
桜道を通り校門を抜けると・・・そこは『神聖なる学び舎』
今日は、大学院新学年初日
のっけから『学び』の始まりです。何の前座もなし。勉強です。
「なぜに人類は、真に人間的な状況に踏み込んでいく代わりに、一種の野蛮状態に落ち込むのか。」
「現代は現代の受難を生きている。しかし人間の受難の歴史は長い。
現代が生きる受難とそれに伴う死の意味と、さらに死自体の可能性を探る。」
「受難と死が秘める可能性が、和解や共生への現代的な可能性と関連するかを問う。」
「その問いを深めつつ、新しい生に関わる思索の道筋をつける。」
課題が提示されて・・・
課題の起源や意味。そして向かうべき方向が示めされて・・・
多方面からの思索の道筋が示され。本性から脱自への道筋。
・・・最後に、自分の答えを出す。
クラスは11人。
博士課程生1名。修士課程生8名。私を含む聴講生2名。先生は旧約聖書学者です。
瞬く間に1時間半。”リ~ン。リ~ン。”


又来週。バイバ~イ。


校庭「シェークスピア・ガーデン」で身動きせず寝転ぶ黒猫

猫に倣って・・『悠然と・・』
************
従来の東電の発電能力・・火力、原子力、水力等を合わせて・・約6266.3万KW
原発事故と地震津波後・・・・火力発電などで・・・・・・・・約4000万KW
63.8%の供給量、となったそうです。
その後・・
東電管内の住民皆が節電に協力し
需要が、供給の75~85%、までに抑えられている。
元々の→63.8%の供給量になり→その75%需要で抑えてる。
ということは・・・
→元々の発電能力の、47.87%の使用量、になったということですよね?
緊急事態の需要の減り様ではありますが・・
人はすごい!!! 必要ならやる底力を持ってる!!! てことですよね。
人はすごい


