たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

四国旅(1-4) 津田の松原・平賀源内

2019年04月29日 | 

                     (続き)

高松市にお住いのMご夫妻と5年ぶりの再会を果たすべく

R2を通って走っていたところ「津田の松原」という標識が目に入りましたので

立ち寄る事に致しました

 

説明によればこの松原は5万坪有り、その昔は高松藩士・松平の領地で

琴林公園とも呼ばれていたそうです

3千本の松が続く遊歩道に足を踏み入れれば

そこは車の音さえ遮断する、とてつもなく広大な松林でした

ここは日本の渚百選に選ばれたまさに白砂青松の景勝地で

夏には海水浴客で混みあうのだとか

 

 

この写真は一部ですが七福神松と命名された樹齢600年の松をはじめ

貫録の有る老松が其処ここに点在する様に

ただただ目を見張るばかり

最後の松はB、W、H 全くくびれの無いメタボ松

頼りがいはありそうですが、こうなりたくは有りませんわねぇ

 

 

道の駅「さかな亭」の駐車場に戻る途中に石清水神社が有りました

朝鮮半島や大和朝廷と交易の有った津田浦の氏神様として

祀られていると言う事ですから相当、古い神社の様ですね

面白いのはここの狛犬

犬では有りません、狼なのです

ここは旅の計画の一つ、志渡町に在る「平賀源内」の旧宅です

ところがです

着いた時間が4時半、閉館時間直後だったのです

仕方なく旧宅と玄関のお馴染みの絵、銅像を撮影しておりましたところ

「これから所用で出かけますが30分ほどで戻りますので

薬草園でも見ていて下さい」

私達が群馬から来た事を気の毒に思ってくれたのでしょう

薬草園に案内して下さったのです

 

狭い庭に所狭しと植えられた薬草

源内先生は、この庭で日夜 研究に没頭していたのでしょうか

此処は国の登録文化財に指定されております

下の花は館長さんの奥様が趣味で植えられたものなのでしょうか

綺麗な花でしたので一枚パチリ

そこへ館長さんがお帰りになり「どうぞ、お入り下さい」と

恐縮する私達を館内に案内して下さり詳しく説明をして下さいました

平賀源内は1728年生まれ 小さい頃から植物に興味を抱き

師に従って薬草の採取をしている内に、その才能を認められ

やがて19歳の時に藩主が営む薬園の掛かりに抜粋されました

足軽の子供と言う事で上を臨む事が出来ず地道で恵まれない生活に

25歳の時に長崎に留学、二年後 江戸に渡ります

晩年、人を斬って獄中生活を送る中で食を絶ち獄死すると言う

数奇な運命を辿った人物なのであります

入館料をお支払いしようとしましたが時間外ですからと

受け取って貰えませんでしたので「源内健康茶」を購入し

ここを後にMご夫婦のお宅に向かいました

(文字のサイズが投稿しますと小さくなってしまいます

一定の大きさを維持させるにはどうしたら良いのか

ご存知の方、教えて頂けますでしょうか)

 

コメント (11)
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