夢は・・・・再び海外で生活すること。
近未来の夢ではない。5ケ年計画の二期目くらいには是非実現させたい。
私は2002年から2008年までUSで暮らした。USに行くと決めた後、様々な反対があった。親戚、そして大切な息子たち。大賛成したのが、私の父と兄。
父は仙台までやってきて、親戚を説得してくれた。出発前、岡山の実家の母の墓前にあいさつに行った。父は息子たち三人と私を焼肉屋に連れて行った。そこで、三人の息子たちに、日本は島国で海外は遠いと思っている。そう思わせる高い壁がある。でも、そこを一度通って海外で暮らした人は、その壁が案外高くないことに気付く。そして海外に出ることがとても簡単になる。そこが大事だから、きっといい経験になるから、行ってきなさいと、話した。中学3年、中学1年、小学校5年生だった息子たちは、黙って話を聞いていた。
息子たちを守らなくてはならない母親の私には、たいへんだろうけど、一家で留学するようなものだから、教育にお金をケチってはいけない、よもや貯金をしようなどとは絶対に考えるなと、諭した。
海外で生活しながら、父の言葉をよく思い出していた。特に後者のことば。あまり観光旅行もできなかったが、地域に根ざした生活を楽しんだような気がしている。私もコミュニティーカレッジを卒業したし、息子たちはUSの大学に進学した。ただ途中で連れ帰った三男だけには申し訳ない。しかし、今度は彼も自力で海外へ出る道を探すのではないかと思う。
私はというと、父が言っていた壁を全く感じなくなっている自分に気付いている。
昨日職場で、先輩の先生がベトナムへ日本語教師として派遣される話をされていた。期間は半年。まだ話は具体的には決まっていないようだが、そういうチャンスがあるということ、彼女がそれを求めているということに、私はとても興奮していた。
なぜベトナム? と問う私に、アメリカに負けなかったベトナム人、そして勤勉なベトナムの生徒たちをみていて、その国に行ってみたくなった と、話して下さった。
彼女は新米の私にもとても優しい経験豊かな先生で、メールで励ましてもらったことも多々ある。たいていの場合は、よかったよ~と褒めて下さる内容。
身近に、それも同じ職場に尊敬できる素敵な女性が複数いることのすばらしさ。これも、私が海外での生活を経験しなければ得られなかった境遇でもある。
私も夢をはっきり持ちながら、海外へ赴任するチャンスをつかみたい。