まりはなの、のんきでありたい日々

地方都市で、清貧生活  

穴、ますます深し

2007年09月27日 20時06分26秒 | きれいになりたい?
先日NHKで、美肌に対する女性のこだわりを特集していた。

わたしといくつも違わない人が半年待ちのカウンセラーに予約し

シミやしわの具合を測定してもらっている。

「きちんと手入れした人と手抜きをした人では、年を取って差が出る」と彼女は言う。

確かにそういうこともあるのだが、しかし別に気にしない人もいるわけで

そういう人は手を抜いたわけではなく、自然に任せてシミやしわになっても

「あの人は手抜きした人」と言われてしまうのだろうか。

あるいは「もっと手入れすればいいのに」とか。

選択肢がなかった時代は楽だったと思う。

年を取ればシミもしわも当たり前、今より自然におばさんになれた。

しかし今は、手に入れようと思えば若さも美しさもある程度は手に入る。

手に入れる自由があるように、手に入れない自由もあるのだが

なぜか手に入れようとするほうが評価されがちだ。

「肌がきれいじゃなかったら、長生きしても楽しくない」と50代の女性は言う。

彼女の傍らにはなかなかに素敵な旦那様がいた。

旦那さんだって、彼女が若々しくきれいでいれば嬉しいだろう。

「同年代のほかの人より若くありたい」

「同窓会などで若いと言われたい」という意見もあり

もはや美しくあるということは異性に対してよりも

同性に対してひけらかすことになりつつあるのかもしれない。

特に、ある一定以上の年代の女性にとっては尚更だろう。

安定した家庭と愛情があれば恋をしたいと思うことはあまりない。

男に劣情を抱かれるよりも女に羨望される存在でありたいのではないだろうか。

今のわたしはそうだ。

恋とか愛とかを卒業したというよりは、元々あまり得意科目ではなく

退学したといったほうがいいだろう。

仮想恋愛の対象すら求めないところを見ると、よほど向いてないらしい。

しかし、きれいでいたい気持ちは強いのだ。

一体何のために。

男の気を引くためでないのは確かだ。

自分のためにきれいでいたいわけもなく、もちろん他者を意識しているわけだが

わたしの場合、人に嫉妬されるほどきれいでいたいというよりは

みっともなくない程度にこぎれいでいたいといったところだろうか。

結婚しないことは子供の頃から決めていたのだが

しかしそんなことを何度説明しても

結婚というルールが当たり前の人には通用するはずもなく

「しなかった」のではなく「できなかった」と言われるのがわたしは嫌なのだろう。

だからきれいでいなければ「あの人は不美人だから結婚できなかった」と言われてしまう。

しかしきれいでいれば「きれいなのになんで結婚しないのだろう」と言ってもらえる。

書いてみると馬鹿馬鹿しくもどうでもいいことだが。

もちろんわたしがきれいでいたい理由はこのことだけではない。

ないが、他の理由はよくわからない。

わからないけどきれいでいたい。

出口のない落とし穴かもしれない。
コメント
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