今が『我が時』と・・・
我が庭に美しく咲く 『サツキ』
我が庭を眺めながら・・・
今日の午後の夫婦の会話。
妻:「つつじが終わって・・・サツキが美しい時期になりましたね。
サツキの後はアジサイの番ですね。 つぼみがいっぱいついてきましたよ。」
夫:「花は何を考えているのだろうね?」
妻:「何も考えていないんじゃないですか。 神のなされるままに、咲いているだけではないですか。
ただ、
その美しさで、神の業の偉大さを語り・・・
そのはかなさで、命あるものは必ず終わりが来ると、教えていますよね。」
夫:「・・・・」 無言。
穏やかな午後。夫婦の会話でした。
そして。
今日は6月1日。復活節第七木曜日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスは天を仰いで言われた。
「父よ、時が来ました。
あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、
子にあなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。
私たちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
こうして、
あなたがわたしを愛しておられたように、かれらをも愛しておられたことを、世が知るようになります。」』
ヨハネ福音書 17章20-26節
まずは。
最初の疑問です。 『栄光』とは何?
『栄光』とは、
①輝かしい誉れ。光栄。名誉。②幸いを約束する光。 広辞苑より。
①事物や人間の輝かしさ。②主として、神の顕現と、それに対する神への賛美に関係している。聖書辞典より。
『栄光』 とは、 『神の顕現』 そして 『神の恵み・憐れみ』 です。
旧約では。
神の顕現・・・ 『シナイ山を覆う雲』
『民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響き、山が煙に包まれる有様を見た。』
出エジプト記 20-18
神は、『十戒』の言葉を民に告げる時に、雲の中に、『栄光』の姿を現されました。
その後も。
神の顕現・・・ 『雲の柱』
イスラエル人がエジプトを出た時・・・
神の顕現・・・ 『火の柱』
『昼は雲の柱が、夜は火の柱が、彼らの先頭を離れることはなかった。』
出エジプト記 13章20-22節
『栄光』を仰ぐとき・・・
人は、その輝きと憐れみに感嘆し、自らの小ささを思い、神をひたすら賛美しますよね。
新約では。
神の顕現・・・ 『イエス・キリスト』
『御子は神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れである。』
ヘブライ人への手紙 1-3
イエス・キリストは、父のひとり子としての『栄光』を表す方。神の栄光の輝き。なのです。
神の顕現・・・ 『イエスの十字架』 『イエスの昇天』
そして 『イエスの復活』
イエス・キリストは、罪に対する勝利として、『神の栄光』を表しました。
現代では。
神の顕現・・・ 『聖ユスチノ殉教者』
今日・6月1日は、『聖ユスチノ殉教者』記念日です。
2世紀初めにサマリアで異邦人の家庭に生まれ、後にキリスト教に改宗。
キリスト教を擁護する多くの書物を著し、ローマでキリスト教的哲学塾を開く。
165年。マルクス・アウレリウス帝の治政下に、数人の弟子と共に殉教。
『あなたがたは、自分の体で『神の栄光』を現しなさい。
何をするにしても、すべて『神の栄光』を現すためにしなさい。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 6-20&10-31
咲き誇る美しい花々も、穏やかな夫婦の会話も、『神の栄光』の顕現なのですね
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
花々は、ツツジ→サツキ→アジサイ→アサガオ→ヒマワリ→等等、 輝き続けます。
私達も、それぞれの年代で、輝き続けましょう!