夏のお盆休み、冬の新春に開かれることの多い同窓会。
同窓会は恩師を囲む会であると同時に、旧友たちと再会を楽しむ場でもある。
私にとって大学のゼミの恩師は、恩師というだけではない。厳密にいうなら、私は先生を慕ってゼミを決めたというほうが正しい。三者自治とかいうものがあって、学生の権利が認められていた母校において、先生は教授会の代表として、学生の前に現れることが多かった。当時経済学部長だったと思う。幅広い話題と、絶妙な話術、加えてダンディーなスタイルに私はとにかく、先生が好きで好きでしょうがなかった。ゼミに入ってみると、もっともっと先生を好きになった。先生に認めてほしくて、がんばって勉強した覚えがある。後に学長になられた。
今でも、電話でご機嫌伺いをするくらい・・・・・いまだに先生が大好きでしょうがない。
10年くらい前に、私が代表となって、同窓会を開いたことがある。先生と同年代の方から私たちまで、とにかくゼミ生は300人くらいになる。連絡をとる以前、安否確認?住所確認の作業がたいへんだった。
同窓会は大盛況で、海外からそのために帰国してくださった、M電気の重鎮もいらした。
去年帰国のごあいさつに、お宅に伺った際、今なお旺盛な先生の読書量におどろかされた。しかし、言葉はだんだんと気弱になられ、リタイアーしてしまうと人間つまらんね という、発言か私の耳に残った。
同窓会を開きたい と思うものの、またあの労力はでない。というか、あまり意味のある労力のような気がしない。もっと小さな同窓会でいいのではないかと思う。一回一回単発でぷっつんと切れてしまう同窓会ではなく、なにか繋がっていけないものかと思う。
そこで、仙台支部を立ち上げようと思い立った。昨日、思い立った。
長い間考え抜いたことが力になることもあるが、瞬間的ナ思い付きが力になることもある。
新春に先生を囲む会を開く。不定期ではなく、たとえば新春と決める。もちろん情報を聞きつけて集まってくださる、ゼミ生に関しては、well come。毎年、開くからゼミ生のスケジュールにインプットされている。
他の目的もある。人生は出会いだ・・・なんて、最近考える。せっかく同じ先生の下で勉強したのだから、一年に一回くらい会う、素敵なつながりをつくろうとしてもいいのではないか。日頃からつながりを持っていれば、同窓会を開くことも簡単だし、プッつんと切れた関係ではなくなる。
早速何人かの先輩に電話をかけてみると・・・いい感触。
他方、そうね いいんだけどね・・・・・と、いう意見もある。
つまり私の足を引っ張るのね。でも、もう私は突っ走ると決めたよ。