暮れに陶器をブログアップしてふと思い出したのが備前の焼き物。これは今から31年前、一昔どころか三昔前の岡山の旅の記録です。
品川から高速バスで9時間、翌日7時15分に倉敷に着きました。高速バスには初めて乗車しましたが席はゆったり快適でしたがトイレの狭さに閉口した事を覚えております。これなら大揺れした時に転がり落ちないかもしれませんね。
朝の倉敷美観区はこれから学校へ向かう小学生の姿を見ただけ、ひっそりとしておりました。
大原孫三郎氏が建てた別荘の一つ緑御殿(屋根瓦の色が独特の黄緑色をしている為この名で親しまれている有隣荘)
廊下は一枚板で作られていると近くの喫茶店の店員さんが教えてくれました。
こちらは旧大原邸、大原孫三郎氏は倉敷紡績・倉敷毛織・倉敷絹織・中国合同銀行・中国水力発電の社長を務め大原財閥を築き上げた人物ですね。
阿智神社
歌手の五木ひろしさんのお店の様です。私もけっこう野次馬的要素の有る人間なんだ。この店、今でも繁盛しているのかしら?
大原美術館、バーナード・リーチや濱田庄司氏の陶器を目の前にして足が動きませんでした。
重文の大橋家住宅(入場300円)大橋家は豊臣秀吉に仕える武士でしたが秀吉滅亡後、京都に隠れ住み江戸時代になって倉敷に居を構えると水田、塩田で産をなし大地主となり傍ら金融業も営んでいた様です。
私達は岡山市内を走る路面電車を利用し岡山城へと向かいました
奥に後楽園を望む鶴見橋。岡山に来て印象に残ったのは、どの川もゴミ一つ流れていなかった事です。
ふるいちホワイト通りに在る安い、早い、上手いの名物ぶっかけうどん(天かす・胡麻・うずら卵・生姜・刻みのりが入ったうどんに、つけ麺の甘くて濃い汁がそのまま掛かった物) ぐるぐる混ぜて元気よく食べるのがコツだそうで一人前330円と言う安さ。勿論、いただきましたが写真を撮るのを忘れました。
岡山と言えば竹久夢二 夢二の美術館で大正ロマンを堪能した後、後楽園へ足を向けました。 写真は後楽園、延養邸と瓢箪池。その下の写真は花葉池と栄唱橋 金沢・兼六園に並ぶ日本三名園の一つですね。岡山藩主、池田綱政が作らせた遠州流回遊式庭園ですね。
本来は今の場所より300m先に在った様ですが現在の場所に築いたのは宇喜田尚家の実子、秀家で時の天下人、秀吉の養子となって「秀」の一字を貰った人物です。 この後、私達は旅の目的である備前焼の故郷へと向かいます。写真はアルバム一冊使う程、写しましたが絞りました。(コメント欄はお休みです)
三昔前も前ともなると、さすがにお若いですね。(^。^)
けれども最近アップされた写真と比べても、一目で同じ人物だと
わかるほどですから、たいしたものです。
体型も、さして変わらないよう維持されているようですから素晴らしいですね。
一時、有名人の店を、あちらこちらの観光地で見かけましたが、
今も残っているのでしょうかね。
岡山、倉敷、備前にいらしたのですね。
地元の私も知らないことがいくつかありました😳
明日は備前編でしょうか。
楽しみにしております❤️
当時の大原孫三郎や旭川児童院のことも。
地元の横田賢一さん・山陽新聞社からの著作です。
後楽園は津田永忠ですね。閑谷も、田原遺跡にも貢献されてます。
若い時のたかさん、凄く素敵です。
今も変わらないですね。
備前へは自宅から・・・
初めて拝見するもので・・・。
>大揺れした時に転がり落ちないかもしれませんね。
はっはっは、岩場で落ちない訓練が出来ているでしょう。
倉敷にはよく行きましたが、有隣荘は知りません。
>廊下は一枚板で作られている
それは豪華ですね。
へーっ、中国水力発電まで経営していたとは、これも初耳です!
五木ひろしさんって福井あたりの出身じゃーなかったですかね。
倉敷が好きになったのかな?
>・・・足が動きませんでした。
疲れてですか?
山で鍛えてあるのに、バスのせいかな?
>水田、塩田で産をなし大地主となり傍ら金融業も営んでいた様です。
お恥ずかしい、何も知らない自分がいます。
えっ、瀬戸内海が見渡せる「鷲羽山」には行きませんでしたか?
>・・・どの川もゴミ一つ流れていなかった事です。
こんな光景は気持ちいいですよね。
>(天かす・胡麻・うずら卵・生姜・刻みのりが入ったうどんに、つけ麺の甘くて濃い汁がそのまま掛かった物)
ありゃ、これも知りません。
岡山にもよく行ったのに・・・。
>現在の場所に築いたのは宇喜田尚家の実子
歴史にとても興味がおありにようで・・・、岡山の案内までしていただくとは!
>備前焼の故郷へと向かいます
わ~い、、、、ここまで書いて(コメント欄はお休みです)に気づきました(泣)
返信は要りません。
有難うございました。
若いお二人、格好いい。
倉敷も格好いい。
なんだかドキドキしちゃいました。
余り変わっていないと見えるのは、きっと「思い出に残る山」で昔の私を見ているからだと思います。
3昔も前となると町の様子もかなり変わっているのでしょうが保存されている建物ばかりを写しておりましたので、これでは比べようが有りませんね。後々の為に視点を変えて写すべきでした。今後はそうした事を頭に入れて旅を楽しみたいと思いました。
2年前の旅の時、高速で倉敷の街並みを左に眺めながら通った時に前に来ているからと素通りしてしまいましたが
今、思えば前に来ているからこそ立ち寄るべきでしたよね。惜しい事をしてしまいました。
写真の時の旅は備前焼の里を訪ねるのが一番の目的でしたから徐々に目的地が近づいて来る時の心の高揚は相当なものでしたよ。
いつも、ご丁寧なリアクション頂き感謝します。
「後楽園→津田永忠」 当時、若かったせいかそこまで深く下調べをせず上っ面だけを頭に入れて有名どころを廻っていた様です。
改めて調べてみましたらここに庭園を造ろうと思い立った藩主・池田綱政が永忠に造園奉行を命じ造らせたものだったのですね。 アナザンさんのお陰で一歩踏み込む事が出来ました。
>若い時のたかさん、凄く素敵です(永久保存版に匹敵するお言葉、嬉しいな~) でも種を明かすと離れて写して貰ったので粗が隠れたのです。それが幸いしました。
目的が備前の焼き物でしたので倉敷はそれこそ駆け足観光でしたが今、思えば下調べをシッカリして一日掛けて廻る場所でした。
足が動きませんでした・・・大原美術館の陶器展示室での事、素朴ながら奥深いバーナード・リーチと濱田庄司の力作に目を奪われたのです。
ご当地の名物「ぶっかけウドン」はやはり食べてみるべきでしょう。Kさん、今から如何ですか・行きましょう!
歴史は学んでいる時には年号を覚えるのが嫌で苦手科目でしたが、こうして別の視点から除くと興味が湧いて中々面白いものですよね。