不定期なサイクルで英語の勉強をしたくなる。
テレビの英語講座を見たり、図書館でCD付の本を借りてみたり。
それにしても、6年も勉強して日常会話どころか、簡単な文章も作れないってどういうわけだ。
どうもこうもない。
困らないからだ。
ただ、高校でやたらと英単語のテストを受けさせられたおかげで
自分で英文を作ることはできなくても、簡単な英文は分かる。
ちょっと難しい長文だと、たちまちお手上げになるけど。
日本の企業で、英語を公用語にしているとか
英語の資格テストで高得点を取らないと出世ができないとか
まあ、わたしには関係のない世界だ。
英語ができなくてもなにも困らない代わりに、英語ができてもなんのメリットもない。
じゃあなぜ時折、無性に英語を勉強するかと言えば
一瞬でもいいから、英語を日本語のように感じてみたいからだ。
ヘレン・ケラーが冷たい水に触れたとき「WATER!」と叫んだように
わたしも感じてみたい。
水に触れたとき、頭の中で水→WATERと考えるのではなく
ストレートにWATERと感じてみたい。
もしくはWATERという単語を見た瞬間に、水と変換せずに
水しぶきを頭に描いてみたい。
なんちゃってバイリンガルになってみたい。
その感覚を味わってみたいだけなのだ。
テレビの英語講座を見たり、図書館でCD付の本を借りてみたり。
それにしても、6年も勉強して日常会話どころか、簡単な文章も作れないってどういうわけだ。
どうもこうもない。
困らないからだ。
ただ、高校でやたらと英単語のテストを受けさせられたおかげで
自分で英文を作ることはできなくても、簡単な英文は分かる。
ちょっと難しい長文だと、たちまちお手上げになるけど。
日本の企業で、英語を公用語にしているとか
英語の資格テストで高得点を取らないと出世ができないとか
まあ、わたしには関係のない世界だ。
英語ができなくてもなにも困らない代わりに、英語ができてもなんのメリットもない。
じゃあなぜ時折、無性に英語を勉強するかと言えば
一瞬でもいいから、英語を日本語のように感じてみたいからだ。
ヘレン・ケラーが冷たい水に触れたとき「WATER!」と叫んだように
わたしも感じてみたい。
水に触れたとき、頭の中で水→WATERと考えるのではなく
ストレートにWATERと感じてみたい。
もしくはWATERという単語を見た瞬間に、水と変換せずに
水しぶきを頭に描いてみたい。
なんちゃってバイリンガルになってみたい。
その感覚を味わってみたいだけなのだ。