開戦から2年後
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1943年(昭和18年)秋、戦況は坂を転げ落ちるように悪化していきました。
そして、ラヂオから流れるニュースは…。
(有馬) 「本日、東条首相による、国政運営革新に関する重要発表で述べられましたように、政府は、学徒をして、直接戦争遂行に、参与せしむる事に方針を決定。これにより、全国の大学、高等学校、高等専門学校在学中の、理工、医系以外の、学生の徴兵猶予は、停止せられる事となりました」。”
いわゆる学徒動員ですね。戦地に行きたくてうずうずしていた宮本家の純平は、これに目を輝かせます。
この純平の一途な思いを蓮子さんには止められないでしょうね。肝心な時に家にいない龍一。「戦争にやるためにお前を育てたのではない」と親父ずらを見せていたのですが、こんなに放ったらかされていたら、
(純平)ようやく僕も、お国のために戦えるんです! お母様たちを守るために、戦えるんです!安心して下さい。必ず命を懸けて、日本を守りますから。
純平だって自分が家族を守るんだと考えるのも当然でしょう。まったく龍一は口ばっかで、言うこととやることがいつも中途半端。こうして、昭和18年12月、大勢の大学生が本を捨て、学徒出陣していきました。 余談ですが、我が家の義父も学徒出陣し、あと半年戦争が長引けば特攻隊として海の藻屑と消えるところでした。
因みに、戦没学徒兵の手記「きけわだつみのこえ」編者の中村克郎さんが集めた資料を展示する「わだつみ平和文庫」が甲州市塩山にあります。今、開館されているか分かりませんので、市役所で尋ねてみて下さい。
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英治さん”お手をどうぞ” ” ねえ、英治さん。踊って下さらない?”
嬉しいじゃありませんか。靑凜社を閉めて、軍事工場に働きに出ると決めた英治にダンスを申し込む花子。
もう外国のダンス音楽を流すことは出来ません。
しかし、あらゆる事を禁止されたとしても、想像の翼までは、誰も奪う事はできませんものね。何処だってダンスは踊ることができるのです。目をしっかり閉じてダンスを踊る英治と花子。二人はどんな想像の翼をひろげているのでしょうか。