マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

王・ダビデの王子・ソロモンへの遺言・・・『わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている。』

2016-02-04 22:35:38 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

  『死期が近づいたとき、
          ダビデは         こう言って     王子ソロモンを戒めた。
  


『わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている。 あなたは勇ましく雄々しくあれ。』

また主は、わたしについて告げてくださったこと、
   『あなたの子孫が自分の歩む道に留意し、
まことをもって、心を尽くし、魂を尽くしてわたしの道を歩むなら、イスラエルの王座につく者が絶たれることはない』
という約束を守ってくださるであろう。』

ダビデは先祖と共に眠りにつき、ダビデの町に葬られた。
ソロモンは父ダビデの王座につき、その支配は確立した。』 列王記 2章1~12節 

                     以上。今日は2月4日。年間第四木曜日。
                   
 『今日の第一朗読 ダビデ王の息子・ソロモンへの遺言 でした。

   
           皆さんは、『遺言』をお考えですか?
  『遺言』とは、ダビデの例を見れば、『遺された家族に自分が伝えたいこと』ということのようです。

  イスラエル国の二代目王として、40年間イスラエル国を統治してきたダビデ王は、
      
死期が近づいたときに、息子に述べる『遺言』の冒頭に
  『わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしているだけのことである。 
 息子よ! あなたは、父を失ったからといってクヨクヨすることなく、勇ましく雄々しくあれ。』
                                                
と述べました。

         ダビデ王ってどんな人??

     ダビデ王は、『主なる神への絶対なる信仰』 を持っていました。
               ダビデの信仰の証を致しましょう! 長くなりますが面白いですのでお読み下さい

     ダビデの信仰。そのⅠ。
     
 『わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこへ帰ろう。主は与え、主は奪う。』 
ヨブ記 1章21節
                      
私が命を与えられたのは、主の計らい。 そして 私の命の終える時を決めるのも、主の計らいである。と。

           ダビデは、子を亡くすつらい経験をしました。その時に悟ったのです。

      『その子は弱っていった。 ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。
       彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。
       王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、
       ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。

       七日目にその子が死んだ。
       ダビデは地面から起き上がり、身を洗って香油を塗り、衣を替え、主の家に行って礼拝した。
       王宮に戻ると、命じて食べ物を用意させ、食事をした。

       尋ねる家臣に、王は言った。
       「子がまだ生きている間は、主がわたしを憐れみ、子を生かして下さるかもしれないと思ったからこそ、
        断食したのだ。 だが死んでしまった。
        断食したところで何になろう。あの子を呼び戻せようか。
        わたしはいずれあの子のところへ行く。
        しかし、あの子がわたしのもとに帰ってくることはない。」』  サムエル記下 12章15~23節

     『主は与え、主は奪う。』 『時』を決めるのは主である。』 『死はこの世のすべての者がたどる道である。』
     『わたしはいずれあの子のところへ行く。』 『死んだ子のためにも、泣くのはやめて、勇ましく雄々しくあろう!』 
                      
・・・・・と。愛する我が子を亡くしたダビデは、神の愛や人生の意味を、悟ったのです。

          『何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

         生まれる時、死ぬ時  泣く時、笑う時 求める時、失う時 黙する時、語る時

         わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
        神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。
        それでもなお、
        神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。』  
                                               
コヘレトの言葉 3章1-17節

    もう一つ。ダビデの信仰宣言。

 ーセは言った)聞け、イスラエルよ。
   我らの神、主は唯一の神である。
   あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

   
自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、
   あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。』 申命記 6章4-12節
                                               
            『モーセの遺言』を、常に心に刻み、自らの『遺言』言葉としたダビデです。
         

     皆様!
     改めて、お尋ねします。
     皆さんは、どんな『遺言』を、家族に遺したいですか?
                  いやいや!遺言どころか、まだまだ青春真っ最中?! 失礼申し上げました!

         思い出しました。
     私の父が、死期が近くなった時・・・
     私達子供4人を、『言いたいことがある』と、呼び寄せました。 
     神戸、名古屋、他から、”何事か?” ”最期?”と、父の住む東京へ駆けつけました
     父は、4人に、おもむろに言いました。『兄弟仲良くするように。 よろしくお願いします。』と。それだけ。
     その時は・・・4人で、『騒がせるね!』な~んて、笑って終わりました。 
     でも・・・いつまでも決して忘れることのない、私の父の『遺言』です。
     その時・・・母は大御馳走をして待っていました。 
         父は仕立券付ワイシャツ券を息子達に、そして仕立て券とブラウス券を娘の私に用意してありました。
                    忘れることのできない、私の父母の『遺言』です。

     以上。
     今日は木曜日。早朝から(走るのも休んで)今まで・・・明日の聖書通読会の予習で、机に向かっています。
     頭の中は…明日の通読範囲の『ダビデの一生』、ではち切れそうです! 
                         
 『ダビデの一生』で、私の考えたことの一部でした。 お粗末様でございました

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
私の頭の許容範囲はまだまだ大丈夫のようです。 推理小説で一杯の次は聖書で一杯。 明日は何で頭が一杯になるのかな?