マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

優れた服は人生を変えられる・・・『森英恵さんの生き方』 そして 『下着を取る者には、上着も取らせよ。』…キリスト者の生き方。

2017-06-19 22:39:03 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

森英恵さん。
91歳の今も、「平日は毎日出社します。」
健康の秘訣は、「おいしいお肉と新鮮な野菜、それに時々の赤ワインかしら。」

   私が十年以上も愛用する・・・  『森英恵 ツーピース』
   
   森英恵ブティックで眺める私に・・・
 「欲しいのね。買ってあげるわ。」と。母の優しい言葉が忘れられない。

  今日の新聞記事。
  『My Way わたしの生き方・・・ファッションデザイナー 森英恵さん』  

多忙を極め体調を崩し、主婦業に専念しようと考えた35歳、気分転換にパリへ。
     せっかくだからと、シャネルでスーツを仕立てた。
   着ると不思議と力が湧く。優れた服は人生を変えられる。
その思いが、服を作り続ける!と決心、海外コレクション進出につながった。 そうです。

   確かに。
   優れた服を着ると、自信が湧いてくるような、体がシャン!心も気持ちも凛と!
       優れた服には、魔法の力がありますよね。


そして。

今日は6月19日。年間第十一月曜日。

     『今日の福音 イエスの御言葉 イエスの生き方』

   『イエスは、弟子たちに言われた。

   「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
 あなたを訴えて下着をとろうとする者には、上着をも取らせなさい。
   だれかが、
  一ミリオン(約1,480m)行くように強いるなら、一緒に、二ミリオン行きなさい。
  
             
見えなくとも…いつも、どこまでも、共に歩いてくださるイエスです。

       「求める者には与えなさい。
  あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」』
                                マタイ福音書 5章38-42節


     こんな生き方は、立派と分かっていても、私たち 私にはできません。
  この生き方は、復讐をすることのない生き方で、イエスの生涯の生き方でした。

    そして。
    イエスは、人にも、今までのようではなく、新しい生き方を、期待されたのです。
    私たちも、イエスの期待の応えて、一歩づつ、新しい人になっていきましょう!

       イエスの生き方は、周りを変えていく、魔法の力があります。

   
皆様!     
御訪問に感謝申し上げます。
おしゃれはパワーになります。 パワーに助けられて、新しい人に挑戦しましょう! 頑張りましょう。

*********
4時半。毎朝の目覚まし時計。今朝も4時半。タッタタッタ!タッタタッタ! 美しい走り音が起こしてくれました。
  負けてはいられない。 12㎞。

6月の運動: ランニング 22㎞  階段上り下り 0回  登山 1回 


プチ同窓会は、人を生かす。 そして 『イエスが与えるパンは、世を生かすためのイエスの聖体。』

2017-06-18 10:00:00 | 登山・ハイキング

今日は最終卒業校プチ同窓会の『歩こう会』


                                      10㎞。4時間のウォーク。

        年4回、桜・新緑・紅葉。忘年会、自然の中を歩く会
           卒業以来、年を重ねても、心は変わらない。
     美しい景色の中で、おしゃべりも途切れず、体も心もリフレッシュしていく。
    自作の何種類もの手作り料理を食べさせて下さるK君にはいつも驚きます。
           皆さんの自慢料理をいろいろ分けて頂きました。
    今日も、皆・仲間で生き生きと、プチ同窓会は人を生き返らせます。  

そして。

今日は6月18日。主日。 『キリストの聖体 祭日』

     
         『聖体』は、
パンとぶどう酒が、聖霊の働きと司祭の言葉によって、キリストの体と血に変えられたものです。
 信仰生活にとって、教会の秘跡=洗礼・堅信・聖体・許し・結婚。叙階=は中心的なものです。
         聖体においては、キリストと一致する恵みが与えられます。
                                          『カトリックの教え』より。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『わたしの肉を食べ、私の血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
    わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。』
                                        ヨハネ福音書 6章51-56節 


      イエスは、体を養うパンではなく、信仰の命を養うパンとなっておられます。 
   イエスの聖体を頂き、自分の中に愛が養い育てられ、皆で優しい交わりをするのです。  
        いつも、ニコニコと、イエスが与えるパンは、世を生かします。  


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
笑顔は、笑顔を見る周りの人をも笑顔にして、素敵ですよね。 
   心身リフレシュしながら、いつも笑顔でいましょう!


メッシュヘヤー・・・第二弾。 そして 『あなた方は、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。』

2017-06-17 22:32:34 | 私のこと

    私です。
   メッシュヘヤー に対する画像結果
    
 いえいえ 
 私…モデルさんのように、ヘヤーチェンジしました。 私の場合は黒髪のメッシュです。

七年前。
   『メッシュヘヤー』
に挑戦しました。
   その、驚きの息子の素直な反応をブログに書きました。

そして。
 
3か月前の3月。7年ぶり。
   『メッシュヘヤー』
、黒髪からの再挑戦しました。  
第二弾です。
  
私は、白髪も多くなって、今回は、”これでいいか!” と、気に入っています。
息子は、母のチェンジをまだ見ていない、今回は何と言うのだろう? 楽しみです。

   若い頃は周りの目や反応が気になっていましたが、
歳を重ね・・・”歳を重ねるのもいいな~”と、孤高を楽しんでいます 楽しい。


そして。

今日は6月17日。年間第十土曜日。

    『今日の福音 イエスの御言葉』

 『イエスは弟子たちに言われた。

      「一切神に誓いを立ててはならない。
   髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。
    あなた方は、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。」』
                          マタイ福音書 5章33-37節


    年を重ねた私の髪の毛は、白いものがいっぱい交じってきました。
一本の白髪すら、私の力では、髪染をしない限り、黒色に戻すことはできません。

     髪の毛一本すら、神が、その力で、黒から白へ、変えていかれるのです。
          神は、人間の幸せを願う、全能の方です。

         私たちは、全能の神の愛を信じて、信頼して、
    『然り、然り』『否、否』  『はい』『いいえ』だけを言えばいいのです。
                    神がすべてを良いようにして下さいます。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お人に信頼されるためにも、神の前で偽りなく、神に忠実でありたいものですね、

明日は日曜日。素敵な休日をお過ごしください! 私は、『私の登山』です。

*********
今月初めての早朝ランニング。しかも足をかばっての早や歩きのような・・・10㎞。こんなものですね

6月の運動: ランニング 10㎞  階段上り下り 0回  登山 0回   


夫の登山。 そして 私の登山。 それぞれの登山がある。

2017-06-16 21:10:57 | 登山・ハイキング

私の登山。
日帰り登山の楽しみは・・・

     なんてたって・・・   長年続く『山仲間』
   
                               5人仲間です。

           登山の度に感動する・・・  『自然の美しさ』
          
                                   神聖な佇まいです。

  そして。

    山頂での・・・    『自炊昼食』
 
   季節の旬を楽しむ自炊料理です。      &   缶ビール。
             いかのごの時期の『いかなご海苔巻』は恒例の仲間の差し入れです。

  下山の後は。

     疲れた体をいやす・・・ 温泉  ビールです。

        私の登山は、歩いて歩いて、登って降りて登って降りて、
                                その度、真剣勝負なのです。           


今日は、夫が登山でした。

     驚いたことに・・・帰宅時の夫は、超ご機嫌で、酔っぱらっていた

  「昼食時(コンビニ弁当昼食)に、ブランディーを差し入れる人がいて、しこたま飲んだよ。」
  「昼食後は、歩かないで、バスで下山。 それから 居酒屋で、又しこたま飲んだね。」

         夫の登山は、いつも低山のハイキングです。
   今日は、登山というより、飲み会のようですね。 たまにはこんな登山もありですね。


      登山も、楽しみ方にいろいろあって良い。
                  でも、頂上での飲み過ぎには気をつけてね!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
物事…登山一つにしても、”こうあるべきだ!”と、限定は出来ないものですね。人の数だけ形がある。 
                 頭を柔らかくしなくちゃね!


人間であることは何を意味するの?・・・『神に僅かに劣るものとしての人。』

2017-06-16 04:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 神による・・・          
                   『天地創造』

  人間は何ものなのでしょう。
        人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みて下さるとは。』
                                            詩篇 8-5

今日は6月16日。年間第十金曜日。

    『今日の入祭唱』

         『月も、星も、あなたが配置なさったもの。
    そのあなたが御心に留めて下さるとは、人間は何ものなのでしょう。

神よ、神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ、』

                               濃い緑色になってきた我が家の葡萄。

 『御子によって造られたものすべてを治めるように、その足もとに置かれました。』
                                          詩篇 8章4-7節


    人間であることは何を意味するのでしょう?
                 人間は、何のために造られたのでしょう

その①
            『人間の人生の目的は神に似ること』

   神は、その創造の秩序において、人間に他の創造物にはない地位を与えました。
    
『神よ、神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせました。』

        神は、人間に、『栄光と威光を冠』をかぶせて『王権』を与え・・・
   地上における『神の代理者としての地位』を与えた。 ということではないでしょうか?


その②

     『人間の人生の目的は、正義の支配による、地に対する支配権の行使』

  あくまで、
     地上のすべては神の創造物であり、『地のずべては神のもの』であります。
  よって、
人間の地に対する支配権は、神の究極的な支配によって、枠づけられ、限定されています。

人間の支配権の行使は、神に(僅かに劣りながらも)似た行いであり、『神の栄光』を現すものであるのです。 
                    それは、
   『神の愛とあわれみの代理者』 としての 『神と隣人への奉仕の営みの人生』であるのです。  

                                         以上。今朝、早朝に考えたことでした


    皆様!
    お早うございます。

    人としての責任を自覚して、その重要さゆえのやりがいもあり、今日も頑張りましょう!     


賞味期限は半年間・・・『誕生日プレゼント』 そして 『新しい掟・・・互いに愛し合いなさい。』

2017-06-15 04:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

孫達の誕生日。
毎年、孫達が喜ぶ顔を思って、あれこれと考えて、『誕生日プレゼント』をする。

   5日前は、孫息子の8歳の誕生日でした。
   二年生の男の子は、何を喜ぶだろうか? 分からない。なかなかの難問です。

  悩んだ結果・・・ 賞味 有効期限付き 何でも買える券』   

        『欲しいものがなんでも買ってもらえる券』
          発効日   2017年6月10日
          有効期限  発効日より6か月
          発券者   神戸のじいじ と ばあば

      『新企画プレゼント』が、なかなか受けた。喜ばれた。
「今欲しい物はあるけどな~。 でも、先に、もっと欲しい物が出てくるかもしれないしな。」

   贈り主の租父母の代わりに、御当人の孫息子が悩んでいる。 楽しんでいます。
                          じいじとばあばの責任転化でもあります。ごめんなさい

そして。

今日は6月15日、年間第十木曜日。

    『今日のアレルヤ唱 イエスの御言葉』

      『あなたがたに新しい掟を与える。
互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』
                                                           ヨハネ福音書 13-34

             ィエスは、この世での終わりが来たことが分かった時、
              『最後の晩餐』の席をもうけました。

                                     レオナルド・ダ・ヴィンチ作品

その席で・・・

まず。   弟子たちの足を洗いました。

    「主であり、師であるわたしがあなた方の足を洗ったのだから、
       あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなた方もするようにと、模範を示したのである」
                                             と話されました。

次に。 イエスを裏切る弟子・ユダに、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と。
そして。       ユダが出て行くと、死を覚悟して、イエスは言われました。

     「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。」
       
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

                             以上。ヨハネ福音書 13章21-35節

        イエスは、死を覚悟した席で・・・
   互いに愛し合う『模範』を示されたました。 『遺言』を遺されたのです。
 

 『あなたがたも、私がしたように、互いの足を洗い合いなさい。』

       足を洗うということは、相手の僕になるということです。


     『互いに愛し合う』
どんな人をも =いじわるされても、喧嘩をしていても= 膝をかがめて、頭を下げて、愛さなければならないのです。
  難しいことですね。 
     でも・・・愛された経験があれば、”私だって!”と、できるはずです。

       愛されるために・・・まず、愛しましょう! 今日も頑張りましょう!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
梅雨なのに、天気の続く神戸です。 御当地はいかがですか? 今日も楽しくまいりましょう。


不調からの復活。 そして 『世の光となる。』

2017-06-13 06:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

14日ぶりの、大腿四頭筋肉痛からの復活です。

  夫の『朝コース』に同行しました。
 
     20分の早や歩き & 10分のラジオ体操 & 30分の早や歩き。
   
  14日ぶりのランニング・ウエアが、心を浮き立たせました 嬉しい。嬉しい。

      あまりに長かった不調からの復活に、
   ほころびを継ぎあてる洋服のように、『継ぎ当て年代』の楽しみが出てきた。
     どんな『布』で継ぎ当てて、どんな『かわいい私』に再生しようかな


それにしても。

  イエスは復活後・・・天に上り、御父と共に、『聖霊』を送って下さったのですよね。
   私も復活後・・・・・イエスに倣って、”何かしなくちゃいけないな!”と考えました。

すると。
   ヒントがありました。イエスの命令です。


今日は6月13日。年間第十火曜日。

  『今日の福音 イエスの御言葉』

     『イエスは弟子たちに言われた。

       「あなたがたは世の光りである。」

                       真っ暗闇で、航路を教え導く、『灯台』

      『あなた方の光を人々の前に輝かしなさい。』   マタイ福音書 5章13-16節

  私は、
  復活後に、イエスのように聖霊を送ることはできなくとも、
  『私の光』を、人前に輝かすことはできるのです。輝かせなくてはいけないのです。

     『灯台』『ロウソク』も、 そして 神から頂いた『私の光』も、
       自分のために輝くのではないのです。
   ロウソクのように自分の身を削って、お人のために輝くのです。

 他のものを照らし、道案内をする。暖めてあげる。痛んだ心を癒してあげる。等等。

  私も、神から頂いた『光』を輝かして、お人の役に立ちたいものです! 頑張ります。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様も、お体の痛みなどがございますか? 一時も早い御回復をお祈り申し上げます。 お元気で!


『平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。』

2017-06-12 22:28:28 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

   『至福八端』 
『真福八端』とも言われる、真の幸せに導かれる、八つのイエスの教えです。

今日は6月12日。年間第十月曜日。

    『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスは腰をおろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこでイエスは口を開き、教えられた。
 
                                    『山上の説教』

    「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。
    悲しむ人々は幸いである、   その人たちは慰められる。
    柔和な人々は幸いである、   その人たちは地を受け継ぐ。
    義に飢え渇く人々は幸いである、その人たちは満たされる。
    憐れみ深い人々は幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
    心の清い人々は幸いである、  その人たちは神を見る。
   
    平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

   義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。」』
                                     マタイ福音書 5章1-12節

              『天の国』は、
  
『心の貧しい人々』と『義のために迫害されている人々』には保障されているのですね。


  皆様!
  『八つの幸せ』の内で、あえて一つ、あなた様にとって、どの幸せが一番良いですか?
  私にとって。
 
 どの幸せが一番かな? 考えてみました。 『神の子と呼ばれる』 ことだと考えました

 では!
 『神の子』 とは何? 神の子と呼ばれるために『実現しなければならない平和』 とは何?

 
          『平和』と考え・・・
              一番に思いつく 『イエスが実現する平和』 です。 

     『わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
 わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。』
                                             ヨハネ福音書 14-27

    『心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
          わたしの父の家には住む所がたくさんある。
   もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
        こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。』
                                     ヨハネ福音書 14章1-3節


      『イエスの平和』 は 
           『世が与えるように与えるのではない。』 
  この世で考える平和とは、一味違う平和のようです。信仰における平和ということです。


   
『世が与える平和』は、問題解決で、平和がもたらされると考えますよね。
  
『キリストが与える平和』は、
問題がありつつも、心騒がすことがない、『神との関係において充足状態にある』 平和です。

 神の愛を信じ、キリストの十字架上の贖罪を信じ、『天国での我が場所』のあることを信じることです。
       信仰による『平安』です。 心騒ぐことがない 『充足状態』です。

 
          『神の子』と考え・・・
              一番に思いつく 『イエスは神の独り子』 です。 

          『神の平和』をもたらす人が、『神の子』なのです。

    私たちも、
    お人に、物ではなく、『心の平安』をもたらし・・・『神の子』と呼ばれましょう!
                                     頑張りましょう!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の『心の平安』はどこから生まれますか? 私の平安は信仰からです。


自由自在に七変化・・・『アジサイ』 そして 一つの本質、三つのペルソナ・・・『三位一体』

2017-06-11 09:30:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

梅雨に入り、庭に咲きだしました。

    楚々とした色合いが美しい・・・  『紫陽花』
   
   切り花にしたときは薄い黄緑色でした。
      
          今は美しい水色。 
 七変化の姿に驚嘆しています。 今年も『絵』にして遺そうかな?


そして。

   今日は6月11日。主日。 『三位一体』 祭日。

              
                   
『父と子と聖霊』   
 

       神は、 『一つの本質、三つのペルソナ』 です。

  『三位一体』
  父が子を生み、父と子から聖霊が発出するという本質的な関係。
  『愛の交わり』であり、父が与える愛子が受け与える愛聖霊が受ける愛である。
                             

三位一体の神への信仰は、具体性をもってキリスト教信仰の本質にかかわるものです。
                             『我』と『汝』 と 『我々』 ともいえる。


『今日の第一朗読 御父である神の姿』

          第一のペルソナ 『父は隠れたる神』

  『モーセは朝早く起きて、主が命じられた とおりシナイ山に登った。
 主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。

     [主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ちた者]

                                          出エジプト記 34章4-9節


 『神の秘儀』は、人間の考えから出るものではなく、最終的には人間の理解を超えるものです。


『今日の福音 御子である神の姿

          第二のペルソナ: 『子・イエス・キリストは見える神』
       
        『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
     独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためでなく、御子によって世が救われるためである。』
                                           ヨハネ福音書 3章16-18節

   キリスト教信仰によれば、
   父なる神が御子キリストを遣わされ、キリストの救いのわざを通して、人類を救うのです。


最後に。
御三人目の神。

           第三のペルソナ『生かす神である聖霊』
      
 わたしたちと同じ人間になられたイエスは、十字架につけられ殺されてしまいました。
      そのイエスを神は復活させます。
  復活されたキリストは天に上げられ、父とともに地上に『聖霊』を注がれます。

キリストのわざをとおして、御子が御父のもとから私達に『聖霊』を送ってくださいました。
  そのためキリスト者は、
 聖霊の交わりにおいて、キリストを通して、御父に向かう。という信仰形式を必然的に持ちます。

 
   キリスト者は、

   『三位一体の神』に包まれるようにして信仰するのであり、
   そのようにして、『神御自身の愛の交わり』に参与するのです。
   

 『三位一体』は、キリストによって示された神を忠実に表そうとして、最終的に到達した神理解です。

                                            以上。『カトリック教会の教え』より。

   祈願。
   わたしたちが、唯一の神、父と子と聖霊の栄光をたたえることができますように。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
梅雨時は、花々にも作物にも そして 人間にも、雨に恵まれ潤う時期です。 
  傘をさして外に出て・・・いっぱいの恵みを頂きましょう!


親の愛情いっぱい・・・『鳥の巣』 そして 『貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。』

2017-06-10 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

我が家の玄関先。

  親鳥のたくさんの愛情の詰まった・・・    『鳥の巣』

 我が家のモミジの木の間に・・・  精巧で、考え抜かれて造られた『美しい巣』

    今朝。

          親鳥も子鳥もいなくなって『空き巣』になった。
          元気に巣立ったようで嬉しい。 親心?です。

  ”やっとできるね。”と。  『巣』のために、滞っていたモミジの木の剪定をした夫。
 
                           夫婦で、木々の剪定と雑草抜きもしました。
               
    5時半~8時半。 3時間×2人=『6時間の仕事』で、庭がスッキリしました。
        スッキリは、家の中でも心の中でも、嬉しい。 清心です。

そして。

今日は6月10日。年間第九土曜日。

     『今日の福音 イエスの御言葉』

 『イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。
     大勢の金持ちがたくさん入れていた。
     ところが、
一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランス(一日の賃金の1/64)を入れた。
  
                                        『やもめの献金』

     『イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。

       「はっきり言っておく。
  この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
       皆は有り余る中から入れたが、
この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」』
                                            マルコ福音書 12章38-44節

  
 人の目には褒められることのない『小さなこと』でも、神には喜ばれることがあるのです。
      神は、人の行為の『心の思い』を見ていて下さる。 ということでしょうか?

    金持ちにとっては、献金の額は、命をかける程の額ではなかったのでしょう。
      一方。
貧しいやもめにとっては、献金の額は、明日からの食事を整えることもできない程の、大金でした。
            それは、自分以上に貧しい人のことを考えての、献金だったのかもしれません。

 貧しいやもめさんのように、神を信頼して隣人を想って清心で、潔い人生をを送りたいものです。


      モミジの木の中に作った『鳥の巣』は、
      親鳥の命を削って出来上がったひな鳥のための準備だったことでしょう。

   私の今日の草抜きは、誰のための作業だったのでしょう? 自分のためだけの作業?

               愛情いっぱいの、『鳥の巣』や『やもめの献金』を見聞きし、
                                  考えさせられた一日でした。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日は日曜日。 大事な人のために、何かの行動を起こしましょう。 素敵な休日でありますように!