『CONTAINING THE OLD AND NEW TESTAMENTS 旧&新訳聖書』 参考のため…今は私が使う。
今日の通読範囲は、『ペテロの手紙Ⅱ & ユダの手紙』
我が寝室にかかる・・・ 『冬、凍えたキュービッド』
朝、目を覚ますと目に入る。 ジャン・フランソワ・ミレー作品
雪の中凍えるキューピットを、若い娘とその父親がまるで我が子をを抱き寄せるかのように、家の中に導いています。
『雪の中、凍えるほどの寒さ』 と 『暖かな心』 の対極が画面を支配しています。
『今日の聖書通読会の分かち合い』
ユダの手紙 20節
『最も聖なる信仰』 とは何か?
『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することである。』
ヘブライ人への手紙 11-1
なるほど!ガッテン!
使徒ユダは、「『見えない事実を確認しながら深めた信仰』をよりどころとして生活しなさい!」 といっているのですね。
『雪の中凍えるキューピットを、我が子をを抱き寄せるかのように家の中に導き入れる若い娘とその父親』 の『生き方』です。
・・・父と娘はその生活で、『見えない神の愛』を確認しながら・・・『神の愛』を目に見える『自分たちの愛』で示すのです。
「あなたがたは地上に富を積んではならない。
そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
富は、天に積みなさい。
そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
マタイ福音書 6章19-23節
船にたくさんの宝を積んで、まさしく宝船で、天という向こう岸に達しようとした『金持ち』がいました。
その人は一つも漏らさず宝を船に積み込み、その船は宝の重さで途中、沈没してしまいました。
現代は、『物質主義』が、人間の価値観を支配しているのかもしれません。
物質に心奪われ、夢中になっている。
私たちの心はいつも、どこを向いているのか? 『金』か?『神』か?
自分の心を見張っていましょう!
『富を得ようとして労するな。目をそらすや否や、富は、鷲のように翼を生やして、天に飛び去る。』 (箴言23・4ー5)
『アブラハム』は、神を第一とした結果、『その信仰ゆえに義と認められ』(創世記15-6)、経済生活が祝福されました。
・・・・富を第一に求めたのではありません。
収入のすべては神から管理をまかせられている預かりものとして、神の栄光のために用いていくのです。
労働の対価として与えられたものを、どう用いていくのか? 『生活の品位』 が問われるです。
『あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。』
(コリントの信徒への手紙Ⅰ 10章31節)
『金持ちの青年』は、イエスに尋ねました。
「『永遠の命』を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
イエスは言われた。
「帰って、持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれは、天に宝を積むことになる。」
青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産をもっていたからである。』
マタイ福音書 19章16-22節
『金持ちの青年』は、「『永遠の命』を得るために、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」 と尋ねました。
・・・青年は、『永遠の命』こそ『永遠に価値ある宝』であると知っていたのです。
それでも・・・沢山の財産を貧しい人々に施すほどの『愛』の『知識』、はなかったのでしょうか?
『自分の宝を天に積む』
というのは・・・
自分の所有物を、賢く、快く、喜んで、自発的に、神と神の国の発展のために用いるということですね。
具体的に・・・
貧しい人を顧みることであり、福音宣教のために捧げることであったり、ということです。
言い換えれば・・・
人の『愛の行為』に、神は報いてくださるということ。
この『報い』が『天に蓄えられる宝』であり=しみになることなく、朽ちることなく=『永遠に価値ある宝』 なのです。
『天の宝』と比べると、『地上の富』は=一時の、つかの間の、はかない=『宝』でしかないということです。
神こそが、唯一、『永遠の命』の与え主です。 私たち人生の『主権者』です。
私たちは、今日も、明日も、主を仰ぎ・・・主の栄光のために生きてまいりましょう! ファイト!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様にとって一番大切なものは何ですか? 私にとっては、そのためなら惜しげなく金を使いたい、『愛』です。
週末も、素敵にお過ごしください。 お元気で!