6月9日。土曜日。
久しぶりの・・・ 『大型リックサック』
12日・火曜日から、尾瀬に入山です。
で・・・
二日前・木曜日に東京から神戸に戻ったばかりで、又、明日・日曜日から東京入りです。
「もう一度ゆっくり尾瀬を楽しみたいね。」 と、夫の希望。
「何年振りでしょうかね?」 と、夫と二人で以前に歩いた尾瀬に、再度入山が楽しみの私です。
「僕たちも付き合うよ!」 と、息子夫婦も参加を申し出てくれた。 なお一層楽しい旅になりそうで、有難い。
私の大型リックサックは一杯になった。
ワイン2本。つまみ4種類。 夜空の下で楽しみたいが…お天気はいかに? コーヒー豆&菓子&バーナー。
久しぶりの大型リックの荷作りで、色々の山々の縦走登山の日々がよみがえってくる。
いよいよ。
登山シーズン。旅行シーズン。 今年も忙しくなりそうです。
そして。
今日は6月9日。
『聖母のみ心 記念日』
『聖母のみ心』
神に心を開いて自らをささげた聖母マリアは、すべてのキリスト信者の模範である。
マリアの心が聖霊のふさわしい住まいとされたように、
わたしたちの心も聖霊の神殿となることを祈る祝日である。
『毎日の読書』 より。
『今日の福音 イエスの御言葉 そして 聖母の言葉』
『イエスの両親は、過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。
イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、
親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。
三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、
話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
両親はイエスを見て驚き、母が言った。
「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」
すると、イエスは言われた。
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。
『父・ヨセフを手伝う少年・イエス』
母はこれらのことをすべて心に納めていた。』
『悲しみの聖母』
以上。ルカ福音書 2章41-51節
12歳になられたイエスは、大人となり、年3回のエルサレムに上る義務を果たすようになり、『自分の道』を歩み始めます。
神の家である神殿に居る御父と自分の関係を明らかにします。
『イエスの道』があることを、自分の行動と言葉で、両親に伝えます。
しかし。
母マリアは、イエスの言う『父の家』や『御父』の意味は分かりませんでした。
我が子・イエスには『イエスの道』があることに、初めて、気づいたのです。
同様に。
どの家庭でも、子供は、大きくなるにつれて、12歳ころから、『自分の道』を歩み始めるのです。
親は、『子供の考え方』や『子供の生き方』があることに、気づいていくのです。
つまり。
こういうことではないでしょうか?
親と子の間には、『理解しえない部分』が、必ずあるのです。
人には、それぞれの『自分の道』があり…その『道』を歩みながら…人は『人生の完成』を目指すのです。
聖母マリア様は、理解できない部分は、ひたすら、『心に納めた』のです。
『心に納める』 とは 『待つ』 ことです。
我が子が、『自分の道』を捜せるよう、 にと祈りながら、待つ。
我が子が、『自分の道』を全うできますよう、 にと祈りながら、ひたすら待つ。
我が子が選ぶ『自分の道』が、親の考える『道』と違っていても、我が子を信じて待つ。
『待つ心』は、待ちながら、『許し合い』、『助け合う』、ことなのです。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
1週間の早いこと!皆様の1週間はいかがでしたか?素敵な日曜日でありますように! お元気で!