6月20日。水曜日。一日雨模様。ゆっくりの一日。
淡路島大玉葱・・・ 『1個30円也』
こちらは『友人の手作り玉ねぎ 新聞紙に包んでおすそ分け』 2年前に描いた。
今日は特売日。
近所のスーパーで、玉葱を、1個30円也、3個買った。 みじん切りにして『ハンバーグ』にした。
おいしいハンバーグを食べながら・・・
突然にいろいろの思いが浮かんできた。
一個の玉葱を作るために=種蒔き・畑作り・定植・管理・収獲・保存=どれだけの努力を要したことだろう?
気の遠くなるような、雨にも台風にも負けず、果てしない作業の後の実りの玉葱ですよね。
一日一個の玉葱で、健康が保たれるそうです。
『30円』の『低価格』で、刻みながら嬉しさに涙が出る、私の健康が保たれる玉葱です。
玉葱農業では、どの分野でもいえるように、次への世代につながっていく『後継者』の育成が一番大変な仕事でしょう。
たったの30円でいいの!?
玉葱に限らず、私の健康を保ってくれる、農産物の数々。
決して、生産者の皆様の御苦労を忘れることなく・・・ 生産者の皆様に感謝を忘れることなく・・・
”有難く食させて頂こう!” と思った今日の私でした。 感謝!感謝!
そして。
今日は6月20日。年間第十一水曜日。
『今日の第一朗読 エリヤの後継者・預言者エリシャの着任式』
『エリヤはエリシャを連れてギルガルを出た。
二人がエリコに来たとき、
『現代のエリコ』
エリヤはエリシャに、
『エリア』 フレスコ画。ロシア。
「主はわたしをヨルダンへお遣わしになるが、あなたはここにとどまっていなさい」 と言った。
しかしエリシャは、
『エリシャ』
「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしはあなたを離れません。」 と答えたので、
彼らは二人で出かけて行った。
預言者の仲間五十人もついて行った。
彼らは、ヨルダンのほとりに立ち止まったエリヤとエリシャを前にして、遠く離れて立ち止まった。
エリヤが外套を脱いで丸め、それで水を打つと、水が左右に分かれたので、
彼ら二人は乾いた土の上を渡って行った。
渡り終わると、
エリヤはエリシャに言った。
「わたしがあなたのもとから取り去られる前に、あなたのために何をしようか。何なりと願いなさい。」
エリシャは、「あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください」 と言った。
エリヤは言った。
「あなたはむずかしい願いをする。わたしがあなたのもとから取り去られるのをあなたが見れば、願いはかなえられる。もし見なければ、願いはかなえられない。」
彼らが話しながら歩き続けていると、
見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。
エリヤは嵐の中を天に上って行った。
エリシャはこれを見て、
「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」 と叫んだが、もうエリヤは見えなかった。
エリシャは自分の衣をつかんで二つに引き裂いた。
エリヤの着ていた外套が落ちて来たので、』
・・・・・・
『話』が長いので・・・ちょいと横にそれまして・・・頭の休憩です。
『大関と幕下』 お相撲さんの服装は番付により少しずつ変化があります。
大関は、『外套』を着ることが許されます。
三段目にあがれば『雪駄』が履けて、幕下にあがれば『博多帯に外套』。十両にあがれば『紋付羽織袴』です。
相撲界は、スポーツ界全般がそうであるように、上下関係・師弟関係が、とてもしっかりしています。とても厳しいです。
聖書に戻りまして・・・
『エリシャはそれを拾い、ヨルダンの岸辺に引き返して立ち、
落ちて来たエリヤの外套を取って、それで水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられますか」 と言った。
エリシャが水を打つと、水は左右に分かれ、
彼は渡ることができた。』
以上。 列王記下 2章1-14節
今日は、偉大な預言者・エリアとその後継者・エリシャの話しの分かち合いです。
面白いです。考えさせられます。
その以前。
エリヤは、ダマスコへと向かう道すがら、畑を耕している若者エリシャを見出したのでした。
そして、
自らの『預言者の象徴』として周知されていた『毛皮の衣・外套』をエリシャに投げかけたところ、エリシャはすぐさま弟子として従った。
それからおよそ八年間、
エリシャは、忠実な僕として、師・エリヤに仕えていました。
地中海に面する『カルメル山』。
カルメルには『主の祭壇』がありましたが…いつのまにか壊され、すでに荒廃していました。
カルメル山は、良きにつけ悪しきにつけ、『神の民の現実・信仰の象徴』でした。
エリヤは、世の信仰の荒廃を嘆き・・・立ち上がってカルメル山まで行き、そこで祈りました。
エリヤは、このような時代に、イスラエルに『正義と信仰』を回復しようとして、孤立無援の戦いをしてきたのです。
エリヤは、カルメル山で、王と民の前でただ一人、バアルの数百人の預言者と対決しました。(列王記上18章)
エリアは、『静かにささやく神の声』(列王記上19:12)を聞き、再び『使命』を受けて、山を下り、イスラエルに戻って行きました。
エリヤにとって、協力者、『後継者』を得ることが、緊急の『使命』でした。
そして。
エリアは、畑を牛によって耕していた『エリシャ』に、八年間の共同生活後に、『後継者』を確信したのです。
八年間の年を経て・・・
弟子のエリシャは、次第に成長してきました。
一方。
エリヤは、もう自分には時が残されていない、のを感じていました。
エリシャは、師・エリアの最期の近いであろうことを知って・・・”自分には充分な力がない!” と恐れていました。
そんな時・・・
二人は、『最後の旅』に出たのです。
旅の始まりは・・・
エリヤは、『主は私をヨルダンへお遣わしになるが、あなたはここにとどまっていなさい』 とエリシャに語ります。
・・・エリアは、自分が世を去る時が来たこと、主がヨルダン川にお呼びなのを、悟ったのです。
エリシャは、『主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしはあなたを離れません。』 と、
・・・エリシャは、どこまでもエリヤについて行こうとしました。
エリシャは、エリヤから絶対に離れたくなかった。
エリヤを一人で逝かせまいとして、どこまでも一緒に行きたかったのです。
ではと。
二人で、預言者の集団もついてきて、旅に出ます。
二人だけで、
預言者の仲間たちと離れて、、『エリアの奇跡』のお蔭で、ヨルダン川を渡った所で・・・
エリヤは、永遠の別れにあたり、『自分に与えられている神の力』 をエリシャに与えたいと切に願いました。
『わたしがあなたのもとから取り去られる前に、あなたのために何をしようか。何なりと願いなさい。』 と。
エリシャは、『あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください。』 と答えました。
『神の業』を成すためには、ただ知識と技術と経験では足りない、『神の霊』が必要なのです。
エリヤは言いました。
『あなたはむずかしい願いをする。
わたしがあなたのもとから取り去られるのをあなたが見れば、願いはかなえられる。もし見なければ、願いはかなえられない。』
続けて・・・
二人が、話しながら、歩き続けていると・・・
見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けたのです。
『エリアの昇天』
エリヤは嵐の中を天に上って行きました。
エリシャは、エリアが自分の前で取り去られるのを見て、
『わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ』 と叫んだ。
次に、
エリシャは、自分の衣を引き裂いたのです。
それは、エリヤを失い、”自分は無力なまま取り残された!” ”もう自分は何をすることもできない!”と悲嘆と絶望からです。
しかし。
エリヤの昇天の直後・・・
天から、『師の象徴』である『外套』 が落ちてきたのです。
エリシャは、その時、エリヤや神の励ましを確信し・・・『外套』を拾い上げたのです。
そして。
エリシャは、師・エリアが行なった通りに、『外套』で水を打って・・・再び、ヨルダン川を二つに分けました。
これが、エリシャの『最初の奇跡』 となりました。
エリコに集まっていた預言者の仲間たちは・・・
目の前で『エリシャの奇跡』を見て、『エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている』 と言い、
エリシャをヨルダン川ほとりに迎えに行って、その前で地にひれ伏した。』(2:13‐15) のです。
エリシャは・・・
『最初の秘跡』によって、他の預言者の仲間から、エリヤの正統な『後継者』として認められたのです。
その後・・・自らが死ぬまで、約六十年の間、『預言活動』と『奇跡の業』を続け…
『預言者』として、堅固たる『使命』を果たしたのです。
同様に。
新約時代。
イエス様も、この世界に『神の国』を実現するために、『協力者・後継者』 を求められました。
イエスの弟子・使徒たちは・・・
エリシャがエリヤが天に昇っていくのを見たように、イエスが天に昇られるのを見ました。
それぞれの『二つの御昇天』の後・・・
エリシャには、エリシャが望んだとおりに、『神の霊の力』 が与えられました。
エリシャは、エリヤの『外套』を受けることによって、『エリヤの霊』 を継承しました。
エリシャは、エリヤに働いていた『神の霊』 を、受け継いだのです。
弟子たちにも、エリシャ同様に、師・イエスから、『聖霊・神の霊・神の愛の力』 を与えられたのです。
弟子たちは、霊に満たされ・・・『宣教者』として、堅固たる『使命』を果たしたのです。
そして。
現代。
私たち・キリスト者は・・・
『あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。』(ガラテヤ3:26)
キリスト者は、エリヤの『外套』以上のもの、『キリスト』そのものを、着せていただいたのです。
『キリスト』御自身が、私たちを包み、キリストが私たちの中で私たちをとおして生きてくださる、『外套』なのです。
キリスト者は、『キリスト』という『外套』によって、いかなる場合にも、堅固たる『信仰』を貫くのです。
何事を成すにも、”自信がない!” と嘆くことはないのです。
『信仰があなたを救った』とイエスが言われるとおりに、『神の力』に頼ればいいのです!
私も・・・続く世代に、目に見えるものは何も遺せないけど、『信仰』を受け継いでくれるといいな!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
農家の仕事はとても大変なことでしょう。正当な『後継者』が続きますように! お元気で!