マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

秀吉の終末

2011-04-05 08:30:00 | 旅行。海外旅行。

世界文化遺産・『醍醐寺』の枝垂れ桜

  4月5日 お花見に行ってきました。 『醍醐寺』へ。


「今年は、どこの桜にしましょうか?」四季の京都を10年以上、共に楽しむ、京都旅行相棒・京都博士(←私の命名)からのお誘い。
「大河ドラマ『江』にちなんだ場所!」と私。大河ドラマ大好きの私。新番組の度に・・ご当地訪問で、より楽しみます
「では・・あの秀吉の終末がいかなるものか?を考える『醍醐寺』にしましょう。」と相棒。京都博士?にまかせっきりの私です。


世界遺産・醍醐寺は、桜の花でも有名です。
しだれ、ソメイヨシノ、山桜、八重ザクラ、大山桜、・・・。等等。


醍醐寺の境内にある国宝・『五重塔』にかかる桜 

品よく・・美しい


[1598年3月]
秀吉62歳の・死(9月18日)のちょうど半年前
太閤豊臣は、贅を尽くした、歴史上有名な、『醍醐の花見』、を醍醐寺で行ないます。


『醍醐の花見』のために、秀吉が、贅を尽くした数例

近畿・畿内から、700本の名桜を、醍醐寺に移植します。
秀吉は、自ら設計して、『三宝院庭園』を造ります。

『三宝院庭園』・・どちらを見ても・・美しい

秀吉も・・晩年は・・『美』を極めたのかしら 美しい庭に感動です。

息子・秀頼や正室(ねねさん)、側室の淀(茶々)、三の丸など女房衆1300人余りを参加させ、全員に3着の掛け衣を贈り、花見途中でお色直しをさせたといわれています。

樹齢100年を越える『ソメイヨシノ』

100年を超える年輪・・・精霊の宿りを感じます。 美しい。
私も、こんな風に年を重ねたい。無理? いえ! 希望があってこその成長です。頑張ります
 
 

 相棒と私・・花見をしながら・・『秀吉の終末』について語ります。

「これだけの贅を尽くせば・・その経費は億の経費ではないかしら?」
「どこから、そのお金を出したの? 農民から絞り上げたのかしら?」
「農民からだとすれば・・自分の農民時代の苦労を忘れてしまったってこと?」
「これだけの贅沢・・許される? 何のために実行したのかしら?」
     ????・・疑問が続きます。普通過ぎる疑問です。

 
秀吉の文句?を言いながら・・お花見は、ばっちり楽しみましたよ
”秀吉やねねや茶々も、今日私が歩く道を、413年前に歩いたんでしょうね。”な~んて想像しながら。ね。

『大山桜』  上品な色合いです。

700本もの名桜を集めた秀吉・・その名残の桜・・今、私たちも、醍醐寺で楽しんでいるわけです。


秀吉は「醍醐の花見」のあと、秋の「醍醐のモミジ狩り」を計画します。
計画倒れで・・花見の6ヵ月後・・1598年9月18日・・紅葉狩り直前に・・62歳の生涯を終えます。

秀吉の庭の紅葉・・こんな景色を見るはずだった秀吉   (ネットからの写真拝借)



『醍醐の花見』の目的は・・
実子・秀頼が、秀吉亡き後の後継者である。ことを世に知らしめたかったのかしら?


 

[1595年7月15日]
『醍醐の花見』の、たったの、3年前。

秀吉は・・
晩年の晩年に、予期せぬ、実子の秀頼が生まれたので、秀頼の後継を確実なものとするために・・・。
自分亡き後後継者にと決め可愛がった秀次の子孫を根絶やしにして、秀吉の直系継承を守るために・・・。

7月15日:跡継ぎと決めていた甥の秀次に切腹を命じ・・その首を三条河原へ送る。
8月3日 :秀次の首が据えられた塚の前・三条河原において・・、秀次の遺児(4男1女)及び正室・側室・侍女ら、秀次の家族及び女人ら併せて39名を、約5時間かけて処刑。



相棒と私・・花見をしながら・・『秀吉の終末』について想像が続きます。

「秀吉は、実子が出来て、おかしくなちゃったのかしら?」
「子供への愛って、そんなものなのかしら?」
「最高権力を持つ者が、陥り安い過ちに、陥ったの?」

「「自分の後継者と可愛がった甥とその一族を・・根こそぎ絶やす秀吉の性格は?」
「この悪事をしながら・・後継者に仕立てた実の息子達と一緒に・・贅を尽くす花見は許される?」

「秀吉、信長、家康、の誰が好き?」
「歴史上の誰が一番好き?」・・等等と。




[1611年]
処刑の16年後。『醍醐の花見』の3年後。秀吉没後3年目。
秀吉の怖さから開放されて・・?
誰にも顧みられることなく放置されていた秀次ら一族の埋葬地を、豪商の角倉了以によって再建されます. 『瑞泉寺』

花見の「醍醐寺」を離れ・・秀次一族が眠る「瑞泉寺」に向かいました。 

ひっそりとたたずんでいました。

もの悲しい。 もの寂しい。 秀吉の爪あとを見るような。
 
「瑞泉寺」境内にある秀次一族墓石

名前の悲しい「五色八重散椿」(やえちるつばき)

秀次墓石のそばで美しく咲いていました。


秀次の波乱万丈の一生の『瑞泉寺』の近く・・

・・昨年までの大河ドラマの「お龍さん」の娘時代を過ごした土地の「目印」がありました

京都は歴史の地だと実感します。

どんなに悲惨なことがあっても・・時は流れる。新しい歴史が刻まれて行く。この事実こそが救いです。




花見とおしゃべりを満喫して・・
「お腹すいたね~」 3時になっていました。時間を忘れていました。

「奥丹』で 「ゆどうふ一通り」を注文です

とろろ汁 と 胡麻豆腐(←大好き

木の芽田楽  素朴な豆腐で木の芽の香り豊かに・・美味しい


手造り豆腐 の 「湯どうふ」


御飯、香の物  一人3,150円


素朴さに・・大満足でした
素朴な『湯豆腐」を頂きながら・・「私の終末」をどおしたいか。どおありたいか。友人と盛り上がりました。


友達大好き お花見大好き 
「秀吉の終末」を一杯勉強したので・・秀吉を分析しながら・・『江』がもっと面白くなりそう



不慮の馬鹿な事故を起こして以来2ヶ月ほど。事故以来始めてのお遊び(外出)です。

歩いた歩数は「26755歩」 疲れました。 体力が落ちています。焦ります。焦ります
   ”早く走りたいよ~”



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震災被害者の方々の避難は続きます。
心よりお見舞い申しあげます。

娘夫婦の千葉に住む友人家族。
震災と原発災難の影響を受け、お子さん達の外出も、買い物も、ままなりません。

”お子さん達を、思い切り遊ばせてあげたい。
 家族の皆さんに、思い切り食べさせてあげたい。”

娘夫婦は、金曜日~日曜日までの3日間、千葉の友人家族を迎えることにしました。