今のわたしたちが、平安時代どころか100年前とでさえ違う言葉を使っていることを考えると
「ら抜き言葉」や「させていただく」にいちいち目くじらを立てるほうがおかしいのだろう。
そうは思うが、違和感を覚えるのも仕方がないだろう。
今やNHKのアナウンサーでさえニュース以外では「見れますか」と言う時代だ。
「させていただく」も、一番へりくだっているのだと思えば便利な言葉だ。
ただ「言わせていただく」を「言わさせていただく」とか
「聞かせていただく」を「聞かさせていただく」とか、やっぱり受け入れづらいし
「やらさせていただく」にいたっては、もうへりくだってるのかどうかもわからない。
料理番組の「ニンジンをこういう風に処理してあげると、後が楽です」のような言い方は
もう慣れてしまったが、気になるのは「野菜たち」とか「花たち」という言い方だ。
「こういう雑貨たちが好きなんです」とか。
「花々」や「雑貨類」でよくないか。
今、新聞の連載小説を楽しみにしていて
朝はどのページよりもそのページを開くほどなのだが
「会社達は」と書かれた場面があって、がっかりしてしまった。
意図的なものなのだろうか。
いくつもの会社のことを指したかったのなら
「それらの会社は」と書けば複数の会社を示せるのに。
なんて。
他者を批判するほど、正確な文章書いてませんね。
反省・・・
「ら抜き言葉」や「させていただく」にいちいち目くじらを立てるほうがおかしいのだろう。
そうは思うが、違和感を覚えるのも仕方がないだろう。
今やNHKのアナウンサーでさえニュース以外では「見れますか」と言う時代だ。
「させていただく」も、一番へりくだっているのだと思えば便利な言葉だ。
ただ「言わせていただく」を「言わさせていただく」とか
「聞かせていただく」を「聞かさせていただく」とか、やっぱり受け入れづらいし
「やらさせていただく」にいたっては、もうへりくだってるのかどうかもわからない。
料理番組の「ニンジンをこういう風に処理してあげると、後が楽です」のような言い方は
もう慣れてしまったが、気になるのは「野菜たち」とか「花たち」という言い方だ。
「こういう雑貨たちが好きなんです」とか。
「花々」や「雑貨類」でよくないか。
今、新聞の連載小説を楽しみにしていて
朝はどのページよりもそのページを開くほどなのだが
「会社達は」と書かれた場面があって、がっかりしてしまった。
意図的なものなのだろうか。
いくつもの会社のことを指したかったのなら
「それらの会社は」と書けば複数の会社を示せるのに。
なんて。
他者を批判するほど、正確な文章書いてませんね。
反省・・・