「世の中には2種類の人間がいる」という書き出しで始まる話は多い。
だが最近、わたしは世の中には3種類の人間がいることに気付いた。
①なんでも雑にしかできない人
②なんでもていねいにしかできない人
③ていねいにも雑にもできる人
わたしは典型的な①だ。
母親がせっかちだったので、もたもたしているだけで怒られた。
その母親は、なんでも手早なのが自慢だが、やっぱり雑である。
しかしそんな家庭環境だったので、自分が雑ということにも気付かず
社会に出ると、仕事が早いことは褒められるので
多少、雑な自分に気付きはしたが気にも留めなかった。
しかし最近「ていねいに暮らす」みたいな言葉が流行ったせいなのかどうかは分からないが
自分の雑さ、というよりは、時間をかけて丁寧にやることができないことが
ちょっと気になるのだ。
そして他の人を見ていると、②の人は雑にやるということができないがために
いいよ、もっと適当で・・・という場面でも
その適当具合がわからないらしく、なんでも時間がかかる。
ただ、②の人は習熟してしまえばていねいに早くできるようになるだろうから
努力次第で、①の人よりも信用されたり任される仕事が増える可能性はある。
③の人が一番優れているようだが、案外と中途半端というか
早さは①の人ほどではなく、ていねいさは②の人に及ばないという感もあり。
だからどうだという話ではないのだ。
今更、ていねいに生きるのは無理だということをしみじみ思う。
いいんだ、今年も雑に生きるのだ。
だが最近、わたしは世の中には3種類の人間がいることに気付いた。
①なんでも雑にしかできない人
②なんでもていねいにしかできない人
③ていねいにも雑にもできる人
わたしは典型的な①だ。
母親がせっかちだったので、もたもたしているだけで怒られた。
その母親は、なんでも手早なのが自慢だが、やっぱり雑である。
しかしそんな家庭環境だったので、自分が雑ということにも気付かず
社会に出ると、仕事が早いことは褒められるので
多少、雑な自分に気付きはしたが気にも留めなかった。
しかし最近「ていねいに暮らす」みたいな言葉が流行ったせいなのかどうかは分からないが
自分の雑さ、というよりは、時間をかけて丁寧にやることができないことが
ちょっと気になるのだ。
そして他の人を見ていると、②の人は雑にやるということができないがために
いいよ、もっと適当で・・・という場面でも
その適当具合がわからないらしく、なんでも時間がかかる。
ただ、②の人は習熟してしまえばていねいに早くできるようになるだろうから
努力次第で、①の人よりも信用されたり任される仕事が増える可能性はある。
③の人が一番優れているようだが、案外と中途半端というか
早さは①の人ほどではなく、ていねいさは②の人に及ばないという感もあり。
だからどうだという話ではないのだ。
今更、ていねいに生きるのは無理だということをしみじみ思う。
いいんだ、今年も雑に生きるのだ。