fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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『そこに言葉も浮かんでいた』(新日本出版社)『アゲイン アゲイン』(あかね書房)『わくわくもりのはいくえん はる おともだちできるかな』『みちのく山のゆなな』(国土社)『ファミリーマップ』、エンタメシリーズ『家守神』1~5巻、『おはようの声』幼年童話『ヘビくんブランコくん』『オンチの葉っぱららららら♪』、短編集『友だちの木』・歴史物語『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』他、好評発売中です。各種ご依頼は、左側のメッセージからお願いいたします。    

『しづごゝろ』宮城静子ー童子吟社

2015年09月15日 | 本の紹介
 杞夏さんへ
 明日は「シャンソンの集い」ですね。反戦の歌も一曲歌われるとのこと。
 杞夏さんの歌声が秋風に乗って、秋田まで届くといいのに。ご盛会をお祈りいたします。

 さて。

      

 先日松本光史さんの句集を紹介したとき、(そうだ、もう亡くなられた方の句集を紹介しよう)と思いました。

 宮城静子さんは、「童子」創刊からの会員でらっしゃいました。長く学校の先生をされていて、私がお会いした当時すでにかなりのご高齢でらして、そんなに句会には出てらっしゃっていませんでした。
 改めて読むと『琉球上布』という句集をすでに出されていて、『しづごゝろ』は、第二句集です。なので、残念なことに辻桃子主宰の前書きがありません。(だいたい、第一句集で主宰の前書きをいただくのです)ただ、帯には主宰の短い文が記されていました。

 この句集という小宇宙の中で、作者は四次元時空や古代人や宇宙人と交信し、身近な人や物に話しかけつつ、俳句を作っているのである。(辻桃子)

  月浮きて地球の浮きて葉月かな
  波打てる秋海棠を刈りにけり
  大牡丹くづれんとして豪華かな
  我ら古代人と呼ばれる日にも梅咲くか
  朴咲けり朴咲けり宙揺れにけり
  手に余る小菊は瓶に傾ぐなり
  冬たそがれだれかれとなく今晩は
  日野の森初うぐひすのケケケッケ    宮城静子


 そう。静子さんは日野の丘の上に住んでいらっしゃると聞いたことがあります。私が日野に越してきたときはもう静子さんはいらっしゃいませんでした。

  サッサッと夏草払ふ丈の鎌   静子
 この句は覚えています。ということは句会をご一緒したこともあったのですね。丈の鎌がいいと主宰がおっしゃったことも、思い出しました。  
 巻末にはエッセイも何編か入っていて、初めて読んだような感慨でした。

 やはり句集を出すのは、いいですね。句集を遺さずに亡くなられたあの方もあの方も・・・、句集があったらよかったのに。

ブログのこと

2015年09月14日 | あいさつ
 普段は口重だよね。と先日言われました。
 ホント、ここではこんなに饒舌なのに(苦笑)。
 口からは、すらすらと言葉が出ないのです。なので、書いているのです。書いたものを読んでいただくことは好きなようで、このブログも続いています。コメント欄は公開おしゃべり的で、口でしゃべるのと似ている感があり、やっぱり閉じさせていただいたまま。
 
 いらしてくださってる皆様、ありがとうございます。
 知っている方も、存じ上げてない方も。
 俳句の仲間も。児童文学の仲間も。もちろん、それ以外の方も。
 思いがけずたくさんの方に来ていただいていますが、たとえ一人でも二人でも、ありがたいと思っております。

 好きな作家さんのブログをチェックしていて・・・。今年「明けましておめでとうございます」のご挨拶の後、更新が途絶えているのがあります。昨年末に出た本の続きをきっと執筆していらして、ブログどころではないのだろうな。ブログが再開されるときは、続きが出るときなのだろうなとも思っています。あの作品(タイトル書いてしまうと、失礼な気もするのでやめておきます)おもしろくておもしろくて、でもえ? こういう展開? それでこれをどう着地させるの? 的ところで途切れているのですよ。もしかして苦労されているのかなあなどと、僭越ながら心配したり。いいえいいえ、きっと読者の納得する続きが出てくることでしょう。待っているのは、私だけではありません。
 そう。何より大事なのは、書くこと!
 私も「書き」にもどります。(誰も待ってないけど)
 きょうは秋田の母の通院なので、そのあとで。

 

 東京の近所。また竹林と畑がなくなりました。(泣)
 そして、今、写真をアップロードすることができません。しばらくストック記事とストック写真で・・・。いつものことですが、記事と本人のいる場所がごちゃごちゃになります。こんなブログで、すみません。今後もどうぞよろしくお願いいたします。

 

更年期の漢方薬・ある日はっとしたこと

2015年09月13日 | 日記
 きのう、岩手へ来ました。
 途中、福島や宮城の川はどうなのかと見ていましたが、新幹線が通るあたりは、静かなものでした。きのうはお天気もよかったですしね。でも、鬼怒川での被害はまだまだの様子。水の災害はもうイヤです。

 さて、先日のこと。
 数日間、ある人物のことが頭から離れず。それは決していい感じではなかったのです。その人が言ったこととかを何度も何度もリピートし、その人のことがイヤでイヤでしかたがなく。(このブログは見てないと思います)そして、そんな風になっている自分がイヤでイヤで。なんて心が狭いんだ、気にしなきゃいいんだと言い聞かせ、でもまた……。
 
 で、はっと気づいたのです。これって、更年期だ! 何度かこういう感じになっているのです。もう過ぎたと思っていたのですが、まだだったんだ。
 薬の場所をゴソゴソして、更年期用の漢方、加味逍遥散を見つけて飲みました。そしたら、平気になったのですよ。頭の中でイヤイヤだったその人は、すーっとどこかへ行ってくれました。
 たぶん抑肝散加半夏だったらもっと効いたと思うけど、うちになかったので。(こっちは、以前飲んだとき、ぱ~っと明るい気持ちになったのが、驚くほどだったのでした。あのときは体も軽くなって、トントントンと階段上った自分にびっくりしたっけ)←でも、こんな急激な効果は怖い? 
 薬に頼らず、乗り切れたら一番いいのですけどね。

 人の体って、そして心って、不思議。ここまで読んでくださった方、鬱陶しい独白におつきあいくださって、ありがとうございました。

朝倉文夫 「雲」
 朝倉彫塑館の入り口にあったのですが、浅草の浅草寺にもあるらしいです。これも不思議な彫刻。

「童子」2015年9月号

2015年09月12日 | 俳句
「写生の技ある句」というタイトルで、7月号の月評を書かせていただきました。うっ、誤字があったよ・・・。
 また、「童子俳枕」谷保編で、立松けいさんが、
 寒明けや鶏の尾といひ色といひ  あぶみ 
 を取り上げくださり、

 「童子句会」より、「桃子三冊子」には、

 桃葉湯家も田畑ももてあまし   あぶみ

 を出していただいています。

 今月は他に、

 みちのくの一塊として余り苗  あぶみ 
 他4句を発表しています。
 
 波多野爽波さんは、「なぜあなたは俳句を作っているのかと問われたら、自分というものを消すために作っている」「自分というものを本当に消し去ったとき、まったく自分が予測していなかったものが出てくる。それを待ち望んで俳句を作ってるんだ」と述べているそうです。私は、なかなかそこまでの境地にはなれていません。いつかそういう心持ちになることはあるかもしれないけれど、自分にこだわっている時期があってもいいかなと思ったりもしているわけです。
 これはかつて爽波が「青」という雑誌において、大串章氏、竹中宏氏らとの対談で言っていることで。大串氏は「作品としてボーンと名前なしで投げ出した時、たとえ作品として良くても、自分の血脈からはずれているものであれば、それは捨てる」「自分の世界を持っていなければ詮ないことだ」と言い、「自分にとって気持ち悪い句になっとるかどうか」「自分にとって親和感のない俳句を作りたい」と竹中氏は言っているとのこと。(「童子」8月号、「波多野爽波研究39」・小川春休より)

 私は、今大串氏のところにいるということです。(上の2句がまさにそう)いつか自分にこだわるところから脱却でいるときがくるとしたら、それも楽しみですが、数年のスタンスでは到達できないだろうという予感もあります。(一生できないかも?)

朝倉彫塑館(谷中探索)

2015年09月11日 | 日記
 大雨の被害にあわれた地域の皆様、大変です。

         

 先週晴れ間の一日、谷中の朝倉彫塑館へ行ってきました。
 ずいぶん以前に訪れたことがあり、最近改築された?という情報があったので、まさかこぎれいになってしまったのか? と懸念しつつ行ったのですが、印象は変わっていません。よかった。
 真っ黒い外観も、和洋折衷の中身も、もちろん彫刻群も。生前集めていた蔵書も、壺などの類も、すばらしいものばかり。
 建築物としては古いものですので、おそらく補修は何度もされているでしょう。床など、いろいろきれいになっているのでしょうが、元のイメージを壊していないのです。ホントにすばらしい建物です。三階まで、そして屋上庭園まであるのですから。二階、三階とある和室は広々として、座卓も立派です。
 屋上には畑もあり、トマト、キュウリが成っていました。オクラは、花がちらほら。実は小さなものがひとつだけ。紫式部もきれいでした。
 屋上
 屋内は撮影禁止なので写真ありませんが、代表作「墓守」はやはり秀逸。そして私が一番好きなのは、様々な姿態の猫たち。

 近辺の江戸時代からあるという築地塀や谷中霊園や(牧野富太郎博士のお墓もあるようでした)、明治維新後の上野戦争の際に、敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃を受け、その際の弾痕のあるお寺のご門や、谷中銀座や、あちこち歩いてくたびれました。同行の「童子」の方に(そうです、吟行だったのです)この界隈で生まれ育ったという方がいて、八百屋お七の名前の由来となった七面様がこの先にあるとか、このお寺は江戸時代にお坊さんが女の人を何人も連れ込んでいかがわしいことをしたという事件のあったとこ、とか教えてくださって。
 でも、一人じゃあ、それがどのお寺か、もう行ってもわからないなあ。

 それから、晴日さんへ。(いきなり、個人的に呼びかけです)
 谷中霊園に徳川慶喜の墓があるの? ときかれて、私、「徳川家の墓所は別でしょ(あのとき寛永寺という名前は出なかったけど、徳川家ゆかりの墓は、寛永寺か増上寺ですね)」と言いましたが、慶喜の墓は谷中にあるようです! すみませーん。
調べたところ、慶喜は遺言により、仏式ではなく神式で葬儀を行ったそうで、それでお墓もお寺ではなく霊園になったということです。

*先日フェイスブックでシェアをしてくださったMさんが、こんどはツイッターで「学校に行けないときは」の記事をツイートしてくださいました。私のブログの記事のツイッターのところに数字が出ていますが、その数字をクリックするとMさんのツイッターへ飛ぶことができます。Mさんのアンテナは多方面にわたっていて、へえーっと思われる記事をいつもツイートされています。
 ただ、その数字が2となっているということは、Mさん以外にもツイートしてくださった方がいるということか? クリックして飛ぶことができるのはMさんのところだけなので、ここもよくわかりません。Mさんのツイッターからこちらへ来た方の数字なのかしらん? 
 いつもこんなんで、すみません。でも、いろいろ感謝です。

 

十日の菊(とおかのきく)

2015年09月10日 | 日記
 昨日ついでのように、「重陽の節句」だと書きましたが9月9日は、一年に5つある節句のしめくくりでした。菊の節句ともいい、菊を愛で、菊を食べ、菊酒にしたりと菊を楽しみます。3月3日は桃の節句、5月5日は菖蒲の節句。

 十日は小重陽ともいうようです。

 金龍のゆつたり舞うて小重陽   小林タロー(『いちばんわかりやすい俳句歳時記』)

 でも、ことわざとして、その翌日になって出しても間に合わないもの、手遅れということとして、

 六日の菖蒲(あやめ)十日の菊

 という言い方をします。こんなことも、俳句をやって初めて知ったことでした。十日菊も季語。この季語をつかった句でいいのがあったのだけど、見つけられずにいます。

  無花果

『頭のよくなる10の力を伸ばすお話』PHP研究所

2015年09月09日 | 自作紹介
 
『頭のよくなる10の力を伸ばすお話』PHP研究所 が、7刷となったというご連絡をいただきました。
 私もまた、ここにきて、「語り」ができる物語を集めた本が欲しいなと思っています。子どもに読んであげる本を求めている方が多いのは嬉しいことですね。

 *数日前にこのブログをフェイスブックでシェアしていただいて……と書いてから、ようやくブログの記事の下のマークを気にするようになりました。すると、ここ数日の記事にもシェアの跡が見られます。「季語と季感」をシェアしてくださったMさんからはメールをいただいたのでわかったのですが、他の方はどなたなものか、まっくわかりません。でも、どうもありがとうございます。もしかしたら、シェアではなく、「いいね」なのかな? まったくもって、理解できずにいて、申し訳ありません。でも、楽しみが一つ増えた感じです。
 ただ、ついでに他の方のブログもそういう目で見たら、おっと驚くシェアの数が書かれていて。私の数字、かわいいものですね(笑い)。自らフェイスブックをやっていれば、また違うのかもしれませんが、まあこの辺りで留まっています。
 Mさん。ツイッターのこともOKです。ありがとうございます。

 あ、きょうは9月9日。重陽の節句だ。

 重陽の指に重たき指輪かな
 柏手や重陽の息ととのへて  あぶみ

学校へ行けないときは

2015年09月08日 | 日記
 ここのところ、連日「団地ともお 戦争」などの検索でここに来てくださる方がいらっしゃいます。8月14日放送の「団地ともお」についてよかったと書いたのですが、同様の感想を持った方がたくさんいらっしゃる様子。こういう広がりは嬉しいです。私が書いたのは8月15日のブログです。そして他の方のブログも拝見したのですが、私と同じともおの台詞に共感していらしたり(これは、嬉しい)、この回のシナリオを書いたのが誰かというところまで調べたりしていらして、感心しました。
 
 さて。

新学期になっても学校に行くのが死ぬほどつらいときは、図書館へいらっしゃいと子ども達に呼びかけた鎌倉市図書館のツイートが話題になりました。
 実際には行かなくても、このような呼びかけをしてくれる場所があるだけで心強いと思います。
 そしてもしものときには、学校や親との連帯が必要だと思うのですが、ひきこもりとなって家でゲームやネットをするのはやはり好ましくなく、図書館というのは、ホントにいい場所だと思います。
 
 なぜゲームじゃだめなのか、本のほうがいいのか。
 それに対して、ずいぶん前に読んだ新聞記事が記憶に残っています。

 何かを達成したとき、楽しいと思ったとき、脳からはドーパミンという物質が出ます。この経験が次にまたその体験をしたいという気持ちになり、頑張る。そういう図式になっているのだそうです。でも、ゲームをしているときは、このドーパミンが出っ放しになっている状態。これが続くというのは興奮状態が続いているということ、すると人はささいなことに喜びを感じることができなくなる。
 ささいなことというのは、たとえば外を歩いていて、小さな花を見つけたとき。雲の変化に秋を感じる、などなど。(これって、俳句的だなあと、そのときは思ったのですが)
 対人関係にも支障が出てくるのです。

 なので、やっぱりゲームではなく、本を!(一時的にはいいんですよ) 
 学校に行くのが死ぬほどつらい場合は、行かなくてもいい。でも、そのかわりに家でゲームばかりしていては、精神のどこかが仮死してしまう可能性があるのではと感じるのです。
 電子書籍の場合はどうなのかは、よくわかりません。でも、本が売れないといわれている今、私が児童文学にこだわっているひとつの理由がここにあります。

 自分の体験としても、小学生のとき、本の中の世界に浸っていたときの幸せな体験。全身全霊本の中に入り込んでいましたっけ。ああいう体験ができる本が一冊でもあってほしい。それがある子は、現実の世界も生き抜いていけるのではと思うのです。

 いじめられていたというわけではないけれど、私も学校は好きじゃなかったなあ。逃げたい! と思うほどではなかったので、行ってはいましたけどね。学校って、けっこうしんどいところですよね。そこに耐える力も必要かと思うけれど、どうにもならないときは、逃げていい。
 なぜだったかは覚えていないのですが、学校に行きたくなくて、お腹を壊したいと思って、ご飯を6杯食べたことがあります。とろろをかけてたから、するするでしたが。そしてお腹を壊すこともなく、学校へ行ったのでした。結局バカ真面目だったということ。楽しくなかったから行きたくなかったのかもしれません。
  
  バッタ

 そういうことも含めて、昔話の「語り」の大事さに共感しています。私もやりたいけど、咳喘息の持病があるので、声を出し続けるのがちょっと苦手。(友人とおしゃべりを長くしているだけで、だんだん声が嗄れてくる。そして炎症的になり、そこから風邪に移行しやすい)残念です。でもちょこちょこそれ系の本を読んでいます。

案山子

2015年09月06日 | 日記
  おとといの「季語と季感」の記事に、内外から(つまり俳句関係者からだけではなく、それ以外からも)うれしい反響がありました。ブログの記事の下にフェイスブックやツイッターのマークがあるのですね!! これ、前にもそのことを言われたけど、見えていなかったのですよ。今回、見えました(何言ってんだか。思わず、過去に遡って確認しちゃいましたよ)
  友人がフェイスブックで紹介してくださって(つまりシェアしてくださったってことですね。)そこから来てくださった方がそのマークにいいねサインをしてくださって、それが19個も! ありがとうございました。仕組みはよくわかっていないけれど、やっぱり反響があるとうれしいです。
 ということで、シェアしてくださったMさん! こっちからは見えないなんて言って、そうじゃあなかったです。見えました。改めてありがとうございました。
 
 さて。

      

 案山子が活躍する季節になりました。
 岩手のうちの田んぼは、案山子を置いたことはありません。ビニールテープのような「鳥威し」もこれまではやっていませんでした。写真は近所の案山子です。
 ただ、昨年あたりから、雀の数がものすごく増えているので、今年はテグスやキラキラ光テープを張り巡らしています。
 雀の数が増えたのはなぜか。おそらく、近隣の田が減ってきているので、残っている田にやってくる雀が増えているのだと思います。
 雀対策をしていない田があれば、雀たちは「こっちこっち、こっちの田んぼがいいぞ」と集まってくるでしょう。さて鳥威しはどのくらい効果があるか。今週末にはまた行きます。

どらえもんバスと「デザインあ」

2015年09月05日 | 日記
          
 
 登戸から藤子不二男ミュージアムまで走っています。乗ったのですが、ミュージアムへ行ったわけではありません。
 このバス、「降ります」のボタンもドラエモンだったりして、楽しい。別の日のバスはおばQでした。
 ところで、ドラエモンの3D映画のCMがやっていましたが、ピンとこないですね。子どもだったら抵抗ないのかな。サンダーバードの3Dもやってましたが、あれもつまらなかった。
 私が子どもの頃、サンダーバードやひょっこりひょうたん島があんなに楽しかったのは、子ども向けのものが今のように溢れていなかったからだろうと思うのです。
 先日日曜日の朝、ちょっと子ども向け番組を続けてぼんやり見ていたのですが。戦隊もの2つと女の子向けのなんとか。(なんとかじゃなく、覚えろよって感じですが)おもちゃが売れるんだろうなあというのが、一番の感想でした。

 そうそう。NHK、Eテレの朝7時代にやっている「デザインあ」という番組を勧められて見ました。朝7時25分から5分間。どこかで15分バージョンもやっているらしいけど、この5分で充分楽しめます。日常のすべてをデザインという観点で見ている番組で、すばらしい。続いて放送している「ピタゴラスイッチ」もデザイン的。現代的。
 皆様お忙しい時間でしょうが、オススメです。

 デザインといえば、オリンピックのエンブレムですが、これについては思うことがまたあるので、後日改めます。

赤い実(ヒヨドリジョウゴ?)

2015年09月04日 | 日記
     
 散歩の途中の実が赤くなってきました。赤い実っていろいろありますが、何が何ってよくわかっていません。
 
 蔓状の植物で、まだ花も咲いていました。葉は朝顔の葉を細くしたような感じです。

 ネットで調べたところ、ヒヨドリジョウゴのようです。ひよどりって、鳥偏に卑しいと書きますが、それに上戸。ヒヨドリが好んでこの実を食べるから、でも実際にはそうでもなく冬になっても残っている。とのことです。

 ♪赤い鳥小鳥なぜなぜ赤い
  赤い実を食べた♪
  
 という歌があるけれど、考えてみると日本に赤い鳥っていないような……。かつて児童文学の中心だった雑誌も「赤い鳥」でしたけどね。子どもにとって、ひきつけれれるイメージなんだろうな。

季語と季感

2015年09月03日 | 俳句
 俳句には、いろいろと基本的な決まりごとがあります。
 一句の中に季語をひとつ入れること。575であること。
 これが、大きな二本柱。ほかにも、切れ(や、とか、けりとか、かなとか、ほかにも)が大事。一句の中に切れるところは一カ所。句会には、その季節の句を出す、など。

 でも、文学ですから絶対的なものではありません。季語が一句に2つ、多い場合は3つも4つもということもありますし、字余り、字足らずでもOkな場合もあります。

 そんな中、私が幹事をしている句会で、「夕焼けの歌」「朝顔の切手」のように、歌の言葉、絵に描かれたものが季語として使っていいのかどうか、という話題になりました。NHKの俳句番組で、これらを季語として使った句が、特選に選ばれていたという方がいらっしゃったのです。
 私は、ずっと「季語は俳句の命」と教わってきていたので、実際のものではない言葉は、季語としては弱いと思っています。また、俳句は結社という会の中でやっているので、選ぶ方が違えば、いいと思われる句も違う、NHKの俳句とうちの会の俳句は違って当然です。ただ、うちの主宰がどう考えてらっしゃるのか、確認をしたいという心持になり、お忙しいところ申し訳なかったのですが、質問をしてみました。(正直、いちいちきいてこないでと叱責を受けてしまうかなという不安もあったのですが)
 先生からは、「これは季語の本質の部分で、とても大事なこと。あなたに返事をするだけではなく、ほかの人にも聞いてもらいたい」とお返事をいただき、(感激)急遽、近隣にいらっしゃる句会の幹事の方たちに召集がかかり、このことについての座談会となったのです。(またも、感激)

 いろいろ意見が出ました。
 ほかの句会でも、着物や帯の柄の植物などを季語として使った句が出る。着物の柄は季節によって着分けるので、いいのではないか。
 一句に季感があるかどうか。

 芭蕉も無季の句を作っている。
 
 道のべの阿波の遍路の墓あはれ  虚子 

 の句について、山本健吉と大須賀乙字という二人の評論家が違った見解を述べている。健吉は遍路という春の季語があるのでいい。乙字はこの句には季感がない。(だめということではない)
 
 しんしんと紺碧きまで海の旅   篠原鳳作  
 
 俳句をまったくやっていない人にこの句の季節はいつだと思うかというアンケートをとったところ、冬という意見が多かった。が、作者は宮古島でこの句を作った。無季ではあるが、あえて言えば夏の句である。

 戦争が廊下の奥に立ってゐた  白泉
 
 のように、無季の句でもいい句はある。

 などなど、たくさんの意見が出ました。
 結論としては、ゴッホのひまわりのように、一年中あるものは言葉として夏のものが入っていても、無季である。その上で一句が季感をまとっていればよいとなる場合もある。それが私たちの考え方です。そして、季語が入っているか無季かという事とは別に、人の心に響く句であるかどうか? ということが大事。

 こうして時に基本的なことを確認しながら、句を作っていく、座を運営していくというのが大事だなと思いました。

 *また後日、先生からは、「皆さんとてもいい話し合いだったと喜んでいらっしゃいました。きっかけを作ってくださってありがとう」というお言葉も! またまた感激。こういうことがあると、改めて自分にとって文学の師は辻桃子(敬称略)であると心に刻むのでした。そしてそう思えること(師と呼べる方がいること)って幸せだなあとも。
 
「夕焼け」は夏の季語

 

鶏頭の十四五本もありぬべし

2015年09月02日 | 俳句
       
 鶏頭を見ると、必ず頭をよぎる子規の句です。
 虚子はこの句をいいとは認めなかったとのこと。
 でも、根岸のあの小さな家に寝ていて、小さな庭に咲く鶏頭や糸瓜を見て句を作っていたのですから。十四五本もあるかなあというつぶやきをこうして句にしただけで他になんにも言っていないからこそ、力強い句だなと思うのでした。
 子規だって、今の時代に生きていたら、ブログを書いて、ツイッターでつぶやいていたかもしれませんね。(シャーロックホームズの現代版でそうでした。ただ、あれのシーズン2はつまらなかったな)

 *そういえば、大分前に、パソコンをしていると手がしびれる云々ということを書きました。そのとき、リストレフトを別のものを購入してみたのですが、これがよかったみたいで、その後しびれは出ていません。中身が低反発のぐにゅぐにゅしたやつです。なので、岩手用にもう一個注文しました。今月来月は、一人で向こうに行くことになりそうなので。

九条の会

2015年09月01日 | 日記
 きのうは夏休みの宿題をやっていた子が多かったのでしょうか。
 今このブログはリアルタイム解析というサービスがあって、このブログに辿りついた検索ワードがわかるようになっているのですが、私が以前紹介した児童文学のタイトル+感想とか、+あらすじとかっていうのがいくつもあって……。
 読書感想文、書けたかな? 
 あと、検索ワードは、俳句関係が多いですね。稲掛け、俳句とか。水澄む、俳句とか。

さて、先日「童子」のメンバーが集まったときに、同人のSさんが「俳人九条の会」の事務局長になったという話題が出ました。俳人九条の会の呼びかけ人の中には、辻桃子主宰も名を連ねてらっしゃいます。
 九条の会は、井上ひさしさんや大江健三郎さん達作家のみなさんの呼びかけで立ち上がり、それの賛同した各分野で○○九条の会というのがいくつもでき現在に至っています。
 そのひとつが俳人九条の会とのこと。
 今、ホントにおかしい状況になっている。国会に行ってデモをする元気はないけれど、九条を守るというのは大事なことだ。という話にもなりました。
 私は、「子どもの本九条の会」に入っています。って、えらそうに言えるようなことは何一つしていないのですが・・・。
 いくつもの団体に入るのは、地に足がつかないように思うので、私は俳人の会のほうには入らないと思いますが、気持ちは応援しています。俳人は平均年齢が高いので戦争を知ってらっしゃる方も多いはず。どうか、あんな時代に逆戻りするなんてことにならないよう。
*「童子」の皆さんへは、9月号で会への参加を呼びかけるということでした。

 また、先日30日には、国会でデモが行われましたね。主催者側の発表12万人という大規模なものだったとのこと。出かけられた皆様」ありがとうございました。
 左のブックマートの日本児童文学者協会のHPに行っていただくと、声明を読むことができます。私たち子どもの本に携わっている人間は、子どもの未来を守るという明確な意図で結束されているのです。

  落蝉
 
 これはつくつく法師だと思うのですが。