まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

ささやかな

2015年11月13日 22時49分35秒 | 日々雑感
知人と『名前を書いた人が死ぬというノートを手に入れたらどうするか』

という、中学生のような話をした。

わたしはきっと、何もしないと思う。

そこまで憎い相手がいないというのもあるし

たとえ、瞬間的に憎悪が芽生えたとしても

生殺与奪の権利を握っていると思えば余裕ができて

相手を許すことができると思うのだ。

もちろん、憎しみの理由にもよるけれど。

そう考えると、生きていくのに必要なのは

「可能性」なのではないだろうか。

100%近くないとは分かっていても、わずかな可能性を感じることができれば

なんとか希望を失わずにいられるのではないか。

まあ、この場合は「いつでも相手をひどい目に遭わせられる」という

ちょっとどうかと思う可能性なわけだけど。

今は貧乏だけど、いつか宝くじが当たるかもとか

出した企画が社長の目に留まって、急に出世するかも

とかいう、他愛もない夢みたいなことから

今日は嫌なことがあったけど、明日はいいことがあるかも・・・という

わりと現実的なことまで

意識するしないにかかわらず、絶えず可能性を感じているから

生きていけるのではないか。

信じている、というのとは違う。

そこまで強い期待はない。

もっとあやふやだけど、だからこそ落胆もせず

生きていけるのではないかしら。







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