マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

何を目指して人生を送るのか?

2014-01-05 21:19:23 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
美しく家の垣根に咲く   『山茶花』

毎年。厳しい寒さが訪れる時期になると咲く。       
              厳しさに耐える花は、美しい。けなげ。

      『今日の御言葉』
『占星術の学者たちは、
東方でその方の星を見て、すべてをおいて神を拝みに来た。』
                          マタイ福音書 2章2節

今日は日曜日。1月5日。日曜礼拝。 ミサ。でした。

司式の神父様の説教。

「当時の占星術の学者は、
さまざま知識を持ち、世の中のことをわきまえていた人たち だったはずです。
そんな人たちが、
東方で、『その方の星』 を知ったので、
自分の勉学も名声も、自分の生活も、いったんおいて、遠い旅に出ました。」

「皆様、ご存知ですか?
東方からの旅は、砂漠の中での旅ですから、左も右も分からなくなる、大平野での旅です。
砂漠の歩みは、
自分の足元を見ていると迷います。その 足跡はジグザグ のものになるのです。
広い砂漠の中で、
正面の星をまっすぐに見て歩むときに、その足跡は真っ直ぐ なものになります。」


 『東方で見た星が先だって進み、
         ついに幼子のいる場所の上に止まった。』 

                                   教会小中学生たちの『2013年聖劇』
『学者たちはその星を見て喜びにあふれた。                
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。
彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。』
                                マタイ福音書 2章9~11節

     大成功! 博士3人は神の御子を発見! 
学者たちは、自分たちの足元ではなく、輝く『』に目先を定めて歩んで、砂漠の中でも迷いませんでした。


「今の時代を生きる私たちは、
どこに向かって、何を目標に歩んでいるのでしょうか?  皆様はどこに向かっていますか?
私達の歩みも、
砂漠の中の歩みと同じです。 真っ直ぐな歩みになるためには、目当てになるものが いります。
人生の旅は、砂漠を歩くと同じで、目指す目標がないと、あっちへこっちへと、ふらふらとなります。」


司祭様は続けました。

「今、ミサに参加している皆様は、
ある意味で、博士のように、すべてをおいて、ここに来ました。
 『一つの星』  を見つけたから、ここに来たのです。」

「学者たちの旅の、『旅の目指す目標』 は何だったのでしょう?
『はるかかなたに輝く星』 でした。 『星』 を求めて、歩き出したのです。
それは、
現代の人が、
自己実現のために人生の旅をすることと同じ、と言えるでしょうか?」

「学者たちは、
とうとう
神の独り子・イエスキリスト・真の神 を見つけて、その御前にひれ伏し・・・
自分が一番大事にしている物を、自分を正しく導く人・イエスキリスト に捧げたのです。」
     

    学者たちの生き方が、『真の喜び』 なのです。
 その生き方は、自分の希望や理想を実現することではなく、
    自分を正しく導く人を見つけその人の前にひれ伏し、その方に従って生きていくことなのです。
 イエス・キリストの、『十字架の道』 なのです。
 そこには、私達がどこかに置き忘れてきた、 『本当の道』 があるのです。」

「皆様!
新年を迎えました!
今年も、『星』を見つめて、本当の道を歩んでまいりましょう!」

以上。
今日のミサの司式司祭様の説教でした。 『一年の計』 をたてるに役立ちますよね!


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。 私の友人は今日から仕事です。 
   一年間、心に『真の喜び』を保ちながら、自分の仕事を忠実をこなしてまいりましょう!


*****************
記録 
1月4日のラン距離:10km

夕方のラン。 私にはやはり夕方は向いていませんでした! 

     1月走行距離合計:15km