『モーセは神に尋ねた。』
『モーセの像』 ミケランジェロ作
「イスラエルの人々は、
『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」
神はモーセに、
「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われた。』 出エジプト記 3章13-14節
そして。
今日は4月4日。四旬節第五火曜日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスはファリサイ派の人々に言われた。』
「あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。
『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
ファリサイ派の人々が、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、
イエスは言われた。
「あなたは人の子(イエス)を(十字架上に)上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、
また、
わたしが、自分勝手にはないもせず、ただ、父(神)に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。
わたしをお遣わしになった方(神)は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにはしておかない。」』
ヨハネ福音書 8章21-31節
神は、御自分を、『わたしはある。わたしはあるという者だ』と言われました。
同様に。
イエスも、御自分を、『わたしはある』と称しました。
神は、『人類の罪を救うため』に、独り子・イエスをこの世に派遣しました。
そして。
イエスは、御父と同様に神でありながら・・・『御父の教えるとおり』に、この世で行動をしました。
ファリサイ派の人々は、高度な知識が邪魔をして、
イエスを『わたしはある』:神であるとは認めにくかったのです。
ということは・・・
『わたしはある。わたしはあるという者』
神は、御父・神も御子・イエスも、
『存在』であり『働き・行動』であるということでしょうか?
『存在』:
イエスが、『わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにはしておかない。』
と言われるように。
私たちと、『いつも共にいて下さる方』であり『一人にはしておかない方』なのです。
『働き』:
イエスは、御父と同様に神であるゆえに・・・『神の御旨』のままに『十字架に上げられる』のです。
私たちは、『イエスの働き』によって、イエスを『わたしはある』と信じて、罪から救われるのです。
イエスの働き=贖罪が成された時に・・・
人々は、イエスは『わたしはある』であったと分かる、とイエスは言われるのです。
人は、どこでも、いつまでも、共にいて下さる方がいると、どんなに幸せなことでしょう!
神様は、『わたしはある方』で、どこでも、いつまでも、共にいて下さる方です!
目に見えなくとも、心で存在を感じながら、神と私たちは二人三脚です!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
すべてが新しい始まりを迎える、桜の季節の日本の4月です。揺るぎない『幸福』を見つけましょう!
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今日4日のラン距離12Km。 4月のラン距離合計:12㎞
6時半。7度。 紫外線が強くなって要注意です!と天気予報士・・・今朝から日焼け止め装着です!