マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖書通読会・・・『イエスは聖霊によって喜びにあふれた。』 そして 『わたしたちも賛美の歌を歌います。』

2018-03-23 22:17:03 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
今日は3月23日。金曜日。聖書通読会・聖書100週間。

 図案も刺繍も私の手作り・・・  『聖書』
 
 私の目線で心に入って来る聖書をイメージして作りました。


 今日のクラス参加者全員が発表したのは・・・
   『喜びにあふれているイエス』
       でした。
 
 『宣教活動から喜んで帰って来た弟子たちと、喜びにあふれたイエス』
  

 ”宣教活動後の弟子たちの喜びを見る時のイエスは、どんなにか嬉しかったのでしょうね!”
    ”自分の喜びがイエスの喜びであってほしいですね。” 等等。感想の発表でした。


聖書に記載されているイエスのイメージ。
いつもは、『喜びのイエス』 以上に 『まじめなイエス』 ではないですか?
今日のように、『喜びにあふれているイエス』の記述が、聖書の他の箇所にあるだろうか? 嬉しいですね。


『七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。 「主よ、お名前を使うと、悪霊さえも私たちに屈服します。」
  イエスは言われた。
「敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を与えるものは何一つない。
  しかし、
悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

    そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれた。』 

         ルカ福音書 10章17-21節

  皆様!
  『イエスが喜びにあふれて微笑んでいらっしゃる』 のは、素敵なシーンだと思いませんか? 
  私たちも、いつも微笑みを忘れず、周りの方たちを幸せに巻き込みたいものですね。


そして。
      今日の聖書通読範囲は、『ルカ福音書 7章~13章21節』 でした。
その中で。

    イエスは、『あなたの信仰があなたを救った。』 と何回も繰り返します。

        『イエスの服の房に触れる女』
 
『イエスの服に触れるだけでいやされると信じた、十二年間の病に苦しむ女性』  ルカ8章2~48節

    では。 『信仰』 とは何か?

『異邦人の百人隊長はイエスに言った。 「ひと言おっしゃってください。そして、わたしはいやされます。」
イエスは群衆の方を振り向いて言われた。
  「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」』
          ルカ福音書 7章1-10節

    『信仰』 とは 『イエスの一言だけでいやされる。』 と信じることです。

皆様!
四旬節の残りは4日間となりました。4日間を大切にして、信仰が深まりますようにと祈ってまいりましょう!
                


そして。

今日は四旬節第五金曜日。一週間後・来週の金曜日はイエスの受難・磔刑の日となりました。

『今日の叙唱』

『聖なる父、全能永遠の神、主キリストによっていつもあなたをたたえ、感謝の祈りをささげます。
 御子キリストの受難によって救われた全世界は、あなたの救いのわざをほめたたえます。
    十字架の力によってキリストは世に打ち勝ち、栄光の輝きに入られました。
 神の権威をあがめるすべての天使、聖人とともに、わたしたちも賛美の歌を歌います。』
 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
笑っていますか? いつも微笑みを忘れないでいましょう! 明日が善い週末になりますように! お元気で!

何十年ぶり・・・『小学校クラス会』 そして キリストの受難まで1週間・・・『キリストは新しい契約の仲介者』

2018-03-22 12:30:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
今日は3月22日。木曜日。小学校卒業以来、初の小学校クラス会参加。

  年を重ねて、その人らしく、それぞれの個性が際立っていた。素敵でした。

   私の左隣席の男性・・・   『カルチャセンター絵画教室先生』
    
    『山越阿弥陀図』  第72回行動展の男性の出展作品。  

世界を股にかけた商社マンの後・・・油絵の趣味が高じまして・・・と。 個性が際立っていらした。 


  私の右隣席の男性・・・   『医者』
   
  『二次会』

人生半ばで・・・学校に行き直しまして、技術屋から転身しました。
今は・・・臨床から少し遠ざかり、女子大で、介護に携わろうという若者たちを教える教壇に立たせて頂いています。
    有難いことです・・・と。 こちらも謙虚に、個性が際立っていらした。


年を重ねた者のクラス会は、英雄的ではないけれど、人間の心の本姓が出た精神的なものでした。 感動でした。


そして。

今日は四旬節第五木曜日。キリストの受難・磔刑まで1週間。

『今日の入祭唱 キリストの弟子から改宗者への手紙』

キリストは新しい契約の仲介者なのです。
それは、最初の契約の下で犯された罪のあがないとして、キリストが死んでくださったので、
召された者たちが、すでに約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。』

      ヘブライ人への手紙 9章15節


まずは。
     『最初の契約』 と 『新しい契約』 とは何か?

聖書は、
旧約聖書と新約聖書に分かれます。 聖書の重要な『テーマ』は『契約』です。『約』は『契約』を意味します。
『契約』は、
神と人・民との間で結ばれた契約なのです。
   それは、『主がイスラエルの神となり、イスラエルは主の民となる。』、契約なのです。

では。

『旧約・最初の契約』

初めに、神は、アブラハムと、『あなたは多くの国民の父となる』と個人的に契約を結ばれました。

次に、神は、モーセに『十戒』を与え、
 
   『十戒を守るように』と、イスラエルの民を相手として契約を結ばれました。

 神:『いかなる時も民と共にいて、民を愛します。』 民:『神への愛のしるしとして、十戒を守ります。』         
        愛する者同士の 『愛の契約』 です。


旧約時代
契約にもかかわらず・・・。
神への不忠実・背信を繰り返す民。その罪の『つぐない』を、『雄山羊と若い雄牛の血』によって成そうと、毎年『動物の血』を神に捧げました。
それらは、
動物の血にすぎず、不完全な供え物であったから、毎年繰り返す必要があり、『完全なつぐない』とは成りえませんでした。

そこで。

『新約・新しい契約』

神は、御子キリストを派遣し、『イエスの言葉を信じるなら、その人は決して死なない』と
   ・・・人類を相手として契約を結ばれました。


  キリストは、雄山羊と雄牛の血ではなく、『御自身の血』によって、
  
   『永遠の贖い・完全な贖い』を成し遂げられたのです。

キリストは、民の罪の赦しを求めて、自分自身の命をささげ、自らの血を携えて、神の住まいの至聖所に入り、
  一度で完全に、罪のあがないを成し遂げられたのです
    
    『キリストは新しい契約の仲介者』 となられたのです。


  
それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、
 
『人類老いも若きも皆幸せ 感謝感謝』

召された者たちが、既に約束されている『永遠の財産・永遠の命』を受け継ぐためにほかならないのです。 感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人生は、神にゆだねながら、人がそれぞれに彩っていく。いいものですね。 お元気で!

亡き父母を偲んで・・・『春分の日』 そして 『真理はあなたたちを自由にする。』

2018-03-21 21:31:56 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は3月21日。2018年度の春分の日。

春分の日。
祝日法により、天文観測による春分(昼と夜の長さがほぼ等しくなるとされる)が起こる『春分日』が選定され、
     休日とされ・・・
 
  自然をたて、生物をいつくしむことを趣旨としている。


   仏教では、春彼岸の中日にあたり、お墓まいりを行う人が多い。
 
 『彼岸おはぎ』

 私も、東京の両親の墓参りが今日は叶わず、自宅で、父母を偲んで祈りをささげました。


そして。

今日は四旬節第五水曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

    『真理はあなたたちを自由にする。』


まずは。

国会図書館の中・・・   『真理がわれらを自由にする』
 

   国会図書館の設立の理念となっている『国立国会図書館法 前文』
     『真理がわれらを自由にするという確信に立って、
 憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。』


原文はギリシャ語・・・   『真理がわれらを自由にする』
 
読めない。発音すらできないギリシャ語。意味は分かる・・。        国会図書館の別壁面。


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉 イエスとユダヤ人信者の問答』

『イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。

「わたしの言葉にとどまるならば、
あなたたちは本当に私の弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」


すると、彼らは言った。

「わたしたちは、アブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。
『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です。」


イエスはお答えになった。

「はっきり言っておく。罪を犯した者はだれでも罪の奴隷である。
だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。
なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。」

      ヨハネ福音書 8章31-42節


    イエスの話す言葉は真理です。

神は、アブラハムに『子孫が星のように増える』と約束しました。 アブラハムは『神の約束』を信じました。
ところが。
アブラハムは『神の約束』の成就を自分の目で見たかったが、見ることは出来ず、『神の約束』はイエスにおいて成就したのです。

つまり。
イエスは、すべての人を迎えるために『新しい人』を作り、『神とアブラハムの約束・契約』を成就されたたのです。
ところが。
ユダヤ人は、アブラハムを『信仰の父』とし、『多くの新しい民の父』となったイエスの言葉を信じたくないのです。
      ・・・『律法の厳守で救いがある』との考えにとらわれて、
『真理』を認めないで、心を解放できないのです。 『イエスに救いがある』のを認めないで、自由になれないのです。



        『真理』とは何か?

 『真理』とは、
イエスは、御父・神から遣わされた独り子であり、神である。 こと。
『イエスの言葉』を信じる者は、『永遠の命』が与えられる。 こと。

   『私の言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。』ヨハネ8-51 なのです。

   イエスの言葉を信じるなら、イエスを知り、また 神を知るようになります。
       それによって、本当に生きることになるのです。
  命がなくなることはないのです。 心が、動揺することなく、自由になるのです。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の御両親は健在でいらっしゃいますか?それとも・・・? 父母とその父母と、先祖を大事にしたいものですね。
  先祖に会う日まで、元気でいましょう!

初めての卒業小学校クラス会。 そして 『わたしはある』という者。

2018-03-20 22:09:09 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は3月20日。火曜日。

私は関東生まれ。父の転勤で私は神戸の小学校に入学。 小学校卒業後に再び父の転勤で東京に戻る。結婚まで東京住まい。
私は、結婚後も転勤族で、今まで、小学校の同窓会等に出たことはない。 案内状を頂いたこともない。

突然に舞い込んだ・・・   『小学校クラス会案内状』
 
   『家族も増えて…クラス会』     出席することにしました。

卒業後初めて、小学校の同級生と再会する。 同級生のお一人の名前も顔も思い出さない。覚えていない。
初めての会に参加するような気持ちで、出席してみることにした。
どんな感じがするのだろう?  私を覚えていてくださる方はいるだろうか?  私は皆様を思いだすだろうか?
とても興味深い。楽しみです。


そして。

今日は四旬節第五火曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスはファリサイ派の人々に言われた。

『わたしはある』ということを信じないならば、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
さらに、
イエスは言われた。

   「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、
  
    『わたしはある』ということが分かるだろう。

わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにはしておかない。
わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」』

     ヨハネ福音書 8章21-30節


   『わたしはある』
  誰のことでしょう? ファリサイ派の人は信じない方のようです。



その昔。
旧約時代。


『神はモーセに、『わたしはある。わたしはあるという者だ』と言われた。』 出エジプト記3-14

それは、『わたしは始めであり終わりである者』 『存在の初めからある者』 『いつまでもおられる方』 『神』 ということです。


時が過ぎ。
新約時代。


イエスは、『わたしは神から遣わされた者』:『わたしはある』であると信じないないのか? と話します。
       しかし。 ファリサイ派の人々はそれを信じません。


そこで。

イエスは、『あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、
  イエスは『わたしはある』ということ。神であること。
  イエスが、自分勝手には何もせず、ただ、御父に教えられたとおりに話していること。

以上の二つが分かるだろう。』ヨハネ8-28 とファリサイの人々に、再び言われたのです。

更に。

  イエスを『わたしはある』であるということを信じないならば、
それは罪である。 その人はその罪のうち死ぬことになる。
 とイエスは言います。

でも。

 『十字架につけられたイエスを仰ぎ見る人は救われます。』 とも言われます。
  それは、
イエスは、『神の御心=万人の救い』を行うために、神に遣わされた方=神の独り子である。
      ・・・・と信じる時
  生きることができる。 永遠の命に入ることができる。 ということなのです。


『神の御心=人類の赦し』 が 『十字架上の磔刑』 によって成就した。 ということなのです。   

   
『今日の拝領唱』

『イエスは群衆に言われた。「わたしは地上からあげられるとき、すべての人を自分のもとに引き寄せよう。」』
                      マタイ福音書 12章32節

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
何十年ぶりに遭う同窓生。そして 見ないで信じる神。  私には、同様に、心の中に生き続ける大事な人たちです。
   明日もお元気で!

今日は18度で明日は9度・・・『三寒四温』 そして 『聖ヨセフ 祭日』

2018-03-19 19:34:04 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は3月19日。月曜日。 一日中、雨が降ったり止んだり。

今日は18度で明日は9度とかで・・・   『三寒四温』
 
 『我が家の桃の花』

  咲き出した桃の花も、明日は低温に驚いて、首をすくめるかな? 

 

    
そして。

    今日は 『聖ヨセフ 祭日』
    
処女マリアの夫ヨセフは、聖家族の長としてイエスを守る務めをゆだねられていた。
教会は、ナザレの聖家族の保護者であったヨセフを、キリストの体である教会の保護者として崇敬している。
          『今日の読書』より


『今日の入祭唱』

  『見よ、忠実で思慮深いしもべ、神はこの人を聖家族の頭とされた。』 ルカ12-42 
 
 
 私は、全くの一目ぼれ、理想の男性として、聖ヨセフが大好きです。
 私は、我が息子も聖ヨセフのような人になってほしいと深く願って、息子の洗礼名に『ヨセフ』を頂きました。


『今日の集会祈願』

『すべてを治められる父よ、
あなたは救いの神秘の夜明けに、聖ヨセフをキリストの忠実な守護者に立てられました。
 
聖人の祝日を祝う教会が、その祈りに支えられて、救いのみわざの完成に役立つことができますように。』


聖ヨセフは、
カトリック教会、正教会、東方教会、聖公会およびルーテル教会で、崇敬されています。
1870年カトリック教会では、教皇ピウス9世により、『全教会の普遍的な守護聖人』であると宣言されました。


『今日の福音 聖家族の様子』

『イエスの両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。
イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
三日の後、
イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。

 
聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。 両親はイエスを見て驚いた。
それから、
イエスは両親と一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお過ごしになった。』

        
 『父ヨセフを手伝う少年イエス』      ヨセフの職業は大工でした。    

        以上。 ルカ福音書 2章41-51節

ナザレの聖ヨセフ。
『イエス・キリストの系図』:『四十二代』 の中で、最後に登場します。


『アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、
   バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。』
 マタイ1章1-17節

ヨセフは、アブラハムから四十一代目、『イエス:四十二代目の父』として登場するのです。

『ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。』
マタイ1-17

    ヨセフは、『正しい人』であったので、
『天使が夢に現れて言ったこと』『自分のアイデンティチー』として、生涯を信仰において過ごしたのです。

『天使の言葉』
『マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』
  『そして、ヨセフは、その子をイエスと名付けた。』
 
      マタイ福音書 1章18ー25節

 ヨセフは、マリアの夫イエスの養父として、語ることは少なく、その生涯は信仰の生涯でした。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の、一歩でもその方に近づきたいと思う、理想の男性はどなたですか? 
私は、イエス様を第一として、ヨセフ様や我が父、等等。 理想というより好きな方ということですかね。 お元気で!

春本番・・・『桜開花』 そして 『キリストは従順を学び、永遠の救いの源となられた。』

2018-03-18 20:45:34 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
今日は3月18日。日曜日。

近所の公園・・・   『桜開花』
 

大きな桜公園の中の、見落とすような奥の二本だけが咲いていた。 美しい春が来た。

 

”早や咲き桜の種類なんでしょうかね?”と、犬を散歩の青年が声をかけてきた。 穏やかな休日です。

目を転じれば。

我が家も・・・    『かすみ草』
 

”僕は花の中で一番好き!”と息子が言って、一緒に植えた。 今年も満開の時期が来た。

 

それぞれの花に、それぞれの物語がある。 時期が来ると、花と物語を共に思い出す。いと良し。


そして。

今日は四旬節第五主日。 キリストとの受難・十字架の前12日となった。

『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

 『キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、
 
 『すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。』ルカ22-43

死から救う力のある方に、祈りと願いをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れました。』


主イエスは、
十字架を前にして、ゲッセマネの園で、”自分は本当に十字架で殺されねばならないのか”、と苦しみ、
  そのことを父なる神に祈り、
「これは、あなたの御心なのですか。できることなら、自分を十字架にかけないでください。」と、必死に祈ります。
  そんな時、
天使が現れて、言葉もなくそばにいて、イエスを力づけた、とルカは記しています。


 『キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。』
    
     『十字架・イエスの従順』

『そして、完全な者となられたので、ご自分に従順であるすべての人に対して、永遠の救いの源となりました。』
         以上。 ヘブライ人への手紙 5章7-9節

  イエスは、この世・肉の世に終わりを迎える時、
  完全に自己から離脱し、神の御旨に従順な、『完全な者』となられました。


『イエスは言われた。
「わたしが天から降って来たのは、
自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることである。」』

       ヨハネ福音書 6章38-40節


 われわれ人間も、肉において生きていたこの世に終わりを告げる時、が必ずきます。
   そんな時。
そのわれわれの死の傍らに立ち、われわれを慰め励まし、そうして生かしてくださる方がおられるというのです。
    死者をよみがえらせてくださる神・イエスを信じる信仰であります。


キリストは、神の御子であるにもかかわらず、人間となられて、人間の多くの苦しみを経験したので、
私達人間の弱さも苦しみも良く理解して下さり、私たち人間のそばに寄り添ってくださるのです。


『今日の拝領唱』

   『まことにあなたがたに言っておく。
一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままで残る。死ねば、豊かな実を結ぶ。』 ヨハネ12-24

 私たちも、イエスの受難に倣って、自分を捨てて、周りの人と平安な日々を送っていきたいものですね。

 
皆様!
御訪問に感謝申しげます。
春本番。四旬節本番。それぞれを大切に過ごしたいものですね。 お元気で!

旧約聖書完読・・・『巡礼の日々』 そして 『神にわたしの救いはある。わたしは決して動揺しない。』

2018-03-17 17:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は3月17日。土曜日。 昨日に引き続き、週二回の聖書通読会・聖書100週間の日です。

  今日のクラスは、『祝日』です。
聖書の1ページから読み初めて以来約3年・・・
  神と仲間に励まされて続けて来れた、『旧約聖書完読の祝日』となりました。



     旧約聖書は、聖書の約2/3を占めます。


その『通読の日々』は、聖所の高みに向けて一歩一歩、『巡礼の日々』でした。
 
 『四国八十八箇所の巡礼』           神を求めて…一歩一歩。


    『沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。』 詩篇37-7
『主は天から人の子らを見渡し、探される。目覚めた人、神を求める人はいないか、と。』 詩篇14-2


   旧約聖書通読完了の今日。 通読範囲は、『詩篇の教訓部分』
    神が私たちに与える『教訓』神は私達に何を求めているのか? 
     旧約聖書最後のクラスは、身が引き締まる思いで読みました。


  『キリスト教の巡礼地』
 
 『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』 フランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道


巡礼とは
日常的な生活空間を一時的に離れて、宗教の聖地や聖域に参詣し、聖なるものにより接近しようとする宗教的行動のこと。

つまり。

『巡礼』は、
世界の多くの宗教で重要な宗教儀礼と見なされており、
特にその宗教の信者が特定の地域や文化圏を超えて、世界の広域に分布している宗教においては、
とりわけ大切なものと位置付けられているのです。


   『小学生の巡礼』
 
 『カトリック神田教会』


 『神よ、わたしはあなたを探し求め、わたしの魂はあなたを渇き求めます。』 詩篇63-2


巡礼の根本的なかたちは、
『遠方の聖地に赴く』、というところにあるのです。
我々の居住地、つまり日常空間あるいは俗空間から離脱して、非日常空間あるいは聖空間に入り、
そこで聖なるものに接近・接触し、その後ふたたび もとの日常空間・俗空間に復帰する行為。なのです。


行きたいな。行こうかな。  『ベツレヘム』
 
 『キリストの生誕教会の巡礼』 

3年間。
聖書を読み続けることは、並大抵なことではない。 過ぎてみれば感謝あるのみだが、長い道中は努力がいる。
同様に。
キリスト教における巡礼は、聖地への礼拝だけでなく、巡礼旅の過程も重要視されている。
 
  すなわち。
『巡礼』は、その聖地への旅の過程において、人々は神との繋がりを再認識し、信仰を強化するのです。
『聖書通読』は、時間と空間を越える神の存在への問いかけの時間なのです。


  『わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。 神にわたしの救いはある。
  神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。 わたしは決して動揺しない。

           詩篇 62章2-3節

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
パラリンピックで、「苦しかったが続けてきて良かった」と、選手の皆様の活躍に感動しますね。
何事でも、充実感の喜びは、苦しい努力日々を続けた後の、御褒美ですね。 明日の日曜日もお元気で!

『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。』

2018-03-16 14:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
今日は3月16日。金曜日。聖書通読会・聖書100週間の日。

  私はパンが好き。


今日の通読範囲は、『ルカ福音書 1章~6章』。 イエスが語る『一言』が沢山出てきます。

  聖書も大好きです。
 

  『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。』
           ルカ福音書 4-4

 人は『パン』を食べて、体を養う。
 人は『イエスの一言』を頂いて、体が癒される。生きる。心も養われる。

『今日のイエスの一言』

『黙れ。この人から出て行け。』・・・イエスの一言で、悪霊はその男に何の傷も負わせずに出て行った。 ルカ4-35 
『よろしい。清くなれ。』・・・一言で、たちまち全身らい病が清くなった。 ルカ5-13
『手を伸ばしなさい。』・・・イエスが言われた通りにすると、なえた手は元どおりになった。 ルカ6-10

   『イエスの言葉には、権威と力があったからである。』
          ルカ福音書 4-31

そして。
今日は四旬節第四金曜日。

『今日の集会祈願』

『いつくしみ深い神よ、あなたは、弱いわたしたちをいつも支えてくださいます。
わたしたちが救いの力に強められ、その喜びを人々の中で証しすることができますように。』

 
 『救いの喜びがあふれる人』

  『年を重ねた者の務め』
神を信じる熟年者として・・・
『神の深い御旨を知り、清い生活がもたらす報いを期待し、汚れのない魂の受ける誉れを認め、』
       『今日の第一朗読 知恵の書 2-22』 

  ・・・救いの喜びと平安と信仰を、人々の中で証しすることですね。 頑張りましょう。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今週も頑張りましたね。明日は土曜日。素敵な週末をお過ごし下さい。 お元気で!

鯛か平目か?・・・『歓迎会』 そして 『聖書はイエスについて証しをするものだ。』

2018-03-15 18:30:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
日は3月15日。木曜日。

しばらくぶりで・・・  『歓迎会』
 
 『鯛にしましょうか? 平目か? それとも伊勢海老?』         日本の鮮魚。

   外国で一年間の学びの後の友人の帰国。
   学んだ事を、あれこれと聞く。 異国で見た時代の変化を、証しして下さった。
   友人の話の中には真実がある。 興味深く楽しい。


そして。

今日は四旬節第四木曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスはユダヤ人たちに言われた。

「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。
わたしについて証しなさる方は別におられる。その証しは真実であることを、わたしは知っている。

 あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、
 
『ヨハネによるイエスの洗礼』

   彼は真理について証しした。

しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。
   わたしが行っている業そのものが、

 
 『病人を癒すイエス』

    父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。

 あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。

 
 『大正五年発行の旧約聖書』       我が家の宝物です。

   ところが、聖書はわたしについて証しするものだ。

わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受け入れない。」』
   ヨハネ福音書 5章31-47節


  イエスは、ご自分を信じるようにと、人々に呼びかけておられるのです。
  しかし。
人々は、『イエスが語る言葉』が真実かどうか分からない、と、『特別なしるし』を望むのです。
 

イエスは、『私の言葉』を信じなくても、『私について証しする方』が他にいると言われるのです。


  洗礼者ヨハネは、『イエスは聖霊によって洗礼を授ける神の子である』と、証ししました。
   しかし。
人々は、ヨハネのイエスに対する証しを信じませんでした。

  神御自身も、イエスについて証しをなさいました。
  神の力、神の働きが、イエスのなさった行いの中に見えるのです。
  しかし。
人々は、イエスの中に神の働きを見ようとしない。見えないと言い張るのです。

  『聖書はイエスを証しする』とイエス御自身が言われるのです。
  しかし。
人々は、聖書を読む機会がなかなかない。 聖書は面白いですよ。是非読んでみてください。


四旬節を送る私たちは、『イエスは神の独り子』である証しを、どこで確信しているでしょうか?
  イエスを信じるためには、自分の考えを捨てて、改心しなければなりません。


『今日の奉納祈願』

『あわれみ深い神よ、イエスのいけにえの力によって、
わたしたちが古い人を脱ぎ捨て、キリストのいのちに生きる新しい人となりますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
久しぶりの元気な友人との再会は、友人の経験を聞きながら、嬉しいものですね。 お元気で!

大都会の喧騒から田舎の静寂へ。 そして 『わたしがあなたを忘れることは決してない。』

2018-03-14 22:00:13 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
今日は3月14日。四旬節第四水曜日。四旬節の残りは12日間

大都会・東京から田舎・我が家へ・・・   『静寂の世界』
 
『椿と灯籠』

5日間の東京から戻って静かな我が家。 
動と静。どちらも良い。一方だけでは、その価値が分からないかもしれない。私の居場所、私の存在意味が良くわかる。

  年を重ね、両方を経験し、世の中が良く見えるようになった。


そして。
今日の典礼。

『今日の集会祈願』

『神よ、あなたは、償いのわざに励む人々に豊かな恵みを注いでくださいます。
 
『新緑・神の恵み』

  悔い改めるわたしたちの祈りを聞き入れ、罪のゆるしをお与えください。』



『今日の第一朗読 神の御言葉』

『主はこう言われる。

女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れること決してはない。』

        イザヤ書 49章8-15節

   今日も、『主の変わらない愛』を、神御自身が語られました。
   私たちに求められることは、『希望・永遠の命』を持つことです。
 
 『希望・再生』 
  
   希望を持つから、『希望の与え主・神』 への信頼が生まれ、深まるのです。

四旬節…信仰の薄さを悔い改めて、『神の愛・神の真実』を信じることができるように祈る時期です。


   『人間が不真実』であっても、『キリストは常に真実』であられるのです。

人間の不真実とは? 
主を忘れることにおいてです。主の救いの御業がどんなに大きく、深いものであったかを忘れるのです。

キリストの真実とは?
主を忘れるような罪人である私たちを、決して忘れることはないのです。それが『キリストの真実』なのです。

    『信仰』があれば…神を恐れ、神の裁きを恐れることはないのです。
     四旬節…神の愛を信じることができるように祈りましょう!


皆様!
御訪問感謝に申し上げます。
平安のイメージは新緑やひそかに咲く花々ですね。皆様の穏やかな日々をお祈り申し上げます。 お元気で!