どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

右脳セミナー 1回目

2009-11-06 21:58:25 | ぼっとん

右脳セミナー報告 

このセミナーは4回シリーズらしい。(次回は忘年会で出られない・・・・)

今日は1回目とあって、導入があり、ちょっと興味を惹く内容のはしりを見せてもらったという感じ・・自分が授業を持ち始めてからというもの、この導入が結構大切だということ日々体感しているので、興味をもって聞いていた。

右脳の大切さと同じくらいに講師が力を込めていたのが、右脳の能力を疎外する、破壊するもの。なんとその筆頭にあげられたのが、メールだった。

右脳の世界はイメージの世界。関連するイメージを膨らませ広げていく。いうならば想像力の世界だ。左脳が知識の脈絡のない羅列であることと対するらしい。

ふと、最近あった、メールでのすれ違いのことを思い出していた。

私は、今日のセミナーを聞いて思ったのだが、どちらかというと右脳の世界に近い発想をするようだ。様々の出来事が風景として浮かび、その中での人々の感情の動きなどに非常に敏感である。考えすぎるきらいもあるのだが・・・・・。

右脳が発達している人、風景を文章で描ける人は、実は自分の持つイメージが強すぎて、言葉を自分の描く風景の中に、当てはめてしまうのではないだろうか。

同じような人間が二人でメールのやりとりをすると、違った風景の中での思い込みで、相手が何を聞いているのか、求めているのかが理解できないのではないかと思った。誠実に一生懸命考えているのだが・・・・。

結果、微妙にずれていくやりとりに、メールの回数は増える。まさか、そうじゃなくて・・・とは、言えないから婉曲に方向を変えようとするのだが・・・婉曲では風景を変えることはできない。

セミナーの講師曰く、会って話すことが大事。人間同士、目の動き、雰囲気、そして言葉、五感を使って会話しているのだからメールでのやりとりは不毛だと・・・。確かに一理ある。いったん誤解が発生すると、食い違いを分かって欲しくて何回もメールを返信することになり、結果 すごいエネルギーで知りたいのね~とか言われてしまう。いいえ、ただ、私のメールをわかってよ~と言いたいだけなのに・・・。

でも、私にも分かることがある。私は生徒と接するとき、必ず目を見る。言葉には表さない感情を人は目であらわす。大丈夫です と口では言いながら、不安そうな目をしている生徒もいる。言葉で表わすこと事体が簡単ではないことを、私は一番感じているはずだった。

一生の間で、同じ時と、場所と、価値観を共有できるチャンスをもてる人が何人いるだろう。どんな出会いであっても、お互いが選ばれる運命のようなものを感じてもいる。

そうね。会って、目をみて話してこそだよね。 本当に右脳セミナーに出てよかった。メールはアポイントのみに使いましょうと、講師の方が勧めてておられました。

今度いつ会えますか?と、メールを書いた方が、よさそうだ。

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右脳開発にトライする

2009-11-06 04:06:29 | シュワッチ

人間の脳の97%は右脳らしい。

脳の話に興味をもったのはUSにいた頃。異文化の中で、カルチャーショックに気付かず、自己否定が続いた頃だ。何気なく友達が貸してくれたCDは脳のメカニズムについて語られたセミナーのものだった。

聞いても聞いても???。何回聞いただろう、理解できるまで聞いた。そのCDの中で語られていることが理解できたとき、実は非常に気持ちが楽になった。脳というか、感情が意識してコントロールできるのだと確信できたからだった。

次のキーワードは 夢がかなう 。夢をかなえる脳に変える という意識をもって、苫米地英人シリーズを読み漁った。彼の話は潜在脳に自分の成功をイメージさせるというものだが、なんとも魅力的でポジティブな生き方を自然に選択するwayがそこにはある。

次に右脳。左脳の狭いエリアの中で思考が繰り返されると、新しい記憶が入る毎に、選択された古い記憶が左脳から追い出されるという。もし、右脳を使えば97%もの広いエリアで、記憶は深くキープされる。

右脳を意識的に使うという感覚を理解したくて、月一回のセミナーに今日から参加する。未知との出会いにわくわくしている。

記憶・・・。人間は、忘却の動物だが、忘却するからこそ長く生きていかれるという話を聞いたことがある。確かに、失敗したこと、しでかした悪事?(はは・・・これはどういう意味だ・・)、いつも記憶の中にあっては、毎日が懺悔の中にあることになる。生きていくのも苦行になる。

心の中に深く刻まれる記憶が、人生にとっての大きなトピックばかりかというとそうでもない。何気ない日常の、何気ない細やかな気持ちが、幼い日の記憶であることも多い。いえ、そちらの方が多いのかもしれない。

自身の体の中でおこっていること。忘却の選択基準って何なのだろう。逆に何が脳に深く刻まれるのだろう・・・。自分のことなのに、自分で理解できない世界であることは間違いない。

わくわく脳セミナーのご報告はまたいずれ・・・。仙台圏の方はご一緒しませんか?人生に違う局面が訪れるかもしれませんよ。^^

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