まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

無駄かどうかはわたしが決める

2003年04月04日 20時27分00秒 | 日々雑感
子供の頃、三年ほどピアノを習っていた。

実は、三歳のときにオルガンを習ったのだが先生とウマが合わず(!)やめてしまったのだ。

あの頃から続けていればどんなに弾けるようになったかとは思うが

やりたくない時に無理に続けても上達はのぞめなかっただろう。

再び習い始めたときは姉妹三人揃って始めたのだが、妹はすぐにやめてしまった。

先生は六十代半ばくらいだったろうか。

優しく厳しく、しっかりした人だった。

九官鳥とウサギを飼っていて、彼らに会うことと、おやつが楽しみだった。

三年の間にバイエル、ソナチネ、ブルグミュラー、などの練習本を終え

自由曲を始めた頃にやめてしまった。

その後、適当ながら「エリ-ゼのために」「トルコ行進曲」「ジムノぺディ」などが

弾けるようになった。

そんな話をTさんとしていたら

「お母さん、無駄な投資をしたわね」と言われびっくりした。

「え、何で無駄なの?」

「何の役にも立ってないじゃない」

「そんなことない。弾いてれば楽しいもん。楽譜も読めるようになったし」

一体、どんな状態だったら無駄じゃなかったというのだろうか。

ピアノの先生にもピアニストにもならなかったけど

音楽を楽しむ気持ちと、楽器が弾けるという喜びを得ているというのに。

すごく難しい曲は無理だけど、楽譜があってちょっと頑張れば色んな曲を弾けるのに。

なんだか、がっかりするような一言だった。



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