6月29日。朝8時半。 高速道路を下りて・・・東京着。 旅の始まりです
そして。
13時間後。
6月29日。夜9時半。 高速道路に乗って・・・ 東京を離れる。
旅の終わり。
物事には、始まりがあり終わりがある。
故郷・東京の一日旅にも、終わりが来た。
終わりは、どんな時にも、さみしいが伴うが・・・
終わりがあるから、始まりがある。新しい出発がある。
今日も、
一日の始まりがあり・・・多くの人達とのすばらしい出会いがあった。発見があった。・・・そして一日の終わりが来た。
出会った人々に感謝! 神に感謝!
明日の新しい一日には、どんな出会いがるのだろうか? どんな発見があるのだろうか?
そして。
今日は6月30日。年間第十二金曜日。
『今日の第一朗読 一神教の始まり』
『アブラハムが九十九歳になったとき、主はアブラハムに現れて言った。
「私は全能の神である。
わたしは、あなたの妻サラを祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。
「わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。
その子をイサクと名付けなさい。
わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。」
神はこう語り終えると、アブラハムを離れて昇って行かれた。』
創世記 17章1-22節
ユダヤ人・『選民』の始まりです。 『一神教』の始まりです。
サラは、夫・アブラハムがサラを「私の妹です。」と偽って、王達の求愛を避け、夫婦の身を守る程に、美しい女性でした。
同時に不妊に身である90歳の我が身に神の力が働いて懐妊することを信じる程に、信仰深い女性でした。
妻・サラの信仰的従順が、夫・アブラハムの信仰的従順を、更に深めていったのです。
憐み深い神は、
妻・サラに、90歳という高齢で、約束通りに、イサクを産むことを可能にしました。
『約束』を確証するように、『約束』のしるしとして、懐妊を知らせる時に、サラに『改名』するようにと言われたのです。
結婚時の名前・『サライ』から、イサクの母となり、ヘブル語で『王妃、国々の民の母』を意味する『サラ』に改名したのです。
妻・サラへの神様の大きな恵みが、『一神教・ユダヤ教』の始まりとなったのです。
物事には、必ず、始まりがあり終わりがあるのです。
そして。
物事の始まりは、「これって何を意味するの?」というように、はっきりしたものではありません。
しかし。
『神の始まり』を信じることにより、『神の御旨の成就・完成』・終わりの時が来ることを信じて・・・
今日も、小さな 信仰の一歩を進めるのです。
信仰にも、始まりがあり終わり・完成があるのです。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
日常の中に、一瞬の輝きを見せる『非日常』
て素敵ですよね。 大切にしたいものですね。
明日の週末も素敵に大切にお過ごしください。