかわいそうな名がつけられていますが、支配人は隠岐の動植物にとても造詣の深い方でしたので。主宰の句も、句会では「夏潮」ではなく別の季語でした。(たぶん)二ヶ月後の「童子」では、もともとの方で発表されると思いますので、そのときにまたどんな季語だったかをお伝えします。(俳句をやっている方、興味のある方は、ここにどんな季語があったらいいか、よかったら考えてみてください。花ではありません) 待ちきれない方は、メールしてください。

  今回の旅中、目についた花は、灸花のほかは、小鬼百合、合歓(ねむ)、かわら撫子など。

 


隠岐3日目-後醍醐天皇御所跡(黒木御所)・摩天崖(国賀海岸)・飛魚

2012年08月03日 | 俳句

〈隠岐3日目〉-7月30日

 船で島前へ。といっても、西ノ島だけです。まずは後醍醐天皇が流されて、御所として住んでいたというところへ。鳥居を潜り100段の石段をのぼったところに、どうがんばっても二部屋くらいしか作れなかったのではという程度のスペースがありました。罪人として流されたといっても天皇なわけなので、島民には大切にしてもらったそうですが、やはり体のいい牢獄です。後醍醐天皇は二年で脱出したのですが、後鳥羽上皇は島で生涯を閉じたということです。(後鳥羽上皇ゆかりのものは、知夫里島が多いのですが、今回は行くことができませんでした)

 御所跡のある高台から見えた海と島影。御所があったのはこの後ろの奥まったところです。

  国賀海岸

   

 なんとも気持ちのいい風でした。仔牛、仔馬、かわいいでしょう? (仔牛や仔馬は春の季語ですが)

 島後は、半径30キロ、周囲100キロということで、琵琶湖にすっぽりとおさまってしまう小さな島です。普通の観光だったらば一日であちこち行くでしょうし、(ろうそく島とか、トカゲ岩とかビューポイントは他にもあるようです)せっかく来たんだから知夫里島も中ノ島も、あそこもここも、となるでしょうが、句会があるので、このくらいでも充分すぎるほどです。

 西ノ島へ入るときに見える三郎岩

 飛魚が飛んでいるのも、たくさん見ました。飛魚は「あご」ともいいます。そういえば前日の昼食のそばは「あご出し」でした。飛魚も夏の季語。

 夕食後句会。3日目の句会は疲れが出たのか、「ロマンチックすぎる」「予定調和」と厳しい句評が飛魚の如くに飛び交いました。その後、翌日は早く発つ方もいるので、懇親会。懇親会が始まったのが何時だったか覚えてませんが、当然日にちが変わってもまだ盛り上がっていました。島の民謡「しげさ節」から海の歌いろいろ、「ふるさと」、「この道」などを合唱、新島からいらしたMさんの貴重な(としかここでは言いようのない)唄の数々も。

 

 


隠岐2日目-古典相撲・船小屋・海蛍

2012年08月02日 | 俳句

〈隠岐2日目-7月29日〉

  たまたまだったのですが、5年ぶりの古典相撲が行われていました。隠岐の相撲は300年の歴史のある宮相撲だったのが一時途切れ、現代では何か慶事があったときだけ季節を問わずに開催されるのだそうです。今年は隠岐病院が新しくなったことを祝して。  現在国技となっている相撲の歴史は古く、季語としては秋に分類されています。これは日本は農耕の国なので、秋の収穫が終わったあとの奉納相撲が本来だからです。「村相撲」「力士」「関脇」なども秋の季語になります。夏の相撲は「涼み相撲」「納涼相撲」。外に土俵がしつらえられ、28日夕方から夜通しで取り組みがあり、私たちが行った頃は、3役の見応えのある取り組みに大盛り上がり。出場しているのが全て地元の人たちなので、各地区の対抗の形になっています。呼び出しは四股名ですが、そのあと四方に向かって「○○〈屋号)のあんさん〈長男)~」、「吉田屋のおっさ~ん(次男)」などと紹介され、そのたび大喝采でした。勝つと、半端じゃない塩が振りまかれるのも豪快でした。いやー、それにしても暑かったです。夜に見るのもよかっただろうなと思いました。隠岐出身の力士のいる大相撲の八角部屋が合宿をかねて来ていたようです。

 横綱というのは大相撲だけの役で、大相撲以外では一番強いのは大関なのだと初めて知りました。

 句会では、〈賞品は土俵柱や島相撲〉という句を出したのですが、なんと〈賞品は〉が他の助詞になっているだけ、つまり一字しか違わない句が他の方から出ました。吟行ではこういうことがあります。でも主宰からはどっちの句もとっていただけませんでした。(前日は、似たような句で入選もあったので、同じだからというわけではなく)島の人にとっては当然のことを言っただけで発見がない、ということです。句会は勉強ですから。ここではまだ公表できませんが、主宰の句はさすがとうなりました。

  隠岐は小さな漁港がたくさんあります。これは船小屋。 

 俳人はこういう場所が好きです。低学年くらいの兄弟が横でシュノーケリングをしていました。この日の句会では、船小屋に玉葱が吊られていた、荒布(あらめ)が干してあった、船小屋の柱が夏潮の中にあった、などなどたくさん詠まれていましたがやはり似た句が多く、そこでどうぬきんでるか、季語をどう使うかなど、ほんっと勉強になりました。

 隠岐は童子副主宰の出身地でもあり、もう家はなくなっていますがその跡地も訪れました。

 安部元気生家の跡や南瓜這ふ   あぶみ 

 この句、句会では点をいただけませんでした。あいさつ句として南瓜が這うというのはいかがなものかという講評。(同じ場所を読んで白瓜と取り合わせた他の方の句はこの「白瓜がいい」と特選だったこともあり)

 ところがところが、東京に戻った主宰から、「あの〈南瓜這ふ〉の句が実はずっと気にかかっていました。あのときはああいったけれど、これだけ気にかかるということは、それだけインパクトがあるいい句だということです。訂正します」とわざわざ電話をいただき大恐縮、大感激。

 他に樹齢2000年の杉のある玉若酢(たまわかす)神社、駅鈴や小泉八雲ゆかりの品が展示されている宮司を代々司っている億岐家(隠岐騒動のときの刀傷や銃弾のあとが柱にありました)、隠岐の島町最古の住宅佐々木家を見学というてんこ盛り。

 夕飯のバーベキュー後は、海蛍を見に行って一日を締めくくりました。海蛍は、プランクトンである夜光虫とは違っていて甲殻類で、海の底で光ります。(夜光虫は波間に漂うという違いがあるとのこと)たくさんいましたよ! 海蛍。青く光っていました! 


隠岐へ-ボンバルディア

2012年08月01日 | 俳句

 かつて隠岐の国だったところは、3つの島の島前(どうぜん)と1つの島の島後(どうご)の4つの島からなっています。今回1つの島が1つの町、隠岐の島町である島後に行ってきました。

 

 〈初日-7月28日〉 古事記によると隠岐は、淡路、四国の次、3番目に生まれたということです。平安時代には後醍醐天皇、後鳥羽上皇、小野篁などが島流しとなった歴史を持つ国。本当だったら舟で渡りたかったのですが、さすがに遠く、往復とも航路となりました。ところが初日からトラブル発生。大阪伊丹空港から飛ぶはずの プロペラ機ボンバルディアが部品の不都合とやらで、他の機首に変更となり2時間も待たされてしまいました。ボンバルディアは故障が多いという情報があとから入ってきました。(個人的にこのへんは興味外なのですが、家族にマニアがいるもので……。いるでしょう? 飛行機の飛ぶ音を聞いただけで、それがなんのなんという機首か名前が出てくるようなタイプが)

 結局隠岐のホテルに着いたのが17時。即夕食で、18時半から句会でした。そうです、今回は、『童子』のみなさんと行った吟行なのです。 私を含めての遅延組8人は「何も見てないよ~」と言いつつ、ホテル裏の磯(上写真)を10分ほど見て、句会に臨みました。

 麻シャツや遠流(おんる)の島に降り立ちて   あぶみ

 童子に入って18年ほどになりますが、このように何日もの泊まりがけの吟行に行けるようになったのはこの頃です。しかし行くとやみつきになるこの吟行。続きはまた明日。