まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

魔物の見物

2010年03月12日 19時41分26秒 | 日々雑感
バンクーバーオリンピックで、一番記憶に残ったのは

思うような結果が出せず「オリンピックには魔物がいる」とあるベテラン選手が語った新聞記事だ。

本当にそういう発言をしたのか、そういうニュアンスの発言を

記者が「魔物」と表現したかは分からないが

どちらにしたって、あまりに陳腐だ。

そんなこといったら、箱根駅伝にだって甲子園にだってウインブルドンにだって魔物はいるだろう。

なんだったら、幼稚園の学芸会や社内運動会にだって結婚式のスピーチにだって魔物はいるだろう。

どうせありふれた言葉を使うなら、「勝負は時の運」のほうが潔くないか。

歴然とした実力差があるのならともかく、コンマ以下の速さを競う競技なら

運だって大きく関係するのだから。

でなければいっそ「実力不足」と言ってしまったほうがいい。

言うに事欠いて魔物だなんて。

21世紀に。

いるかもしれないけど。

それと嫌だったのは、自国の選手を応援するあまり、ライバル選手の不調を言い立てて

いかにも「だから勝てるチャンスはある」という言い方をする解説者がいたこと。

この発言は双方の選手に失礼だが、特に自国の選手に失礼だろう。

相手の調子が悪いから勝てるかも知れませんよと言われて、喜ぶ人がいるだろうか。

「競争」というより「狂想」ばかりメディアは流す。

一番嫌なのは、あまりにもスポーツに人生を重ねること。

もちろん、選手たちにとって競技は人生そのものかもしれないけれど

それはスポーツばかりではない。

先日、電卓競技日本一を決める大会の様子を見たのだが、これがまあすごいのだ。

一秒間に7回だか10回だかキーを叩くという。

「この日のために一年頑張りました」という出場者。

優勝して喜ぶ人、負けて静かに涙を流す人、友人と抱き合って号泣する高校生・・・

たぶん、この光景に感情移入できる人は少ないだろう。

電卓早く打ててなんになる?とかいう人さえいそうである。

しかし、競技人口が多いか少ないか、メジャーかマイナーかの違いがあるだけで

オリンピック競技も電卓早打ちも、それに賭ける人の気持ちは同じなのだ。

だから、スポーツだけを大げさに人生にかぶせないでほしい。

もっとも電卓選手権ではお金が動かないけどスポーツでは大きなお金が動くからなあ。

世の中は結局、大金に動かされているのだろうなあ。

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