マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

ゴール寸前・・・『聖書通読会』 そして 『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確信することです。』

2018-03-02 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は3月2日。金曜日。

いつものように。
毎金曜日・・・   『聖書通読会・聖書100週間』
 
本当に熱心な仲間たち。


今日も又。
小さな町の、小さな一軒屋の、小さな部屋の片隅で。
『神の姿』を求めて…『小さな集まり』が続いています。もう3年間が過ぎる。頭が下がります

今日も頑張りました。
仲間皆で、マラソンをしているような・・・。

『わたしたちもまた、おびただしい証人の群れに囲まれている以上、
  すべての重荷やからみつく罪をかなぐり捨てて、
 自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか

 
走る!走る!

  信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。』
      ヘブライ人への手紙 12章1&2節

      ゴールまで、あと半年です。ファイト!ファイト!


今日の通読範囲は、ヘブライ人への手紙8章~13章。

『今日の聖書の言葉』

『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確信することです。』
      ヘブライ人への手紙 11章1節

では。
更に詳しく。

信仰とは?

『啓示によって、
「見えざる神は、大きな愛によって、あたかも友に対するように、人間に話しかけ、彼らと住まいをともにしています。
それは、彼らを自分との交わりに招き、これにあずからせるためです」。
この招きに対するふさわしい回答が信仰です。

信仰によって、
人間は、その知性と意志とをまったく神に従わせます人間は啓示する神に心底から同意します。
信仰によって従うとは、
聞いたことばに自由に自分をゆだねることにほかなりません。』


    なるほどね~!

『信仰者が、『信じる神をもっとよく知り、啓示されたことをもっと理解したい』と望むことは、
     信仰に付きものです。
他方、知識が強まるにつれて信仰は強まり、ますます愛に燃え立ちます。』

                  以上。 『カトリック教会のカテキズム』 より。


    聖書通読会の仲間の姿は、『信仰者の姿』そのものです。
 
更に!更に! もっと!もっと!


 『信じるために理解し、理解するために信じる。』 聖アウグスチヌスの言葉

  なるほどね~!
神を信じるためには、神を理解する必要がある。そして もっともっと神を理解するには、神を信じる必要がある。 
   ・・・ということですかね。 納得!ガッテン!です。


わたしたちは信じます。

『信仰は人格的な行為、つまり、ご自分を啓示する神の呼びかけに対する人間の自由な応答です。
   しかし、信仰は孤立した行為ではありません。
一人で生きることができないように、だれも一人で信じることはできません。

  信者一人ひとりは、信仰者たちの大きな鎖の一つ一つの輪のようなものです。
 
『長崎平和大使 高校生の輪』

   わたしは他の人々の信仰に支えられることなしに信じることはできませんし、
また、自分の信仰によって、わたしは他の人々の信仰を支えることに貢献しているのです。』

        『カトリック教会のカテキズム』より。


     神を信じる。お人を信じる。
 それは、”あの方は偽ることはない!” という、相手への信頼に基づいているのでしょうね!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『継続は力なり』と言いますよね。その通りですね。 週末もお元気で! 
             

高齢化社会の交流・・・『地区集会』 そして 『それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。」

2018-03-01 14:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
今日は3月1日。第一木曜日。

月一回・第一木曜日・・・  『地区集会』
 
地域の者が集まって・・・。 今日は9名。

私の地域は、神戸一住民の多い地域。 その割合で、高齢者も多い。
私の地域から、カトリック教会までは距離がある。高齢者 熟年者には、電車やバスに乗り変えての教会は、負担が大きすぎる。

で・・・。
月一回だが、熟年者中心に、キリスト教的な集会:『地区集会』を開く。
前半は、聖書の分かち合い。後半は、茶話会・おしゃべり会となる。 
両方が尽きることがない話題で・・・信仰の喜びの分かち合いで・・・嬉しく、明日への力を頂きます。
 


出かける日が決まっていること。思いっきり仲間と話せること。仲間と共に、おいしいお茶とお菓子を頂くこと(時には食事)。
更には。
将来に確実に『楽しみ・出会い』が待っていること・・・『希望』が、熟年者には良いことです。熟年者を若返えらせるのです。
               おしゃべり!バンザイ!バンザイ!

  
 健康で長生きの最大の秘訣は、食事でも運動でもなく、『お人とのリアルな交わり』だそうです。
     免疫力が高まる。ホルモンが沢山出る。病気を防ぐ。老化を防ぐ。
家族や御近所の人との色濃い付き合い。更には、『日を決めて定期的に会う』ことが、すごく効果があるそうです。

    『交流』は、薬よりも良く効く!


そして。

今日は四旬節第二木曜日。

『今日の第一朗読 神の御言葉』

『主はこう言われる。

「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。
心を探り、そのはらわたを究めるのは、主なるわたしである。
  それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。」

       エレミヤ書 17章5-10節


  『わたし自身の心を究める』
わたしの心を深く追及して・・・
私の心の本質や真相をつかむのは、私自身ではなく、神様である。神は断言なさるのです。
追及の結果・・・
人の心の中身は『とらえ難く病んでいる』と、人の心の中に潜む『罪の内面性』神は告発なさるのです。

  『業の結ぶ実』
人のそれぞれの道、『業の結ぶ実』に従って、『私は報います』、と神は警告なさるのです。


今日の『地区集会』
それぞれに『神の報いの時』が近くに迫ったね! と。それぞれの『信仰の人生』を振り返ります。充実の時間です。



そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスはファリサイ派の人々に言われた。

金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり
その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。

 
やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって
宴席(天国)にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。

 
金持ちも死んで葬られた。
そして、金持ちは陰府(よみ)でさいまれながら

 
目を上げると、
宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたにいるのが見えた。
そこで、大声で言った。『父、アブラハムよ、わたしを憐れんでください。』

アブラハムは言った。
『子よ、思い出してみるがいい。
お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。
今は、ここ(天国)で彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。

そればかりか、
わたしたちとお前たちとの間には大きな淵があって

 

ここから、お前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこから、わたしたちの方に越えてくることもできない。』
   ルカ福音書 16章19-31節


『わたし自身の心を究める』
私の心を深く追及して・・・私の心の本質や真相をつかむのは、神様です。
まして。 私の心の中に潜む、私自身では気づかない『罪の内面性』を極めて下さるのも、神様です。
『人生の集大成の報い』
『人のそれぞれの道、業の結ぶ実に従って』、『報い』を決定し、判決を下すのは、神様です。


ラザロ。
貧しいラザロは、いつの代でも、『困っている人』の代表者です。
この世では…歩けない。治らないできもの。金持ちの食卓の残り物をもらいたいが誰もくれない。犬にも負ける。『黙ってがまんする日々』です。
あの世では…死によって始めて、苦しみから救われました。神を信頼していたので、恵まれたのです。
   『アブラハムの隣席』の『報い』を受けました。

金持ち。
『贅沢な日々』が当たり前で、神を必要としないで、門前に貧しい人がいるのにも[気づかない』、『自分本位の人』の代表者です。
この世では…贅沢。自分のことだけを考えて、『神の改心の言葉』を受け入れることのない人生です。
死後は…『天国』に渡ることができません。死によって初めて、『自分の罪』を知るのです。
    『陰府でもだえ苦しむ』の『報い』を受けるのです。


私たち。
四旬節を歩む今日。『神の御言葉』と『イエスのたとえ話』をもって、『神の改心の呼びかけ』を聞きました。
   あなたは金持ちの仲間ですか? あなたは貧しい人と共に生きる仲間ですか?

私たちは、たえず、神から呼びかけられているのです。問われているのです。 頑張りましょう!



『今日の祈願』

『神よ、わたしたちを、みこころにかなう者として下さい。四旬節の務めを通して、回心の実を結ぶことができますように。』


皆様!
御訪問に感謝いたします。
分かっているようで、分かっていないのが自分自身ですね。互いに切磋琢磨してまいりましょう。 お元気で!