マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

小さな幸せ。 そして 『あなたの憐れみはどこへ行ったのですか。』

2017-06-06 23:40:14 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 小さな幸せ。

             『5月に飲んだ お家ワイン』


フランス人の来宅。 婿殿からのプレゼント。 息子のトライアスロンの活躍の喜び。
                                   そして 日々のハウスワイン。

 淡々とした日常こそ、美しい。 日常の継続こそが幸せである、と確認し感謝する。


そして。

今日は6月6日。年間第九火曜日。

     『今日の第一朗読  日常の幸せの亀裂』

 『トビトは、目はその白い膜のために見えなくなり、ついに失明してしまった。
       四年間失明の状態が続いた。

     そのころ、
     トビトの妻ハンナは機織りの仕事をしていた。
     出来上がったものを雇い主のところに届けて、賃金をもらっていた。

    妻が仕事を終え、織物を雇い主に届けたところ、
   その人々は賃金を全額払ってくれたうえに、山羊の群れの中から子山羊一匹を、
    家に持って帰るようにとくれたのである。

    妻は、「賃金とは別に、贈り物として子山羊をいただいたのです」と話した。
    しかし、
トビトは、妻を信じようとせず、盗んだと思い込んで、子山羊を持ち主に返すように言い張り、
        顔を真っ赤にして怒った。
   
             『トビトと妻ハンナ』    レンブラント作品。1626年。

       『すると妻は答えて言った。
「あなたの憐れみはどこへ行ったのですか。どこにあなたの正義があるのですか。
     あなたはそういう人なのです。」』
                             トビト記 2章9-14節


       仲の良い夫婦に亀裂が生じてしまう瞬間
           
『当たり前の日常の連続=幸せ』 が 『疑いと怒号=日常の亀裂』 に変わる。悲しい瞬間です

                  トビト夫婦の修羅場です

  トビトは、
妻の、食事の世話や介護、今では夫に代わって家計を支える機織りの仕事、努力を思い出すこともなく、
  妻への『感謝の言葉』も『憐れみの心』も忘れて、妻への疑いの心と怒号に、さいなまれます。

  妻・サラは、

夫からの取り返しのつかない屈辱=疑いの言葉と怒号=を受け、夫への憐れみの心を忘れて、
       言ってはならない『言葉』を発します。
 「あなたの憐れみはどこへ行ったのですか。どこにあなたの正義があるのですか。』 

     

     あまりにも悲しく、どの夫婦にもその可能性がひそむ、寂しい話です。

      何が原因なのか? 

      信仰深く、憐れみ深かいトビトに、突然に訪れた失明の不幸は、
     トビトを絶望に落とし、 更には 一時であろうとも、 神をも見失い、
          トビトの人格をも変えてしまうということでしょうか?

       どこに、トビト夫婦の誤解の解決の方法が見つかるのでしょうか?
  一時も早く、解決法が見つかってほしいと、祈る思いで読み進める『今日の典礼』です。

     人は、
         『日常の小さな幸せ』を味わう時にこそ、
         その『幸せ』のはかないことを忘れず、
 謙遜に『心の準備』をしておかなければならないということなのでしょう。

        『心の準備』とは何なのか?

 不幸に遭遇すると、自分にしか目がいかなくなりがちで、見失いがちな神やイエスからの『学び』です。

      『イエスは弟子たちに話しました。

  「あなた方は敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
       そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。

  あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」』
                                        ルカ福音書 6章35&36節

           わたしたちも、
        ほかの人々との関係において、
  絶望の時にも・・・天の御父の示された憐れみの模範に従うことができるのです。


         日常の幸せの日々の時から、
  自分の生活からおごりや高慢,うぬぼれを取り除くように努め、
  天の御父の憐れみに倣った生活の報いとして、『いと高き方の子』の喜びを確認し、

  ほかの人々の欠点に気づいても,御父に倣って、憐れみの心を示し,敬意を表し,赦し,優しくし、
    
 『心の準備』を、根気強く憐れみの心が『慣れ性』になるまで、訓練しておくことが必要なのですね。

                   以上。自戒を込めて、『心の準備』を考えさせられました。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人間同志の不幸は、不信と疑惑から始まるのでしょうか? 互いに誠実で、幸せになりましょう!