私の教会の仲間。
復活されたキリストのしるしである教会。 淀川ハーフマラソン。
教会は、体は一つでも、多くの部分から成ります。
一人の一人の賜物も、務めもいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ『霊』です。
つまり、
司祭であっても信徒であっても、同じ『走る賜物』を頂いているのは、全体の益となるためです。
今日は6月4日。
『聖霊降臨の主日』 祭日。
『聖霊降臨』
わたしたちと同じ人間になられたイエスは、十字架につけられ殺されてしまいました。
そのイエスを神は復活させます。
復活されたキリストは天に上げられ、父とともに地上の弟子たちに聖霊を注がれます。
これが『聖霊降臨』で、
このときから教会は活動を開始します。
こうして、
この地上でイエスが行われた『救いのわざ』は、
聖霊に導かれる教会を通して継続されていくことになります。
『今日の第一朗読 聖霊降臨』
『五旬祭(刈り入れの祭)の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
突然、激しい風が吹いてくるいうな音が天から聞こえ、彼らが集まっている家中に響いた。
そして、
炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人のの上にとどまった。
すると、
一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。』
イエスは、聖母・マリアを『教会の母』として与えました。
聖霊降臨においては、聖霊を受ける中心に、聖母・マリアがいます。
そこですでに、『教会のかたどり』を見、
マリアが神の子を生みその膝の上ではぐくんだように、教会も神の子を生み養い続けるのです。
マリアを『教会の象形』と呼んでいます。
『教会憲章』53,63より。
『第一朗読』が続きます。
『さて、
エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、
この物音に大勢の人が集まって来た。
そして、
だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。』
使徒言行録 2章1-11節
『聖霊降臨』の出来事を通して、
使徒たちを土台とするキリストの教会が生まれました。
つまり、福音とキリストへの信仰を可能にしたのは、聖霊の注ぎによるとされているのです。
聖霊が与えられることを通して、使徒たちは確信をもってイエス・キリストをのべ伝え始めます。
『カトリック教会の教え』より。
次に。
『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』
『霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。
務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。
働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。
一人一人に”霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章3-13節
キリストの復活そして聖霊降臨は、すでに行われた一度限りの決定的な救いの出来事です。
教会は、聖霊の働きによって、これらの神秘をあらゆる人々にのべ伝えるのです。
そのために
すべての信者がそれぞれ使徒になるよう召されています。
実際に、使徒としての働きの実りはさまざまですが、
神はいつまでも使徒としての働きを期待してやまないのです。
『カトリック教会の教え』より。
さてさて。
私は『走る賜物』を頂いて…信徒の私の走る姿で、教会の元気を引き出しましょう!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様はどんな集団に所属ですか? それぞれの集団の中で、『賜物』を使って、輝きましょう!