『イエスは弟子たちに言われた。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」』 『今日・2月18日の福音 イエスの言葉』 マタイ福音書 7章7節
そんなダラムの中心。 『ダラム大聖堂』
そして。
大聖堂入り口・主玄関・北の門に、張り付いているのは・・・
『サンクチュアリー・ノッカー』
私は、突然に、『サンクチュアリー・ノッカー』を思い出したのです。
『ノック!ノック!』 『門を開けてくださ~い!』
『門をたたきなさい。』
中世には、人々が、『サンクチュアリー・ノッカー』をたたき、サンクチュアリー(保護)を求めました。
『そうすれば、開かれる。』
聖堂の門はすぐに開かれ、人々は誰でも中に招き入れられ、保護されました。
現在も、『サンクチュアリー・ノッカー』をたたけば、門を開けてくださるのです
でも、見学時間は、いつも開いています。
そして。
今も昔のように、ノッカーの付いた主玄関・北の門を開けて頂き、中に入ると・・・
すぐに。目につきます。 『大きなパネル』
『MAGMA CARTA AND THE BIBLE』
書かれているのは『聖書の御言葉』
『イエスは言われた。 主の霊がわたしの上におられる。
なぜなら、主がわたしに油を注がれたのは、貧しい人に福音を告げ知らせるためである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、目の見えない人には視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。』
ルカ福音書 4章18-19節
皆様!
『今日・2月18日の福音 イエスの言葉』 の、
『門をたたく人』は、どなたでしょう? 『門を開く人』は、どなたでしょう? いかがお考えですか?
私の場合は、
『門をたたく人』は私。 『門を開けてくれる人』は、私の要求に答えて、ドアを開けてくれる他人様です。
『御言葉』は、私に語られている『言葉』といて『考えがちの私です!
ところが・・・・
『ダラム大聖堂の門をたたく人』は、保護を求める人たちです。
捕らわれている人。目の見えない人。圧迫されている人たち。です。
『門を開ける人』は、ダラム聖堂の神父様たちやシスターたちやお手伝いさん、たちです。
私も、考え方を変えて・・・
『今日の福音 イエスの言葉』 続きを読みました。
『あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
まして、
あなた方の天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
だから、
人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい。」』 マタイ福音書 7章7-12節
天の御父・神は・・・
私達が門をノックすると、すぐに開けてくれるのです。 私達の必要を補って下さり、愛して下さるのです。
だから、
私達も・・・
お人が、私達の心の門をノックするのに気付いた時には、必ず、すぐに、心の門を開けなくてはなりません。
保護して差し上げなくてはなりません。
『お人にしてもらいたいと思うことは何でも、私達もお人にしなければなりません!』
私達が、『お人のために門を開けなさい。』と、イエスは要求なさるのです。
『幸せの4か条』 をお聞きになったことがありますか?
①愛されること ②ほめられること ③人の役に立つこと ④人に必要とされること
私達の心の門を、どなたかが、ノックするのに気づいたら・・・
門を大きく開けて
、中に招き入れ、愛して、ほめて、
客人が必要とすることを満たして差し上げましょう!
以上。なかなか難しい。でもこんな風にも考えたのでした。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様は、何をお求めですか? 何をお探しですか? どなたの門をたたきますか?
この三つの答が、『人生の3か条』かもしれませんね。