まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

今は未来の物語

2016年06月11日 22時30分12秒 | 日々雑感
前にも書いたことがあるが、30年以上前に書かれた星新一のショートショートには

現在のことを書いたのではないかと思えるようなものが何作もある。

耳元で心地よいことばかりを囁き続ける妖精は、スマホのことと言えなくもない。

他にも、コンピューターに政治を任せた結果、翻弄される話とか。

30年前は未来の物語だったが、今は現在進行形の話だ。

上司がAIという企業もすでにあるらしいから。

将棋やチェスの腕前について、AIの進化の速さを大げさに言い立てる向きがあるけれど

それは人工知能の得意分野だから当然じゃないかと思う。

わたしは全くの素人なので的外れなことを言っているかもしれないけど

これも過渡期のたわごとと思って見逃して欲しい。

数学の得意な人とオセロをしていて

全部、相手の色にされてしまったことがある。

数学のできる人のすごさを思い知った瞬間だ。

将棋にしろチェスにしろ、数学的な能力が必要とされるのだろうから

これはもう人工知能が強いのは当たり前だろう。

ずいぶん前に「ファジー家電」というものが流行ったが

あれはどうなったのだろう。

それはさておき、ファジー(曖昧さ)こそが

人間の知能と人工知能の違いではないだろうか。

ディープラーニングをしている人工知能によくないことを教え込んだ人がいて

人工知能がそれを正しいと言い始めた・・・という新聞記事を読んだが

人間の知能も正しいことばかりに接しているわけではない。

危険思想や偏った思想を持った人もいるし、それが危険であるか偏っているかという線引きも難しい。

それでも多くの人が、その中から無難というか穏やかというか

「まともな」方を選択してゆく。

ディープラーニングで、そういうことはできないのだろうか。

今のところ曖昧さににおいて、人工知能は人間にかなわないと思う。

情報として、色や数字を正確に覚えることはできても

善悪のように1かゼロかで決められないことは多い。

例えば人助けはよいことだ、という情報は正確に学べる。

だが、人助けをしたときに人工知能は「いい気になる」ことはないだろう。

だから、いい気になりたいがために人助けをしたり

いい気になった自分に自己嫌悪を抱くこともないだろう。

他人を羨むこともなければ、妬んだり劣等感から相手を陥れようという考えなど

人工知能には持てないだろう。

こう考えてみると人を、人たらしめているものってろくでもないような。

もちろん、自己犠牲の精神とか思いやりとかだって

人工知能には難しいだろうけど。

だからちょっと嫌な未来を想像してしまうのだ。

人工知能が人間に近づくのではなく

人間が人工知能並みになってゆくのではないかと。

白か黒か、正か誤か。

曖昧さの排除というより、曖昧さが分からなくなってゆくのではないか。

情報の多さは、判断力を鈍化させ

より分かりやすく単純なもの、もしくは多数決が正しくなるのではないか。

なんて、大してよく働いてない知能で考えてみたりする。

自分、アナログっすから。

コメント
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