まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

そのわけは

2003年01月30日 22時03分00秒 | 日々雑感
数年前に百人一首を覚えてみた。

「なんでまた」なんて言われたりもしたが

覚えられるかな?という軽い気持ちからだった。

意外と簡単に覚えられた。

でもあれは毎日復習しないと忘れるね。

今では数首しか覚えていない。

しかも様々な上の句、下の句が混ざってしまってわけ分からない。

そこで、また本を読み返してみた。

この解説本は分かりやすい上にカラーの写真も入っていたりして、読んでいて楽しめる。

前に読んだときはね、農民が飢えや寒さで苦しんでいるときに

愛だの恋だの、身分の高い人ってのはのんきだよな、なんて思ったもんだが

あらためて読み返すと色恋ばかりではなく、自然の美しさ、人生のはかなさなどが

驚くほど豊かに表現されている。

それにしても人はなぜ、歌を詠むのだろう。

俳句や短歌、詩・・・。

なぜ、感情をこういう形で表現するのだろう。

わたしに関して言えばそれは、客観視のためである。

例えば不本意な別れを経験したときは動転して

「なんでよどうしてこんな目に遭うの。悔しい、バカバカバカ。

畜生、こんな悲しい思いさせて。逢いたい。バカ、あんたなんか死んじゃえ」

なんて思ったりする。

しかし、ふと我に返ってその気持ちを指折り始めると気が紛れるのだ。

そしてああでもない、こうでもないと推敲するうちに落ち着いてくる。

そしてそのときの自分は先ほどのわたしを客観的に見ることができるのだ。

昔のことを思い出していたたまれない気持ちになったときも5・7・5など考えると

いつの間にか気分が落ち着いてくる。

だからというんじゃござんせんが、ここで一句。

思い出ぐさに君をささん・・・と題しまして。

「かかしは畑(はた)を守る物 ななしは花を手折る者」













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